新任大公の平穏な日常
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【第二章 二年目の日常】
「お・に・い・さ・まー! お・き・てー!」
ちょ……妹よ、なんで二日続けてお兄さまを起こしにくるのだ。迷惑だから、やめてくれないか。
「今日こそ、今日こそ、約束を果たしていただきますわー!」
ベッドをぽむぽむどころか、今日は俺の腕をつかんで直接ゆらしてくる。
「ちょっと、待て……お兄さまは、朝方まで……」
「朝? 朝まで!? 朝まで何なさってたんですの、い・や・ら・し・いー!!」
やめろ、耳元で叫ぶな。
あと、訂正しろ。お兄さまはいやらしくない。
昨日は大変だったのだ。
ジブライールと一曲踊った後、雪崩のように押し寄せてきた女性魔族と、もう一曲踊るのだと主張したジブライールの間で火花がちり、それをなだめている間にそろそろ興奮の度合いが高まってきた他の魔族たちの間で殴り合いの喧嘩が始まったのでそれを仲裁し、魔術を使用して暴れ出そうとした不埒者がいたので術式を解除し、ほっとしたのもつかの間、急に目の前で女性が倒れて俺によりかかってきたと思ったら、歩くたびになんだか倒れる女性が続出、ウォクナンがまた俺の頭を頬張ろうとしてきたので殴り、酒に酔って絡んできたヤティーンをチョップで追いやり、大変だな、と、せっかく労ってきてくれたティムレ伯爵と酒でも酌み交わそうかと思ったら、デヴィルの女は引っ込んでいなさいとデーモン族の女性が大挙をなして俺たちの間を引き裂き……はあ。
とにかく疲れた。喧嘩の仲裁くらいはぜんぜん平気なんだが、主に女性たちのがっつき感がすごくて……。
これが地位のおかげでないというなら、俺だって喜ぶのに。
それに、俺はヴォーグリムとは違う。
女性をいっぱい侍らせて、喜ぶ性癖はないのだ。
とにかく、俺はほうほうの体で元の椅子にたどり着き、今度はしがみついてでも二度と席を離れないと決意したのだった。
そうしたら、朝だった…………朝まで、お開きにはならなかったのだ……。
くそう、来年からは、もうちょっと対策を練っておこう。
「だって、お兄さま! もうあの約束から、いくら日が経ったと思っていますの? 愉しみに待つのだって、限度がありますわ! 今日は一日、お仕事もお休みだって聞きましたわ!」
エンディオンに内緒にしておいてくれと、頼んでおくべきだった。
「天気は……」
「快晴ですわ!」
雨よ、降れ。頼むから、降ってくれ。
「わかった……」
「本当ですの!?」
「ただし、午後からだ」
「わかりました! みんなにもそう言っておきますわ!」
ようやくマーミルは俺のベッドから飛び降り、ばたばたと寝室を出ていった。
今度、スメルスフォにもっと厳しくしつけてくれてかまわない、と言っておこう。
だが、とりあえずはこれで昼までの睡眠時間は確保した。
俺はもう一度、枕につっぷした。
***
確かに、今日は快晴だ。
竜の背に乗って、空を飛ぶのには最適だろう。
ああ、俺がもう少し、元気ならな。
妹を筆頭に、マストヴォーゼの五女までの計六人と、彼女たちが初乗りをするのにふさわしい小さな翼竜が六頭、つい一昨日まで全軍団員が陣を組んでいた城の前地に、横一列に並んでいる。
もっとも竜は竜だ。小さいといっても、体高は二m弱はある。
俺にとって幸いだったのは、フェオレスが手伝いを申し出てくれたことだ。
さすがにこの疲れた身で、初心者の子供たち六人を教えるのは辛い。
今日、彼が城にいたのはたまたまなのか……それとも、誰かに聞いて駆けつけてくれたのかはしらないが。
やめよう、俺。邪推はやめよう。
ほら、フェオレスだって、別にアディリーゼにばかりかまっているわけではないじゃないか。三女や双子にも話しかけて……ん?
どこを見てる?
フェオレスの視線を追った先にいたのは、城壁の狭間から見える……スメルスフォ?
「お兄さま、これでいい?」
妹に話しかけられ、俺は視線をフェオレスからはずした。
騎竜のはじめは、竜にプレッシャーをかけるところから始まる。
今から自分を乗せるんだぞ、暴れたり、言うこときかないと、許さないぞ、と、目を見て言い聞かせるのだ。
というわけで、妹はしごくまじめな顔で、じっと竜の眉間に額をくっつけるようにして睨みつけている。
「そんなに近づかなくていい。むしろ、そんなに近いと竜だって相手が誰やらわからんだろう」
「じゃあ、これくらい?」
妹は五歩ほど離れた。
「まあ、そうだな……」
「閣下」
俺が腕組みしつつ、妹の距離を測っていると、フェオレスから呼びかけられた。
「なんだ、フェオレス?」
振り返ると、困惑顔の猫顔があった。
「あの、これは一体……」
彼はそういって、じっーと竜とにらめっこをしている六人の子供たちを見回す。
「ん? なにが?」
「この……訓練ですが……竜をにらんで、何の効果が?」
えっ!?
「な、なにが? どういうこと?」
キョ……キョドってませんから!
「いえ……竜に慣れるのが必要なのはわかりますが、これでは信頼関係を築くことにはならないのではないでしょうか?」
え、信頼関係?
え?
竜と信頼関係?
そんなの……乗ってるうちに……得られるものじゃ…………。
「失礼ながら、閣下。閣下が騎竜を習われたのは、どなたから……何歳ほどのことでしょうか?」
なに、その尋問。俺の教えかたっておかしいの?
「習うって言うか……いや、俺の場合は……子供の頃に、野良竜を……つかまえて…………」
なにこれ。
竜の乗り方なんて、習おうが習うまいが、一緒じゃないの?
え、習わないといけなかったの?
自分で乗れるようになったらいけなかったの?
「マーミル嬢のお年くらいの時にですか?」
「いや……もっと……小さかった」
フェオレスが、ぴくりとこめかみを震わせる。
「なぜ、にらみあいを?」
「え……だって……竜はそりゃあ、子供だろうが、本能で魔族を畏れるから、逆らわないだろうけど……確実に上下関係を……」
「なるほど、理解いたしました、閣下」
ちょ……なんでため息つくの。
「申し訳ありませんが、閣下。閣下のやり方は、誰にでも通じるものではないと存じます」
「と……と、いうと……?」
俺の何が間違っているのだろう。
「お兄さま、フェオレス公爵に怒られているんですの?」
やめろ、マーミル。
「まず、閣下は思い違いをなさっておいでです。竜は、魔族の子供を畏れません」
え!?
ちょ……なにその、衝撃的事実……え?
今、俺の常識が音を立ててがらがらと……。
「ぎゃ」
叫び声に振り向くと、二女が額を押さえて尻餅をついている。
「いったーい!」
「頭突きをかまされましたね」
え!?
「大丈夫です、私と閣下がここにいる限り、それ以上のことは起こりません。力ある我々のことは畏れますから。逆にいうと、その程度のことは我々がいても起こるのです」
「え、でも……俺は子供の頃から、竜にあんなことされたことは……」
むしろ絶対服従、従順な感じだったんだけど。
「閣下は幼少のみぎりより、お強くあられたのですね。よくも長年、男爵位にとどまっておられた。不思議なくらいです。竜が畏れるのは、自分より確実に強いと判断した相手だけです」
や、それはいろいろ、がんばって調整したから。目立たないように、いろいろと。
「結論といたしましては」
はい。
「お嬢様方には私が指導いたしますので、閣下はそれをご覧ください」
え……え?
ええ?
ええええ?
「えー。お兄さま、教えてくれませんの?」
いや、お兄さまは教える気満々……いや、満々でもなかったけど、今日は。
「まあ、いてくださるのなら、かまいませんけど」
いいのかよ。
それから俺は、フェオレスが六人の少女に騎竜の仕方を教えるところを、黙って見ていることしかできなかったのだ。
***
「連日、お疲れさまでございます、旦那様」
はしゃぐ妹たちと一緒に城に戻った俺を、エンディオンが優しい笑顔で迎えてくれる。
「なんか俺……いろいろ、知らないことが多すぎてさ……大公がこんなのでいいのかな……もしかして、俺が常識だと思ってることって全部、他の人の非常識なんじゃないのかな……」
自信なくなった。いろいろ、自信なくなった。
「なにを気弱なことを、旦那様。竜の馴らし方が力押しであるとは、強大な力を持つ大公閣下に相応しいなさりようではありませんか。我が主君が並外れて偉大な方であること、臣下はこぞって納得し、喜びましょう」
いや、やめてくれよ、こんな話を大げさに広めるのは。それでなくとも、「ひい」とか「ひゃあ」とか、時々変な反応が返ってくるのに。
エンディオンも普段は冷静なのに、時々親ばかなところを見せるのが心配だ。
「とにかく、今期も大きな事件もなく領地を治められたこと、お祝いいたします」
ん?
「今期も?」
「あら、お兄さま! またうっかりなさってるの?」
またうっかりってなんだ、妹よ。
兄がしょっちゅう、うっかりしているような言い方はやめたまえ。
「お兄さまの大公就任三周忌をお祝いするために、今年もまた、プレゼントをご用意いたしましたわ! じゃ、じゃーーーん!」
そういって、妹は小さな縦長の小箱を俺に差し出した。
「ですからお嬢様。三周忌ではありません。三周年、です」
マーミルを待ちかまえていたアレスディアから、すかさず入るつっこみ。
「お渡しするのは明日でもよかったんですけど、今日はお休みだっていうし、だったら明日からすぐ使っていただきたくて、今日、お渡しすることにしたんですわ!」
ん?
このデジャヴ感。
「つまり、あれか……今日でこの城で過ごして」
「丸二年が経ちますのよ!」
おお、そうなのか。そんなこと、いちいちよく覚えてるな。自分の年も覚えてないのに。
「ありがとう、マーミル」
俺は箱を受け取った。
「すぐ、今すぐ、ここで開けていただいても結構よ!」
両手をしっかりと胸の前でくみながら、キラキラとした目で俺を見上げてくる。
えええ……正直、一人になってから、開けたいんだけど……なにせ前年が、あのパンチの効いたペンダントトップだったから。
だが、ここで妹をあからさまにがっかりさせるわけにもいくまい。
俺は十字にかけられたリボンをほどき、おそるおそる箱を開けた。
中に収まっていたのは……。
「ほら、とっても書きやすそうでしょ?」
立派な万年筆だった。もちろん、筒にマーミルの肖像画の彫られた……。
「仕事が忙しくて私に会えなくても、いつでも手元をみれば、ほら、お兄さまの可愛い妹の姿が! これで寂しくありませんわね」
「あ……ああ、ありがとう……」
俺は妹に、どうにか笑みを返した。
こうして俺の大公になって二年目の最後の日は、特筆すべきこともないまま、平穏無事に音もなく過ぎ去っていったのだった。
【魔族大公の平穏な日常】へと続く
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