新任大公の平穏な日常
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【第二章 二年目の日常】
翌日、外は大荒れだった。横殴りの雨が外壁を叩きつける音が、城内にも大きく響いている。
とうてい、竜を駆るのにふさわしい天気ではない。
そう、今日から始めようという、初心者にとっては特に。
「ぶー」
おかげで妹も大荒れだ。
それも仕方ない。練習が始まるのを、あれだけ楽しみにしていたのだから。
「楽しみに待つ時間が増えたのだと思えばいい。一日二日、遅れたところで、やることは変わらんし」
正直、俺は助かる。仕事を少しでも片づけられるし。
「一日二日の遅れですむなら、私だって文句はいいませんわ。でもきっと、この機会をのがしたら、次はかなり先になるんじゃないかと思うわ」
まあ……確かに次の日程は考えていない。
うん、考えていないが。
「お兄さまは仕事にいってくるよ」
「ええ、今日はお休みじゃありませんの?」
マーミルが立ち上がり、異を唱えてくる。
「いや……せっかくの時間を有効につかいたい。雨が降っているからといって、仕事はへらないからな」
俺はぶーたれる妹の頭をなでて、居間を出た。
仕事には行く。本当だ。
だが、その前に、俺にはやらねばならないことがあるのだ。
そう、会議の前にジブライールを捕まえて、お礼と謝罪をしなければ!
でないと、会議の間じゅう、表面上はつくろえても俺の心中がうるさいことになるからな。
なにせ、あれだ……あの日、俺が廊下で彼女から逃げ去って以来、まだ一度も顔をあわせていないのだ。
だが……いるかな、ジブライール。この間もフェオレスが意見しに来てたくらいだし、俺に会いたくないからと会議の直前までこないつもりだったりしたら。
俺は不安にさいなまれながら、本棟に足を運んだ。
「誰か、今日はジブライールを見たか?」
侍従を何人か捕まえて、聞いてみる。
だが、誰一人としてその行方を知っているものはいなかった。
やはり、今日はまだ来ていないか。
だからといって、この雨の中……ジブライールの公爵邸をわざわざ訪ねるのもなあ。いや、逆にこの雨だから、俺がこっそり抜け出しても、誰にもばれないか?
でも、わざわざそこまでやるっていうのもどうだろう。いくらこの後顔をあわせ辛いからといって。
ジブライールの方は、そこまで気にしていないかもしれないし。だとすれば、俺が訪ねていったりなんかしたら、逆効果だろうし……。
そう逡巡していると、エンディオンがそっと声をかけてきた。
「旦那様。ジブライール閣下が、ご面会をご希望なのですが。……先日の件で、だそうですが」
おお、マジで?
「もちろん大歓迎だ。執務室だな」
「いいえ、旦那様」
「え? 違うの?」
じゃあこの間、デイセントローズと対面した応接だろうか?
「それが、できれば内密に……とおっしゃったので、目立たぬよう、休憩室にお通ししてございます」
休憩室、というのはあれだ。俺が、執務に疲れたときに、ちょっと休むためのこじんまりした部屋だ。仮眠もとれるソファだとか、ロッキングチェアだとか、図書館から持ち込んだ本だとか、そういうのが置いてある癒し空間なのだ。そこにはエンディオンやワイプキーでさえ、許可なく入ってこない。
だからその部屋にいるときは、もちろんお茶だって自分で用意するのだ。
もっとも……小休憩のための部屋なので、そこでゆっくりすることはほぼない。
「ありがとう。エンディオン。しばらく、誰も近づけないでくれ」
俺がそう言うと、エンディオンはいやに物知り顔で、しっかりと頷いた。
***
「先日は、本当に、申し訳なかった!」
休憩室に入るなり、俺はジブライールの顔も見ずに九十度のお辞儀をした。こういう時は、ズバッと謝ってしまうのが一番だ。
「閣下……そんな……」
オロオロとしたジブライールの声が頭の上から降ってくる。
「お顔をあげてください。そんな、閣下が頭を下げられることはなにも……」
それでも俺が頭を上げないので、ジブライールはこちらに近づいてきたようだ。
「こちらこそ、申し訳ありませんでした。まさか閣下が軟膏を飲まれていたとは……つゆ知らず……」
いや、別にジブライールは何も悪くないんだよ。知ってるも知らないも、関係ない。謝らなくていいんだよ。謝るべきは俺なんだよ。ジブライールに対して邪な考えを抱いたんだから。
「申し訳……ありませんでした。私のせいで」
弱々しい、震える声に、俺はようやく顔をあげた。
いつどおり軍服を着たジブライールが、いつもの直立不動ではなく、肩を狭め、自信なさげに床をじっと見つめて立っている。
その瞳は潤んでおり、顔はかつてないほど青ざめていた。
え……なんでここまでジブライールが気にしてるの?
「いや、ジブライール……謝るのは俺の方だ。君のせいではない。こっちから協力をお願いしておいて、あのザマはないよな。情けない。それより、足は大丈夫だったか? ひねって痛めたんじゃないか?」
「いえ、大丈夫です。私はどこも……」
「そうか。よかった」
俺が笑いかけると、ジブライールは少しほっとしたような表情を浮かべた。
よし、大丈夫。今日は大丈夫だ。
別にジブライールに対して邪念は抱いていないし、おなかも痛くならない!
ジブライールも、ちょっとだけ元通りだ。がんばろう。
「あのときも言ったが……君とエミリーには礼をしないといけないと思っている」
「そんな、お礼だなんて」
「いや、欲しいものがあれば、何でもいってくれ。それとも、俺に望むことがあるならそっちでも。君たちが協力してくれたおかげで、妹も元気になったし、俺も……」
いや、俺は別にあれか。単に醜態をさらしただけか……。
「閣下に望むこと……ですか?」
ジブライールの瞳が、キラリと輝いた気がした。
「あ、できれば……痛くない感じで」
鞭で殴らせろ、とか、足蹴にするのを耐えろ、とか言われたら、俺は魔王様ではないのでちょっと……そこまではちょっと……。
さらにさらに、爵位をかけた挑戦を受けろ、なんて言われたら、俺はきっと涙目になってしまう。
「そ、それは、もちろん、閣下は痛くない方向で……」
え、なんで照れてるの? なんでちょっと目を潤ませてるの?
エミリーに申し出るときは、絶対、物だけにしよう。そうしよう。
「本当にすまなかった。でも、できれば俺の醜態は、忘れてくれると助かるけど」
話題転換が必要だ。これ以上はちょっとやばい気がする。続きは日を改めよう。
「醜態だなどと……ですが、閣下がそうお望みであれば、努力します」
「ありがとう。ホッとしたよ」
今日のジブライールはアレだな……ずいぶん、雰囲気が柔らかいな。
俺のことを軽蔑して、ゴミ虫を見るような目で見てくるんじゃないかと思っていたが、いらぬ心配だったようだ。
「それにしてもアレだな。やっぱり美人にああいう格好をされると、普段はなんとも思ってなくてもあの有様だもんな。やっぱり男ってのはバカだよな」
「…………」
「……?」
「……………………」
あれ? なんか急に、室内の温度が下がった気が……。
「ジ……ジブライール?」
「……そうですか、普段は全く、何とも思っておられなくても、ですか」
ん? あれ?
ジブライールさん、なんか急に雰囲気が……。
突き放すような言葉と態度、氷をはらんだような冷たい低い声。
あれ?
怒ってる?
え、なんで?
なんでそんな急に?
さっきまでの、柔和な笑顔はどこに?
え? なに、俺、なにかマズったか?
…………。
いや、待て、そうだよな!
今の、君のエロい格好に、僕は欲情しました、って言っちゃったようなもんだもんな!
バカか、俺!
「閣下」
「はい」
見られるだけで首が飛びそうなくらいの視線の鋭さに、思わず背筋が伸びる。
「もう二度と、今回のようなことは、なさいませんよう」
「ごめんなさい。二度としません」
俺はもう一度、光の早さで謝った。
***
とにもかくにも、ジブライールさんとのわだかまりは溶けた。
溶けた……はずだ……。
「では、大演習会に関する第一回目の準備会議を始めます。初回の司会進行は、私、ジブライールが務めさせていただきます」
会議の進行をするジブライールさんの、声と視線が怖い……。
なぜだ……。俺は何を間違ったのだ?
「では、基本事項の確認から。参加に関してですが、我らが大公領に属する成人魔族は全員参加、さぼる者は許しません」
怖い……さぼったら、どんなお仕置きをされるんだろうか。
「場所は大公城前、これまでと同様に、三部構成となります。一部につき、一日を消費で三日。四日目に有爵者のみを招いて大公城で舞踏会が開催されます。これについて、ご意見のある方は?」
ジブライールが三人の同僚と俺の顔を順に見渡す。が、確かに視線は上を通ったんだが、目はあわせてもらえなかった。
「はーい」
静かな中、手を挙げた者がいる。
デヴィル族の副司令官、ヤティーンだ。ちなみに顔は雀で、いつもエンディオンの猛禽っぽい顔を見慣れていると、とても可愛らしく見える。
「三部もいらないんじゃないですか? 二部でいいじゃないですか? 三日目から四日目にかけて、まるまる舞踏会にしましょうよ」
こいつ……だるそうに話すと思ったら、提案内容も面倒くさがりそのものだな。
「三部目に総力戦やるから、いっつもその後の舞踏会が不気味なものになってると思うんですけど。いっそ二部までで楽に終わって、後を楽しみましょうよ」
俺にじっと視線を向けて、訴えてくる。
ああ確かに。有爵者だけの舞踏会は、いつもダルダルだ。なにせみんな、三部の模擬戦で死力を尽くして戦うからだ。力を抑える?
そんなこと、脳筋魔族にできるわけがないだろう!
「却下だ」
ジブライールさんの返答は素っ気ない。
「なんで毎回却下なんだよ」
毎回言ってるのかよ。気持ちはわかるけど、採用されないのはわかりきってるだろ、それ。
「せめてちょっとは考えるそぶりしろよ、ジブライール。まったく、ほんとにお前は可愛げが皆無だな。そんなだから、いつまでたっても独り身なんだよ。それどころか、お前、今まで」
そのせりふが終わりまで言われる前に、ジブライールの殺気だった視線がヤティーンを貫く。
「黙れ。閣下の御前だぞ。演習会に関係のない話はつつしめ」
うわ、こわ……ジブライール、今日はいつもに増して、機嫌悪いな。もしかして……もしかしなくても、俺のせい?
「ちぇ……こんなの、いつも同じなら、毎回話し合う必要ないじゃん。しかも、このあとも何回も何回も会議しないといけないのに」
おお!
あの視線にひるみもせず愚痴を続けるとは、可愛い顔して肝の据わった奴だな、ヤティーン。
「全魔族参加の大演習。下級の魔族にとっては、閣下に自分の存在をアピールするための、数少ない機会だ。それになにより、この大演習会は他の大公領への示威行為でもある。完璧に行われなければならないのに、打ち合わせで手を抜いて、どうする」
厳しい顔をして机上でたくましいゴリラの手を組んでいるのは、ウォクナンだ。体躯も服の上からでもわかるマッチョなのに、その上に乗っている顔がリスなので、違和感ハンパない。
同じデヴィルだと、そういうところは感じないのだろうが。
あと、声もちょっと可愛い。性別は今は男だと知っているからいいが、そうでなければ悩んだだろう。
「さて、それでは今回の我々の役割についてですが」
おっと。唯一冷静なフェオレスが、ジブライールの代わりに司会進行だ。
なるほど、だいたいいつもこんな感じで副司令官たちはまとまっているのか。いや、まとまってはないか。
「ジャーイル閣下。ご希望はございますか?」
「え、俺?」
まさか、ここで話を振られるとは思っていなかった。
「希望ってつまり、どの副司令官にどの構成の指揮を任せるかってことだよな?」
「さようです、閣下」
四対の視線が、俺に集まる。
一部に一人、二部に一人、三部には二人か。
「いや、別に結局全員がなにかしらの役を負うなら、誰がどこでもいいんじゃないかな」
男爵として参加していた時は、指揮官が誰かとか、あんまり気にしたことはなかった。軍団長であるティムレ伯爵あたりには、影響もあったのかもしれないが、下位の者にとっては誰であろうが軍団長の指示通り動くだけだから、関係ないのだ。
俺の発言を聞いて、ヤティーンがキラリと瞳を輝かせ、ジブライールを見据えた。
「よし、じゃあ、俺とジブライールで三部に模擬戦をやるのはどうだ?」
それを受けるジブライールの表情も、今日はいつになく好戦的だ。
いや、性格はもともと好戦的だが。
「面白い。受けてたとうじゃないか」
なにこの二人、永遠のライバルとか、そういうの?
あっちでもこっちでも、みんなライバル作り過ぎじゃないですか?
「じゃあ、一部の担当は、いつものように私が」
ゴリラ手がはずんだように挙がった。
「いや、一部には私も立候補したいのだが」
フェオレスも負けじと猫手を挙げる。
それを見て、ヤティーンとジブライールもハッとした表情を浮かべる。
「ま、ま…………わた……いや……」
「あ、そっか、なら俺も考えなおしたい!」
ジブライールは口ごもり、ヤティーンが焦った様子で言い直した。
なんだ? 一部の指揮官って、何か特別なことでもあるのか?
「ジブライールは遠慮しろ。なんだかんだうまいことをいって、お前はいつも閣下への使者にたつからな!」
え? なに、俺がなんか関係あるの?
「ば……何をバカな! 変な言い方をするな、べ、別に私は……」
焦るジブライールを華麗に無視するヤティーン。
「お前たち、以前はあからさまに避けていただろ! いつも私にばかり押し付けてきていたじゃないか! 今回だって、押し付けてくれて一向に構わないのだが」
ウォクナンが、机を叩きつけるようにして立ち上がる。
「そりゃ、あのネズ……ヴォーグリム大公の時と今とじゃ、事情が違うだろ」
「そんな勝手な言い草が、通じるか!」
今度はヤティーンとウォクナンがにらみ合いだ。
「よろしい。では、ここは公平に、閣下に選んでいただいてはいかがか?」
二人の間をとりもつように、フェオレスがやんわりと口を挟む。
「ジャーイル閣下、私と、ヤティーンと、ウォクナン。当日は、誰をおそばに置かれますか?」
ん? おそばに置くってどういうこと?
「一部の指揮官は三日間、閣下のおそばにあって、大演習会の解説を務めることになっているのです」
フェオレスが説明してくれた。
ああ、そうなの?
ふうん、そうなの。
三日間もずっとかぁ。
俺はジブライールをのぞいた三人の顔を見回した。
正直、ジブライールの次に慣れているのはフェオレスだが……この機会に、あとの二人とも少し話ができれば嬉しいという気もするし。
しかし……好戦的な雀の目を見るに、ヤティーンを選ぶと、後ろから襲われそうな気がしないでもないな。
「ウォクナン」
俺がそういうと、リスは胸の前でグッと拳を握りしめ、程度の差はあれど他の二人はあからさまにがっかりしてみせた。
「なんだよ……この際だから、弱点とかいろいろ探りたかったのに」
をい、待て、雀!
お前、物騒なこと言うんじゃありません!
やっぱりウォクナンにして正解だったか。
「仕方ねえな。じゃあ、ジブライール。やっぱり俺とお前で、三部はやるか!」
「いいだろう」
再度二人の間に火花が散る。
お願いだから、君らはともかく、部下たちにはあんまり無茶させないでね。
「では今回の会議では、所属軍団まで決めて、一端おひらきといたしましょうか」
「そうだな」
「異論ありません」
フェオレスの提案に、俺と他の三人はうなずく。
そこへ、しごく暢気な声がかかった。
「へぇ、なるほどねえ。大演習会の会議か。俺のところもこんな感じで決めてるのかな」
席に着く五人の誰のものでもないその声に、副司令官たちが殺気立つ。
だが、発言の主を確認すると、それはすぐにとまどいに変わった。
「おい、部外者は立ち入り禁止だぞ、ベイルフォウス」
俺の注意に嘲笑を返してきたのは、近頃この城ではとんとご無沙汰の親友だった。
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