新任大公の平穏な日常
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【第二章 二年目の日常】
なんだな……男爵として参加していたときは、演習後の野営で繰り広げられるバカ騒ぎが楽しくって、その日の疲れは吹っ飛んでいったもんだが……大公って高みから見てるだけなのに、疲れがとれないのはなぜなのか。
うん、毎晩遅くまで、今日の反省会とか明日の運営確認なんかしているからだろうな。
俺もバカ騒ぎがしたい……副司令官たちはヤティーンをのぞいて真面目すぎるんだ。どうせいざ戦いがおこったら最後、陣形とか関係なく乱戦になるに決まってるのに。
いや、俺がこんなグチを口にしてはいけない……いけないけど、バカ騒ぎに加わりたい……。
昨日、軍団長たちを集めた会議の終了時、こっそりティムレ伯爵に声をかけて、昔のよしみで俺も宴会にまぜてくれ、と頼んでみたのだが断られた。
ちょっと……ショックだった。
いや、一回はいいよ、と言い掛けたんだ。だが、俺の背後に視線を移すや、すぐに首を横にふって拒否……何を見たのかと振り返ってみたが、そこには副司令官たちが真面目な顔をして話し合っている姿しかなかった。
なにをみたんだ、ティムレ伯爵……。
とにかく、その後はどれだけ手を合わせて頼んでも、頑として頷いてはくれなかったのだ。
ちょっと……寂しい。
「閣下。お疲れのご様子ですね。お酒など、お持ちしましょうか?」
この三日、ウォクナンがかいがいしく世話を焼いてくれる。
彼にして正解だったと思うのは、顔だけを見ていると癒される事実があるからだ。その後にゴリラマッチョな身体を見ると、ちょっと複雑な心境になるのだが。
ただ、可愛い顔にだまされる気にはならない。というのも、ふっと殺気を感じて振り返ると、ときどき俺の後ろで大きな口をあけて立っているからだ。
絶対、俺の頭を頬張ろうとしている。絶対だ。
「今、俺をかじろうとしてたよな?」
そう指摘すると、「すみません、なにせ閣下の髪があんまりきれいで、クルミかと思ったものですから」と答えやがった。
いや、クルミは金じゃないだろ? 金色じゃないよね?
それにこんなおっきくないよね?
なに、君のところのクルミは、品種改良でもして、人の頭ほどある黄金の実なの?
そうつっこむと、ハハハと笑ってすませやがった。
油断も隙もあったものじゃない。
「さあ、いよいよ模擬戦がはじまりますよ」
クリッとした愛らしい目に好戦的な光をみなぎらせて、ウォクナンはぐっと握った両手でウホウホと胸を打った。
うーん、この、顔とのギャップ。
俺は眼下に視線をめぐらす。
城の前地では、今まさにジブライールとヤティーンが全軍を背後に従え、お互い剣を手に対峙していた。
「今日も俺が勝たせてもらうぜ、ジブライール。百六十二戦目にして、八十二勝目の勝利をな」
挑発的に切っ先を突きつけるヤティーン。それに対するジブライールは、いつもの冷静さを取り戻している。
「単純な計算もできないとは、同情する。模擬戦としては未だ八十九戦目で私が四十五勝をあげているし、直接剣を交えたことをあわせても今日は百四十七戦目だ。そして、もちろん、私が七十四勝で勝ち越している」
「はあ? ふざけんな、この雌」
見えない火花が二人の間で音をたてているようだ。
「大丈夫か、あの二人。本気でやりすぎないよな?」
ちょっと殺伐としすぎてやしませんか?
「大丈夫ですよ、閣下。始まれば二人とも嬉々として戦闘を楽しみますから。それに、万が一のことがあれば、閣下がお止めになればよろしいのですよ。ここから大声を張り上げるだけでも、きっと二人はシュンとしますから」
えええ〜。本当かよ、このリスゴリラ。本当に大丈夫なんだろうな。
一応、発声練習でもしておくか。あー、あー。
「でも、俺のいうことなんて、聞いてくれるかな……」
「ハハハ。閣下みたいな怖い人の言うことを聞かない者は、一人としていませんよ」
な ん だ と。
この温厚な俺をつかまえて、怖いだと?
「私、実はあの時いたんですよ、あの場所に」
「あの時? あの場所って?」
「ほら、閣下がヴォーグリム大公をサクッとおやりになった時ですよ。私も実は、閣下に襲いかかった一人だったんですよね……。途中で怖くなって、死んだフリして地面に倒れてましたからね。いやあ、あのときは結局、大怪我しましたよ」
ハハハ、と、明るく笑い飛ばすウォクナン。
俺は以後、おとなしく黙っていることにした。よりいっそう、背後に気をつけつつ。
眼下ではいつの間にか、ジブライールとヤティーンによる牽制がすみ、両軍の背後に退いた二人は、お互い軍団の指揮をはじめていた。
だが、それも最初のうちだけだ。
まずは両軍とも、単調に層を重ねただけの陣形でにらみ合いをはじめ、そうしてどちらからとも判断のつかない大音声を合図に、一斉にぶつかりあう。
そう、あとは総力戦です。
昨日のあのバラエティーに富んだ陣形はなんだったのか?
突っ込んではいけません。
昨日は昨日、今日は今日なのです。
そう、魔族は脳筋なのです。
力押しなのです。
力こそ正義、強いこそ大正義なのです。
いや……俺だって正直、あんな風に二人が言いあっていたんだから、知力を尽くした戦いでも見られるのかとちょっと期待はしてたんだよ。
でも、そうだよね……そんなことがあるんなら、俺が男爵だったころにもそんな戦い方を経験していたはずだよね。一軍団員として。
あああ……ほら見てよ。司令部で指揮していたはずの、あの二人……ジブライールとヤティーン。さっきよりずいぶん前に出てきて、お互いから目をはなさず、わきわきしてますよ。
駄目だな、これ。超乱戦になるな……。
だって、指揮官が全く指揮してないもの。
まあ、参加しているほうからしても、この戦いで日頃のストレスも晴れるんですけどね。
とにかく全力で身体を動かして、戦ってればストレスが晴れるんですよ。平和で愛すべき、単純な種族ですよ、魔族ってのは。ほんとに。
医療班は毎度、大変だな。
サンドリミンの苦労に思いをはせつつ眺めていたら、またも感じた殺気。
しつこいな、ウォクナンめ。いい加減にしないと、その可愛い前歯を折ってやるぞ!
そう考え振り返る途中で違和感を感じる。
あれ? ウォクナンは前にいるんじゃないか?
身を乗り出すようにして、乱戦を眺めてる……よな?
それに、明らかに軽いよな。殺気が軽いよな。
と、いうことは?
俺はとっさに腰の儀式剣を抜いた。
明確な殺意をまとわせて振り下ろされてきた鋭い刃を剣で受け止め、はじく。ついでにその相手の首を狙ってけりをいれ、倒れる背中に右足を乗せて地をなめさせた。
おっと、危ない危ない。ウォクナンかと思ったままだったら、にらむだけですませるところだった。まあ、それでもどのみち一つ二つ、動作が増えただけで、結果は同じだっただろうが。
「閣下!」
さすがにウォクナンも眼下の盛り上がりをおいて、こちらの状況に気がついたらしい。
だが、ちょっと待て。なんだ、その目。
なんでこの不審者じゃなく、俺の方に驚愕の視線を向けてくるんだ。
「なんです、閣下。今の音もなく、術式も使わないで相手をねじ伏せるその素早さ……」
そう言ってウォクナンはちらりと演習場を一瞥した。
「あんまり早すぎて、誰も気づいてませんよ? ありえます、そんなこと」
結構なことじゃないか。演習が中断されて大騒ぎになるよりいいだろう。
俺はとりあえず、感想を述べるだけのウォクナンは無視することにして、右足に力を込めた。
「ぐえ」
「おい、後ろから俺の首をとろうだなんて、なめたまねをしてくれるじゃないか。大公位を得たいなら、正面から堂々としかけてくるべきだろう?」
足蹴にしている背中は筋肉で固いが、それでもそいつは苦しそうな声をあげた。だが、右手がかすかだが、もぞもぞと怪しい動きをみせている。術式をつかうつもりか。
俺は剣の切っ先を、そいつの右手の甲に当てた。
「おい、やるならやってもいいが、貫くぞ?」
低い声で脅しをかけると、そいつはぴくりと全身をふるわせた後、すぐに彫像のように動かなくなってしまった。
よし、抵抗の意志なしとみていいな?
剣をおさめ、男の背中から足を下ろす。
「さて、どこの誰なんだか、正体をあかしてもらおうか?」
そう言ってそいつの上体を持ち上げた。
無抵抗の男は完全に身体から力を抜いて、されるがままになっている。
俺はその男をひざまづかせ、左手で顎を持ち上げた。
目に飛び込んできたのは、どこかでみたようなネズミ面だった。
「お前……もしかして、ヴォーグリムの身内か?」
すみません。ネズミ顔だから、短絡的にそう思っただけです。なにも根拠があったわけではありません。
だが、ビクリと肩を震わせ、目を見開いて俺を見上げたところからして、的外れな指摘でもなかったようだ。
「なんと、ヴォーグリム大公の縁者が?」
ウォクナンが大声をあげる。
「おい、ウォクナン、あんまり大きな声をあげるな。ほかの者に気づかれる」
眼下では雄叫びを挙げながら、ジブライールとヤティーン、双方に配された軍団が、ぶつかりあっている。
みんな目の前の相手と戦うことに夢中になっていて、かなり高い位置に作られたこの大公席でのできごとには気がついていないようだ。
「なんと、ヴォーグリム大公の縁者が大公閣下を害そうと!!」
ちょ……まて、このリス!
顔は可愛いくせに、なんて肺活量だ!!
いや、身体はゴリラだからこその肺活量か。
そんなことより、あああ、ほらみろ。せっかく戦いに専念していた軍団員たちが、ぴたりと動きを止めてしまったではないか。
そして、一斉に壇上へと注がれる視線。
「聞け、皆の者! この、ヴォーグリム大公の縁者が、今まさに大公閣下を害そうと、なんと後ろから、後ろからだぞ、襲いかかってきたのだ!!」
ちょ……やめろ、リス。おおごとにするんじゃないって!
俺はあわててネズミの首根っこをつかんだまま、ウォクナンに歩み寄った。
「ウォクナン!」
「だが、見よ! このとおり、愚かで卑怯な振る舞いが、大公閣下に通じるはずはないのだ。私がその殺気に気づいて振り向いた時には、閣下はすでにこの不埒な男を地に伏しておいでだった! 私ですら、その瞬間を見逃したのだぞ! わかるか、このクソ共!! 我が大公閣下は、七大大公一の実力の持ち主だーーーー!!」
そして、ウォクナンのあおりに応えるように、地響きを伴う雄叫びが、軍団員たちから発せられる。
やめろ、七大大公一とか、バカなのこいつ。プートに聞かれたらどうするつもりだ!
サンドリミンといい、なんでうちの臣下って、みんな興奮して暴走するの?
「閣下」
そう叫びつつ、壇上に駆け上ってくる相手を見て、俺はホッと息を吐いた。
「ああ、フェオレス。頼むから、ウォクナンを止めてくれ」
いつも沈着冷静なフェオレスならば、このリスの前歯を塞いでくれるはず!
「爵位の争奪のつもりだというならば、後ろから襲いかかるなど卑怯きわまりない……この場で首をはねますか?」
フェオレス……お前もか……。
「いや、大事ない。このまま、予定通り模擬戦を……」
「とんでもございません、閣下」
副司令官二人が口をそろえて叫ぶ。
「今すぐこの男の首をはね」
「今すぐこの男を拷問し」
そうして数百万の軍団員たちから、競うように発される怒号。
「とにかく、この男の処断を!!」
ジブライールとヤティーンまでもが指揮を投げ出して駆けつけるにいたって、俺は演習会の続行を断念した。
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