古酒の隠れ家

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魔族大公の平穏な日常

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【第三章 成人式典編】

5.そろそろネズミくんも落ち着いたことでしょう



「すみませ〜ん。誰かいますか〜」
 俺はそろそろと、その扉を開いた。
 場所はここであっているはずだ、たぶん。聞いていたような悪臭は漂ってこないが。
 万が一間違っていても嫌なので、開いた扉から顔だけ差し込んで中を見てみる。

 あれ?
 やっぱり間違ったかな……話に聞いていた医療棟は、たしか足の踏み場もないような有様だったはず。
 だがここはどうだ。

 エントランス・ホールはこじんまりとしてはいるが、床はピカピカで塵一つ落ちていない。左手の壁際にはピリッと革張りのきいた椅子が五脚ほど整然と並び、右手の壁際に伸びた階段の脇には、きれいな赤い実を付けた観葉植物が置かれている。
 壁に飾られた絵はどれもきちんとまっすぐ、等間隔に飾られているし、嫌な臭いどころかほのかに甘い、いい匂いが漂ってくる。
 俺が聞いた話だと、医療棟のエントランスは書類の束がつっこまれた段ボールが乱雑に通路をふさぎ、天井近くには蜘蛛の巣がはびこり、ゆがんで飾られた壁の絵にはホコリが付着し、足を踏み入れようとしたら黒い小さなアレがヒュッと視界を横切る、という感じだったのだが。

 屋敷を間違えたか?
 しかし、本棟の北にある三階建てのこじんまりした建物といえば、ここだと思うんだけど。
 やっぱり誰かについてきてもらうんだったかな。
 迷いながら玄関の戸を閉めようとすると、奥の扉から見たことのある顔が出てきた。

 ヌーの顔をしたタコ手の……確か名前はウヲリンダ。
 彼女がいるということは、ここは医療棟であっているらしい。
「これは、ジャーイル閣下」
「やあ、ウヲリンダ。この間は世話になったね。ありがとう」
「いえ、仕事ですので」
 彼女は深々と俺に向かって一礼する。
「サンドリミンはいるかな? 様子を見に来たんだけど……」
「もちろんおります。すぐに呼んで参りますので、どうぞ、中へ」

 俺は彼女の案内で、応接室のようなところに通された。
 本棟の応接に比べると狭いが、置いてあるソファのクッションは悪くない。
 全体的に茶系統の色で室内は統一されており、それほど高価なものがないだろうとわかるからか、逆に安心感を感じる。
 そういえば、以前すんでいた男爵邸の応接が、こんな雰囲気だったことを思い出す。

「失礼いたします」
 くつろいでいると扉がノックされ、飲み物を置いた盆を手に、一人のデヴィルが入ってきた。
「おまえ……リーヴだよな?」
 どこかで見たことのあるネズミ面。他のものではあるまい。
「大公閣下……お久しゅうございます」
 いや、そんなお久しぶりじゃないはずだけど。

 なんか……リーヴ、変わったな。目がきらきらして、肌もつやつやしてないか?
「ちょうどよかった……お前の様子を見に来たんだ」
「え、僕のですか?」
 机の横に跪き、俺の前に紅茶のカップを置いた。ものすごく、手慣れた感じだ。
「こんな僕のことを気にしていただいて……嬉しいです」
 顔を赤くして、潤んだ目で見上げてくる。
 こいつ、やっぱり小心で純粋っぽいんだけどな。
 下位にはこういう、お人好しで気弱げなのが多い気がする。

「あ、それと……」
 懐をごそごそやって、白いハンカチを取り出してくる。
「この間は、本当に……ありがとうございました」
 ああ、俺の紋章入りのやつか。
「いや。別に返さなくてもよかったのに」
 そう言いながら受け取ろうと手を出したら、逆にハンカチを引っ込められた。
「本当ですか? いただいても、よろしいのですか?」
「ああ……いいけど……」
「で、では……ありがたく」
 そうしてリーヴはまたいそいそと、懐にハンカチをしまう。俺はなんとなく、差し出した手で空を二、三度握ってから、おろした。
 そのまま、せっかく入れてくれた紅茶でも飲むかとカップを手に取る。
 が、熱そうだ。もうちょっと、冷めてからがいいかな。

 迷っていると、再び扉がノックされ、サンドリミンが入ってくる。
「あ、じゃあ、僕はこれで……」
「いや、リーヴもいてくれ。言ったろ、お前の様子を見に来たんだ」
 立ち上がり、出ていこうとしたリーヴを呼び止めた。
「旦那様がこうおっしゃっておいでだ。お前もこちらへ」
「あ、はい……」
 そういって、サンドリミンとリーヴは俺の正面に並んで座った。

「旦那様。この医療棟へ、ようやくお運びいただけましたな。いかがです、ごらんになった感想は?」
「俺は前の様子は聞いた限りでアレだが……随分、清潔なところじゃないか」
 俺の言葉に、サンドリミンは満足げに頷いてみせ、そうして横で縮こまって座るリーヴの肩を叩いた。
「彼のおかげです。まさか、これほどよく働いてくれるとは! よい若者をよこしてくださったと、医療員は皆、旦那様に感謝しております」
「そんな」
 手放しに誉めるサンドリミンの横で、リーヴは背中を丸め、両手をぎゅっと膝においてガチガチに固まっている。

「そう、か。リーヴは使えそうか」
「ええ、それはもう! 掃除だけでなく、資料の整理もまかせているのですが、自分でも熱心に医療のことを勉強して、症例や治療別にうまく分類してくれますし。我々医療班としては、大変助かっております! 以前は医療員を呼びつけられるばかりでしたが、今は、少しの怪我などなら、こちらへやってきて、治療を受けて帰る者も増えたようですし。手間や時間が省け、研究にいそしむ時間にあてられると、医療員たちも大喜びで……」
 随分と、歓迎されているらしい。

「そうか。リーヴはどうだ? このまま、医療棟で今の仕事を続ける気はあるか?」
 俺の問いかけに、ネズミはキラキラ光る瞳を向けてきた。 「でも……その、私は、閣下の命を狙った大逆人で……」
 あ、自称が僕から私に変わった。
「いや、それは別に気にしなくていい。下位の挑戦を受けるのは、上位の義務だしな」
「で……でも、私の場合は挑戦とは……しかも、後ろから狙うだなんて、卑怯な手を……」
 まあ、確かに。あれは挑戦ではなくて、暗殺の類だな。本人に能力がなかったせいで、まったく機能していなかったが。

「申し訳ないと思うなら、そろそろ理由を聞かせてもらえないか? なぜお前程度の実力で、俺を害しようと思ったんだ」
「それは……」
 さっきまでとは別の緊張感が、リーヴを包む。
 しばらく沈黙が訪れた。

「旦那様、私は出ております」
 サンドリミンが気を利かせて立ち上がる。まあそうだな、必要だと思えば、後で伝えればいいか。
「ああ、悪いな、サンドリミン。少し、リーヴを借りてるよ」
「どうぞ、存分に。ですが……」
 ハエリーダーは俺の傍らに立つと、小声で耳打ちしてくる。
「リーヴの罪は存じておりますが、それを承知でお願い申しあげます。どうか、寛大なお沙汰を。医療員一同、そう願っております」
「承知している」
 いやだな。俺はいつだって寛大だよ。これだけ優しく接しているというのに、まだそんな念押しをされるとは……。いったい、配下のなかで、俺の評価はどうなっているんだ?

「ところで、サンドリミン。残ってる礼な。思いついたら、いつでも言ってくれ」
「はい、ありがとうございます」
「それから、もう一つ。悪いが、この間の軟膏……いくらかわけてもらえないか? 帰りに持って帰れると、助かるんだが。ウィストベル大公が欲しておいででな」
 帰りって言うか……うん、ここも<断末魔轟き怨嗟満つる城>の城内なんだけど。
「承知いたしました。ご用意しておきます」
 サンドリミンは一礼し、部屋を出ていった。

 二人だけになっても、リーヴは黙ったままだ。
 俺はせかすこともなく、そろそろ飲み頃になった紅茶を口に運んだ。
「本当に、申し訳ございませんでした」
 リーヴはやっと、言葉を発した。
「当然ですが、あれが成功するとは思っていませんでした。自分の実力が、ともすればか弱い人間にさえあっけなく滅ぼされてしまうほど、魔族としては劣ったものだと自覚しております」
 ああ、本当にそうだよな。たぶん、強い人間が相手なら、一対一でも負けるよな、こいつ。たいして魔力もないし。

「……父はヴォーグリム大公だというのに……」
 え、ちょ……なに鼻ぐすぐす言わせてんの?
 泣くの? 泣いちゃうの?
「だ、だから……母は……ぼ、僕のこと……」
 おいおい、いい大人なんだから、泣くなよ……俺どう反応したらいいの?
 慰めるべきなの、それともとりあえず黙って話をきいておいたらいいの?

「僕が……いつまでも、弱くて情けないから……でも、母はそんなこと、許してくれなくて……鍛えて、強くなり、いずれは閣下を倒して、大公の位につくのだと……」
 ちょ……まさか、お母さんに言われたからやりました、ってか?
「でも、僕なんて……僕なんて、そんな強くなれるはずもないし……ヴォーグリム大公が父親だっていったって、別に魔族は親の魔力を受け継ぐわけじゃないし……性格だって……」
「わかった……つまり、お前は母君に毎日けしかけられるのに耐えかね、自暴自棄になって俺をおそったというわけか」
 俺の言葉に、リーヴがこくりとうなずく。
 本当にそうなのか。
 気が弱すぎるのも考えものだな。

「僕が実際に大公閣下に挑戦して、あっけなく破れるのを見れば、母さんだって……」
 あっけなく破れるって、お前、それあっけなく殺されると同義語だぞ。
 俺でなければ、確実にそうなっていたぞ。
 生きて帰るつもりもない、っていってたし、覚悟はあったんだろうが。それだけ母親に追いつめられてたってことか。

 しかし、それだけ息子に期待してる母親なら、何か言ってこないものだろうか? あの事件は成人している全魔族の目前で……いや、おそわれた瞬間は、みんな気づいてなかったけど、演習会は中止されたのだし、何があったのだか知らぬ者はいないだろう。こいつの母親だって、当然参加していたはずだ。
 だが、誰かが助命の嘆願に現れたという報告はない。
 ちょっと調べてみるか。

「話はわかった。で、さっきの質問に戻るが、お前はこのまま医療棟で働く気はあるのか?」
 リーヴははじかれたように顔をあげ、すがるような瞳で見上げてくる。
「お……お許しいただけるのですか? こんな、情けない理由でも」
「別に理由はなんでもいい。ずっと言ってるだろ、戦いを受けるのは上位の義務だ。そんなことより現状、お前のおかげでここは清潔にたもたれ、医療員たちにからもその継続を望まれている。俺としては、この雇用契約を、続けられるかが一番の気がかりなわけだが」
「それは……それは、ぜひ」
 リーヴは椅子から滑り落ちるように床に膝をついた。その時、机ですねを打ったんだが、痛くないのだろうか? ゴンッっていったぞ、ゴンッって。

「僕、……こんなに優しくしてもらえたのって、はじめてで……感謝してもらえたのも、はじめてで……掃除も嫌いじゃないし、資料を整理するのも楽しいし、そのために医療の勉強をするのも……毎日が、ワクワクしてて……こんなの、生まれてはじめてで……」
 リーヴは上半身を机によりかからせ、両手をついて、額を思い切り振り下ろす。
「ここで、働きたいですっ!」
 おい、額もゴンッていったぞ。大丈夫か? この机、堅そうだけれども。

「なら、決まりだな。正式に医療棟に採用だ」
 俺がそう言うと、リーヴは顔をあげて、再度頭をさげた。
「ありがとうございますっ!」
 頭……痛くないのかな……。
 帰りにはサンドリミンが約束通り軟膏を持ってきてくれて、俺がリーヴをこの部署に正式採用するといったら、ものすごく喜んでくれた。
 まあ……俺の命を狙った理由とかは、話しておかなくてもいいだろう。

 それから本棟に戻り、リーヴの母親を調査するように命令を出したのだが、その女が行方不明であるため、調査は不可能であるという結果が返ってきた。
 行方不明、ということは、この大公領を出たということか?
 殺されるかもしれない息子をおいて?
 魔族も肉親にだけは、情があついかと思っていたのだが、なかにはこんな親子もあるのか。
 とにかく、その母親が見つからないのではしかたがない。
 俺はこの件は、これきりにすることにした。

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