新任大公の平穏な日常
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【第二章 二年目の日常】
二度目の会議からは、副司令官の命令を直接受ける各方面の司令官――軍団長の中から特別に選ばれた八人――と、軍団医務長官、つまりサンドリミンが加わる。
この間の礼のことでサンドリミンとは話がしたかったから、ちょうどいい。
サンドリミンが会議の始まる時間より早くにやってきたのを幸いと、俺は会議室に続く控え室にサンドリミンを呼び寄せた。
なぜ会議室で話をしないのかって?
なぜならば、俺は会議に参加する全員がそろったあとで、この控え室から出ていくことになっているからだ。
副司令官たちだけの会議だとそんなこともないんだが、なぜか軍団長が加わるようになると、急に仰々しくなるのだ。
始まりには、全員がそろって起立しているところへ俺が入っていき、会議の終わりには再び直立不動で見送られる。
「サンドリミン。この間の、軟膏の一件で」
「申し訳ありません、閣下。あれ以上の進展は、今のところ……」
「いや、違う。そうじゃない」
サンドリミンが忙しいのはよくわかっている。なにも、研究が進んだかとせっつきたいがために、呼んだのではない。
「医療班にはずいぶん、マーミルに力をつくしてもらったからな……礼をしたいと思ってるんだ。あとは、ほら……エミリーを押さえてくれたらなんでも言うことを聞くって約束したろ」
後半、ちょっと小声になったのは、許してほしい。
俺にも一応、プライドがある。
「ああ……」
サンドリミンは心得たように頷いた。
「では、閣下……私は二つほど、望みを叶えていただけるので?」
「一つは医療班全体への礼だが、もう一つは君個人に。……まあ、俺にできることに限るが」
サンドリミンなら、あんまり無茶なことを言わないだろう。
根拠はないが、なんとなく。
サンドリミンは象の腕を組みながら、しばしの間思考し、コクンと一つ頷いた。
「では、一つ目ですが。閣下は医療棟の現状をご存じでしょうか?」
医療棟……いや、この城の敷地内に医療班専用の棟があることは知っているが、それがどこにあるのか、場所すら俺はしらない。
「いや、すまないが」
「我々、医療班は普段から研究に没頭しておりまして。その、実は、情けないことなのですが、誰も皆、成果を出すことのみに夢中になりすぎて……ですね……ケガ人や病人を迎える処置室につながるエントランスでさえ、足の踏み場もない様子で……」
あんまり近づかないでおこう。
「それで、できれば掃除と資料の分類などをしてもらえる人員を配していただけないかと、常々思っておりまして」
「ああ、問題ない」
医療棟には研究員しかいないのか。そりゃあ、棟は汚れる一方だろうな。なにせ、専門分野の研究に夢中になる連中は、身の回りにまで意識が向かない者が多いから。
「今、一つは……そうですね、個人的な望みだというならば…………ア……アレスディアどのと……その、デ、デェトなど……」
は?
奥方はこいつに軟膏飲ませた方がいいんじゃないのか。
「悪いが、サンドリミン」
「いや、じょ、冗談ですよ、冗談!」
俺がしらけた目で見ると、サンドリミンはあわてて象手を振った。
「……少しお時間をいただいてよろしいでしょうか、閣下」
「気の済むまでどうぞ、医務長官どの」
俺とサンドリミンはにっこりと笑いあって、その場の会話をおさめた。
結局、最初に副司令官たちと話し合ってから、会議は十数回を数え、俺はマーミルとの騎竜訓練の約束を、まだ果たせずにいるのだった。
***
そして数日が経ち、いよいよ我が大公領の全軍団による大演習会が行われる当日。
正直、疲れた。
いや、細かいところはほとんど副司令官や軍団長たちが決めてくれたし、舞踏会の手配もさくさくっとエンディオンがやってくれたから、楽っていえば楽だったんだけれども。
あれ?
俺、疲れる要因なくね?
ないね、ごめんなさい。
だけどさ、ほら……なんていうの、会議はだんだん参加人数が増えていったわけですよ。
魔族って冷静な人より、短気な人の方が多いじゃない? すると毎回、誰かと誰かが軽いジャブを交わしあったりするわけじゃない?
いや、別にジブライールとヤティーンだけじゃなくて。
疲れるよね。自分が殴られてなくても、見てるだけでも疲れるよね、そういうの。
よし、決めた。この大演習会が終わったら、魔王様のところに顔を出そう。そうしよう。
そうと決まれば集中集中。
俺は城の前の荒れ地に設置された、遙か先まで見通す壇上の上に立ち、全臣下を前に声をはりあげる。
「それでは、第一回全軍大演習会『百棘の薔薇』を開始する」
いや、もう、コードネームについてはつっこまないで。俺だって恥ずかしいんだから、こんなこと叫ぶの。
でも仕方ないじゃないですか。みんな、会議でノリノリだったんだもの。
俺の紋章にちなんだ名前にしましょうって、みんなで張り切って考えてくれたんだもの。
これがいいって、一致団結していうんだもの。目を輝かせていうんだもの。
わかってるんです。参加する方は、そんなコードネームなんて気にしないんです。どうだっていいんです。
ただ、今日という日が無事に終わってくれることしか、考えてないんです。
でも、言う方の気恥ずかしさもわかるでしょ?
わかるよね? 恥ずかしいよね?
魔術に名前を付けるのすら恥ずかしい俺ですよ?
いや、逆に、恥ずかしくないと言って欲しい。大丈夫だと言ってはげまして欲しい。
まあ、そんなことはどうでもいいんです。
俺の宣言に応じる野太い雄叫びで、もうなにもかもかき消されてる感じですし。
「閣下、お疲れさまです」
いや、別にちょっと大声だしたくらいで疲れてはいないけれども。
しかしせっかくウォクナンが飲み物を出してくれているのだから、ありがたく頂戴しよう。
今日はアレですよ。俺が口にするものは全部、金の食器に注がれ、盛られるんですよ。
そして、それを給仕してくれるのが、エンディオンとかじゃなくて、このリスゴリラさんなんですよ。
今日のために、腰に吊してるのも金ぴかの儀式剣ですよ。
遠くから見ても、キラキラ目立つように、ピカピカに磨かれてますよ。
うわ、目立ちたくねえ。
せめておとなしく座っていましょう。そう、この、壇上の上に据えられた、仰々しくも派手派手しい薔薇の彫られた金ぴかの背もたれの椅子に! 青糸で細かい模様を刺繍した純白の衣装でね! 俺の紋章によく似た赤い薔薇を胸元にさしてね!
俺も魔王様みたいに真っ黒がよかったのになぁ……。なぜか、この衣装も会議でノリノリの部下たちによってきめられたのだ。
「白です、白。絶対白です」と、数人が言い出し、最後は「しーろ、しーろ」の大合唱だった。
なんなのだ、うちの軍団長たちは。
ちなみに、ティムレ伯爵まで悪のりしていたことは書き添えておきたい。
なぜ、誰も俺の意見を聞いてくれないのか……白熱する議論に何度も口を挟もうと試みたが、誰一人として耳をかしてくれなかった。その扱いには、未だに納得がいかない。
自分たちの軍服は黒地に青のラインにしたくせに。なぜ俺だけ白なのだ。嫌がらせなのか。
俺は君たちの主君ではなかったのだろうか。
まあ、もう当日を迎えてしまったのだから、仕方ない。
しかし、壮観だな。
竜の体高より遙かに高く作られた、その壇上から見渡す軍勢には、どこまでいっても切れがない。それはもう、ものすごい大迫力だ。
そりゃあそうだろう。全軍あわせて、数万……ん? 数十万? え? 数百万?
「約百五十万です、閣下」
すかさずはいる、ウォクナンからのフォロー。
そう、百五十万。
遠くなんてね、はっきりいって砂粒程度ですよ、砂粒。
俺が男爵として参加してたとしたら……うん、あの砂粒のあたりだな。
そして、ウォクナンの合図で始まる第一部は、各軍団の戦力の紹介とデモンストレーション。ごめん、近くは見えるけど、遠くはぜんっぜん見えない。でも、一応ちゃんと目はこらしてるから。
まあ……どうせ遠くは手を抜いてるだろうけど。自分の経験から考えても。
それにね、誰より張り切ってるのはたぶんウォクナンですよ。見てあのきっらきらしたつぶらな瞳。
ゴリラの胸はいつも以上に前に張り出してるし、頬袋ふっはふっはしてます。
おい、それ、何か入ってんの? 何か入れてんの?
え? テンションあがるの? 頬袋に何か詰めてたら、テンションあがるの?
くそ、こいつ……顔だけなら相当可愛いな。顔だけなら、な。
やばいな。退屈したら、ウォクナン観察しよう。
そう決意した俺は、ほんとにちょいちょい、ウォクナンを盗み見ることになったのだった。
だから、「いかがでしたか、本日の出来は!」と、期待に輝くつぶらな瞳を向けられた時も、俺は上出来だったよ、というあいまいな感想しか、返せなかったのだった。
***
夜は野営をして過ごす。全軍そうだから、俺だけ家に帰ります、とは言えないのだ。例え野営地の目の前に、大公城がそびえているとしても。
あ、当然、成人魔族は男女問わず強制参加だから、エンディオンやワイプキーたちも城を出て演習に参加している。もっとも、ほとんど大公城勤めは俺の周囲のこまごまを担当していて、眼下の軍団には不参加なんだが。
二日目は仮想敵部隊を想定し、戦陣をしくところから始まる。
午前は、密集陣形や方円他、様々な陣形の展開を楽しめ、午後からはそれに術式をプラスした陣形が組まれて目にも色鮮やかだ。
あれだな……自分があの中で動くのは大変だったけど、こうして見る立場になると楽しいもんだな。
なんといったって、俺は魔術を解析するのが趣味なので。
俺の眼下に設けられた指揮台から、全軍を指揮するフェオレスの姿もまた、いつもの通りの優雅さだ。戦闘の指揮をしているというより、まるで音楽の指揮をしているかのようで、そっちを見ているのも楽しい。
昨日の、唾をとばしとばしハッスルしていたウォクナンとは、同じ軍団指揮でもずいぶんやり方が違うんだな。
いや、どっちがいいとか悪いとか、そういうことじゃなくて。
この日のためにかなりの日数を、軍団員たちは練習の時間にあてている。
俺が椅子に座って詳細を決めている間、軍団員たちは実際に身体を動かして演習の準備をしているわけだ。
その過程でいろんな連中と知り合って、揉めたり、仲良くなったりして、それはそれで楽しくもあるんだが。
ちなみに、ティムレ伯爵に目をかけてもらったきっかけも、大演習会だった。
そして、いよいよ三日目。演習会の最終日がやってきた。
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