古酒の隠れ家

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新任大公の平穏な日常

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【第二章 二年目の日常】
30.あっちでもフォロー、こっちでもフォロー

 執務室に入ると、そこには待ちかまえたようなフェオレスの姿があった。いや、待ちかまえていたんだろうけど。
「フェオレス。アディリーゼの件か?」
「申し訳ありません、閣下」
 左胸に右手を置いて、上体をわずかに折るその所作は、相変わらず優雅だ。
「なぜ君が謝る。アディリーゼを止めてくれたのは、他ならぬ君だろう。君が間に入らなければ、逆にアディリーゼが怪我をしていたかもしれない。礼を言うのはこっちだ」

 打ちかかってきた相手に対して、デイセントローズが即座に反撃しないとは限らない。俺なら確実に、その瞬間に仕止める。
 そうなっていた場合、アディリーゼはただではすまなかっただろう。
「いいえ……私はもっと早くに、彼女を止めるべきだったのです。存在には気づいていたのですから」
 フェオレスはいやに悔いたような表情を浮かべている。
「まあ、座ってくれ」
 俺はフェオレスと、斜めに置かれたソファに腰掛けた。
「詳しい話を聞かせてくれるか?」
「はい、閣下」
 そうして彼は、ネネリーゼに聞いた話をより詳細に語ってくれた。

 フェオレスは俺の執務室に向かう途中、エンディオンに先導されたデイセントローズが正面からやってくるのに気がついた。距離はまだかなりあったが、大公に道を譲るべく廊下の片側に寄ったその時、アディリーゼが広い廊下の柱の影に潜んでいるのが目に入ったのだという。
 彼女が不穏な雰囲気を漂わせていることに気がついたフェオレスは、声をかけようと近づいていった。
 だが声をかけるその直前、アディリーゼは柱から叫び声をあげながら躍り出て、その手に持っていた剣をデイセントローズめがけて振り上げたのだとか。

 フェオレスは彼女をとっさに抑えたが、その目的はむしろデイセントローズを守るためというより、一瞬にして殺気だった大公から彼女の身を守るためだったらしい。
 だが長女はその殺気には気づかなかったのだろう。あるいは、恨みが恐怖を上回ったか。
 フェオレスに羽交い締めにされながらも、デイセントローズに恨みのこもった絶叫をなげかけるアディリーゼ。
 いつもおとなしい彼女が声を枯らすほどにわめく様は、鬼気迫るものがあったという。

 エンディオンがすぐさま俺を呼ぼうとしたのを、当のデイセントローズが止めたのだとか。
 すっかり殺気を押さえ、お嬢様のお気持ちもわからないではない、だとかなんだとか、寛大さで飾った言葉でなぐさめて。
 実際のところはおおごとになってしまえば、呪詛の苦痛を我慢できなくなる前に家に帰りつけなかったからだろう。

「デイセントローズへの気遣いなら、不要だ」
 俺はフェオレスのなで肩を軽く叩いた。
「マストヴォーゼの遺児が、父の仇を憎む気持ちは理解できる。あいつだってそうだろう。ただ、あのおとなしいアディリーゼが、というのが意外ではあったが……」
「彼女は……おそらく、閣下が思っていらっしゃるより、芯の強い女性です」

 ……ん?
 なに、え、なに?
 なにその、僕はわかってます、といわんばかりの言葉は。
 え?
 なに、まさか、フェオレスとアディリーゼって、今回が初対面じゃないの? え、なに?
 もしかして、知り合いなの?
 いつの間に? っていうか、え、いつの間に?

 フェオレスは軍団副司令官なのだから、この城にもちょいちょい来ている。……多分。
 そうなると、城にいるもの同士、知り合うこともあるだろう。何も不思議なこともない。
 そう……あの長女でなければ、それで納得できるんだが。
 あんな四六時中、母親の後ろに隠れているような引っ込み思案な子と、どうやって知り合ったんだ?

 いや、まあ、いい。それはまあいい。
「な……なんにせよ、相手は大公だ。その場で許しておいて、あとでグダグダいってくることもないだろうし」
 言ってきたら、逆にぎゃふんと言わせてやる。むしろ、言ってこい。
 あんな軟膏一つで俺の気が済むはずがない。
「では、閣下。アディリーゼ嬢へのお咎めは……」
「まあ……少し、本人から話を聞く必要はあるが、あくまで彼女のためであって、デイセントローズへの無礼を咎め立てするつもりは毛頭ない」
「それを聞いて、安心いたしました」
 フェオレスはその言葉通り、猫目を細め、口角をあげた。

「フェオレス……一つだけ、いいか」
「なんでしょうか、閣下」
「アディリーゼとは、どういう…………いや、なんでもない」
 俺の勘違いということもある。邪推はやめておこう。
 うん、そう。きっと勘違いだ。
 だって、アディリーゼは成人前だもん。成人前っていったら、子供だもん。

「では、この件はこれまでといたしまして、次に軍の行事について、ご意見をよろしいでしょうか、閣下」
「何だ?」
 用件はアディリーゼのことだけではなかったらしい。
 そういえば、もともと執務室に向かっていたと言ったか。
 俺はソファを立ち、慣れ親しんだ執務机に移動した。
「実は我々、副司令官の間で、恒例行事についての意見が出ておりまして……」
 副司令官たちの問題発議をフェオレスが伝えにくるか……今までその役目は、ほとんどジブライールが負っていたと思うんだが。
 やっぱりあれか……軟膏を飲んだときのことがまだ……。
 いや、俺もだけど。俺もまだ、ジブライールの顔を見るのは、ちょっと気まずい感じだけども。

「恒例行事?」
 まさか、福利厚生として時々、舞踏会を開いてください、とかいうわけじゃないよな?
 臣下しかこないといったって、俺は拒否したい。理由はもちろん、面倒くさいからだ。
「昨年は、新任一年目なためご多忙でいらっしゃいましたから、我々もご遠慮いたしましたが――さすがに二年続けて何の音沙汰もないというのは、あまねく臣下に対し、示しもつかないかと」
「フェオレス。すまん、ちっともピンとこない」

 ちなみに、魔族に祭事はほとんどない。
 年が明けたから、誰の誕生日だから、収穫が豊かだったから、とかいって、人間たちはいちいち大騒ぎをするらしいが、我らにはそんな習慣はないのだ。
 自分の誕生日だって覚えていないどころか、年齢すらおおざっぱだ。
 成人の一年前に役人がやってきて、そろそろ紋章を考えておけよ、と、知らせてくれる制度がなければ、自分が大人として認められる年になったことにも気づかないだろう。
 そんな俺たちが一年に一回、開催することといえば……。

「あ……大演習会か!」
「はい、その通りです。閣下」
 俺が机を叩きながら叫ぶと、フェオレスはこくりと頷いた。

 しまった、それがあったか。
 そうだった。
 あれだ、大演習会。
 俺も毎年参加してたっけな、そういえば。

 軍団に所属する魔族のすべて……つまり、有爵者・無爵者に限らず成人した魔族のすべてがその日、大公城の前地に集まり、軍事演習を行うのである。
 つまり、アレスディアやエミリーのような、普段は軍事に関係のない者も参加するのだ。彼女たちだって、一応軍団員ではあるからな。

 一介の男爵として参加するのは楽だったが……あれを俺が開催しなきゃいけないだって? うわあ、めんどくさそう。
 総力戦を想定したところで、実際にはどうせみんな好き勝手に動くんだから、やる意味ないんじゃない? と、言いたいところだが、そうはいかないか。

 ちょっと待てよ……あれ終わった後で、毎回、大公城で有爵者のみの舞踏会みたいなのがあったよな……なんだよ、結局それもやらなきゃいけないのか。
 ちなみに、これは完全に有爵者だけの会だ。マーミルがいくら参加したがっても、ちらりとのぞくのも許されない。
「大公って……面倒くさいな」
「ジャーイル閣下?」
「いや……なんでもない」
 ほんと、次から次へと仕事がわいてくる。いったい、いつになったらのんびりできるんだ。
 なるほど、ほかの大公たちが真面目に仕事をしないのも、今なら少しは理解できる。俺だって、できれば適当に投げ出して、臣下に任せられるものなら任せたい。

「俺は男爵としての参加経験しかないから、演習の内容については、かなり副司令官たちの知恵を借りないといけないと思うが」
 フェオレスは余裕の笑みを浮かべて、頷いてくれる。
「もちろんです、閣下。お任せください。そのために私共はいるといっても、過言ではございません」
 おお、なんという力強いお言葉。
 よし、任せてしまおう。そうしよう。
「ありがとう、助かるよ」
「では、いかがいたしましょう? 明日にでも、会議を招集いたしましょうか?」
「ああ、頼む。……できれば、午後で」
 午前にはマーミルたちの騎竜の練習につきあわねばならないからな。
「かしこまりました。問題はないと思いますので、他の副司令官にも声をかけておきます」
 フェオレスは立ち上がり、優雅に腰を折った。彼はあの軍団式の敬礼をあまりしない。フェオレスほど所作の洗練された者にとっては、苦痛なんだろうか、あの笑っちゃう敬礼。
 いや、でも、フェオレスが珍しく敬礼したところを見たことあるが、なんか格好良かった。俺、素直に感心したもん。ここぞという時にしか、しないのかもしれないな。

 しかし、副司令官そろっての会議か……もちろん、ジブライールもくるんだよな。
 ……よし、きっぱりすっぱり、会議が始まる前にお礼をいって、謝ってしまおう! それですっきり、会議に臨もう。  俺はそう固く決意したのだった。

 ***

 しかし、まずはアディリーゼだ。
 エンディオンからも状況の説明をしてもらったが、フェオレスとほとんど同じだった。
 ただ、「デイセントローズ大公は寛容、かつ親しみ深い笑みを浮かべて、アディリーゼ嬢をお許しになられました」
という、好意的な解釈を聞いたときには、歯がゆい思いがしたものだ。
 だが、呪詛をかけた者の実名を知らないだけのサンドリミンとは違って、エンディオンはマーミルの発熱が呪詛だということさえ、そもそも知らない。
 俺の気持ちが落ち着いたらいずれは話すつもりでいるが、今はあのラマを感情のままボロクソにこき下ろしてしまいそうだから、ダメだ。

 とにかく俺は、予備棟にあるアディリーゼの私室に向かった。
 ついこの間、スメルスフォの私室へ招かれたばかりだから、特に予備棟において雰囲気の変化は感じない。
 俺がノックをしてアディリーゼの居室に入っていくと、スメルスフォが驚いたようにソファから立ち上がった。
「まあ、ジャーイル大公」
 スメルスフォは割と動じないタイプのようだが、さすがに娘の行動に衝撃をうけたのか、その表情には困惑と不安の色がありありと浮かんでいる。

「この度は、ほんとうに……なんとお詫び申し上げてよろしいものか……」
 そう言って、スメルスフォは深々と頭をさげてきた。
「いや、スメルスフォ。顔をあげてください。アディリーゼの気持ちもわからないではない。それに、今回は幸いにも大事にはいたりませんでしたし」
「寛大なお言葉、痛み入ります。ですが、この件に関しては……すべて私の監督不行き届きですわ。貴方には、私も娘たちも、本棟には近づかぬ、近づけさせぬと約束しておきながら……」
 スメルスフォは顔をあげようとしない。
 彼女らにとって、デイセントローズはマストヴォーゼの仇だ。だが、今日のところは俺の大切な客人であったわけだ。スメルスフォの心中も複雑だろう。
 事実は俺にとっても大切な客人というよりは、敵に近いのだが。

「なんにせよ、アディリーゼが無事でよかった」
 俺はスメルスフォの肩に手をやり、彼女の上体を起こさせた。
「マストヴォーゼの剣を使ったと聞いたが、保管は貴女が?」
「はい……あれ以来、私が形見として保有しておりました」
 俺が彼女に剣を渡して以来、か。
「ジャーイル閣下にお渡ししておいた方が、よいのであればそういたしますわ」
「いや……貴女がそうしたいならともかく、その方がよいとはおもっていませんよ」
 故人のものをその家族が所持しているのは当然だ。別に、危ないから取り上げようなどと考えない。
「保管には、重々気をつけます」
 まあそれも……おまかせしよう。

「それで、アディリーゼは?」
「それが……フェオレス閣下に送っていただいて以降、寝室にこもって顔もみせません。部屋から出て、大公閣下にお詫びにいきましょうと言っても、中からは返事すら……」
 スメルスフォの瞳はにじんでいる。マストヴォーゼが亡くなったと聞いても、俺の前では泣かなかった彼女だが、今は娘が心配でたまらないのだろう。

「俺はこの件で娘御を罰するつもりはありません。あなたにもアディリーゼにも、それを伝えにきたのですよ。ただ、アディリーゼ。母上に心配をかけたまま閉じこもるっていうのは、いただけないな」
 寝室へ続く扉の隙間からのぞいていたアディリーゼが、俺の言葉にビクリと驚いて、扉を大きくあけた。
「あ……ああ、あの……」
 うん、やっぱりいつもの気弱なアディリーゼだよな。
 本当に彼女がデイセントローズに剣を振りかざしたのか?

「私……あの……我慢しようと……言い聞かせて……でも、デイセントローズが……あの男が、同じ城にいるのだと思うと……」
 オロオロと視線は床をめぐっているが、両手は胸の前で白くなるほどギュッとあわされている。
「ご……ごめんなさい……ジャーイル閣下」
 そうしてアディリーゼはおずおずとした仕草で寝室から出てくると、母親と同じように深々と頭をさげた。

「別に、俺に謝ることはなにもない。俺だって、両親を爵位の簒奪で亡くしているから、君の気持ちがわからないでもない」
 だが、爵位の簒奪が日常である魔族の子供にとって、復讐は現実的ではない。どれほど相手を憎く思ったとしても、自分が相手より弱いとわかっていて立ち向かうほど、我々は純粋ではない。
 大半のものはそれが魔族の習いなのだから仕方のないことだと思っているし、残った片親に言い含められて、あるいは自分自身で言い聞かせて、復讐を諦める。それができない、本気で仇をうちたいと考えるのなら、まずは自分の腕を磨いて相手の爵位に挑戦するのが筋だ。

「だが、その弱さで大公に剣を向けるのは、自殺行為以外のなにものでもない。謝るなら俺にではなく、一報を聞いて肝を冷やしただろう母君にこそ、そうすることだ」
 俺としては、かなり優しくいったつもりだが、顔を上げたアディリーゼの瞳には、大きな水たまりがたまっていた。

「お母様……ご……ごめんなさい……」
 スメルスフォは立ち上がり、娘に駆け寄ってその身体を抱き寄せた。
「アディリーゼ……。もうニ度と、あんなことはしないでちょうだい」
「……はい……」
 娘も母の背に手を回し、ぎゅっと抱き合う。
 うむ。美しき哉、母娘の愛。

「ジャーイル閣下……」
 アディリーゼが、母の胸から顔を上げて俺をじっと見つめてきた。
 すぐ目をそらす彼女には、珍しい。
「私……悪い子だから……もう、駄目ですか?」
 ん?
「私……もう……ジャーイル大公に……」
 また、いつもの気弱な雰囲気に戻って、床に視線を落とす。

 えっと?
 何が駄目なんだ?
 いいも悪いもアディリーゼに言ったことはないが。と、なると。
「もしかして……騎竜の練習か?」
 長女はコクリと頷いた。
「いや、もちろん、駄目じゃない。別に……こんなことがあった位で、竜に乗せないし、外出も禁止だ、とは言い出さないさ」
 別に俺は君の父親でもないしな。
 この間も感じたが、アディリーゼはいやに騎竜の練習に乗り気だな。
 どこか一人で出かけたいところでも……はっ、まさか、フェオレスの公爵城へ……。
 い、いや、勘ぐるのはやめておこう。

「明日、晴れたらみんなで練習を始めような」
 俺がそう言うと、アディリーゼは瞳を輝かせて頷いた。

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