魔族大公の平穏な日常
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【第三章 成人式典編】
俺がウィストベルの城から自分の城に帰り着き、医療棟を訪れるまでに、どれだけの緊張を強いられたかおわかりだろうか?
もうすっかりあたりは暗く、医療棟の玄関扉も閉まっていたため、俺がどれだけ必死で扉を叩いたか、おわかりだろうか?
そう、軟膏は俺の料理に混ぜられていた。トマトスープにだ。
当然、食べる前に気がついた。ウィストベルの魔力が漂っているのが見えたからだ。
だが、わかったからといって、それが何の役に立つ?
飲まない? ウィストベルは俺が気づくのをわかっていて、それでも入れているのにか?
ああ、そう。本心を言うと、飲まないでおこうと思ったさ。だけど側までやってこられて、耳元でこうささやかれたら、飲まないではすまないだろう?
「そうか、躊躇するか。そなたはつまり、自分の城に帰って解呪薬を飲むまでに、私以外の女に欲情する可能性が、確実にあるということなのじゃな?」
俺はすぐ飲んだ。
飲み干した。
そうして後は、女性には目を向けないことにした。
念のためだ。万が一のためだ。
確かに俺の好みは清楚な女性だが、だからといって、それ以外には反応しないわけでもないのだから。
行動にでるかどうかと、心の中は別なのだ。多少の妄想くらいは……勘弁してほしい。
仕方ないので、ウィストベルとベイルフォウスに集中した。
そうして夜中近くにやっと解放されるや、夜の飛行には向かない竜を超速で飛ばして、医療棟に駆け込んだのだ。
この日ばかりは、うちの城がデヴィルばかりでどれだけありがたかったかしれない。
対応してくれた医療員には白い目で見られたが、そんなことは知ったこっちゃない。
悪いがそこまで気を使っていられない。
わかるまい……この恐怖は経験したものにしかわかるまい……。
そうして解呪薬を飲んでやっと、俺は人心地つけたのだった。
「こんな夜中に悪かったな。ゆっくり休んでくれ」
「いえ……」
俺は欠伸顔の医療員に見送られて、居住棟へ足を向けた。
***
「お帰りなさいませ、旦那様」
いつものようにエンディオンが出迎えてくれる。
「悪いな、こんな時間なのに……」
「いいえ、とんでもございません。遅くまで、ご苦労さまでした。さぞお疲れでしょう」
最近ずっと、ねぎらってもらってる気がする。
「何か変わったことは?」
「いえ、特にはなにも」
俺はコートを脱いで、エンディオンに渡した。
「何かお口になさいますか?」
「いや、いい。ウィストベルのところでがっつり食べてきたし……今はちょっと、なにも口にしたくない。風呂にでも入って、それからすぐ寝るよ。エンディオンも休んでくれ」
エンディオンは俺の居室までついてきて、コートを衣装部屋にしまうと出て行った。
とりあえず、ちゃっちゃと風呂に入って、とっとと寝てしまおう。
解呪したとはいえ、一度でも呪詛を身体に受け入れるというのは、やはり気持ちが悪い。別に腹もゆるくはならないが、下っ腹が重い気がして仕方がないのだ。
まあ、気のせいだろうけど。
俺はいつもより長めに湯船につかり、それから特に腹のあたりを念入りに洗って風呂を出た。
気休めだ。
「はぁ……。最近毎日、寝る前はため息をついている気がするな……疲れがたまってるのか?」
そう独りごちて布団に足を入れる。
「まあ、それはいけませんわね。お疲れは、その日のうちにとらないと」
「そりゃ、そうできれば一番……」
ん?
今、誰か、俺の独り言に反応……。
ん?
今、誰か、俺の左腕に触って……。
恐る恐る、左に顔を向けた。
「ですから、ジャーイル様。私が疲れをとってさしあげますわ」
ぼんやりした黄色いランプの光の中、妙に艶めいた表情の白い顔が浮かび上がっていた。
「え……えええええ!? ちょ、だ……!?」
俺はベッドから飛び降りる。
なんで俺のベッドに、見知らぬ女性が!?
見知らぬ……あれ、なんか……見たことある顔……見たことある薄い金髪……。
まさか……いつもより、かなり化粧が濃いが、これは……。
「もしかして……エミリー?」
俺が相手の名を呼ぶと、その女性はゆっくりと身体を起こした。
スケスケのレースをあしらった、キャミソールを一枚身にまとっただけのその身体を。
そうして乱れた髪を耳にかけ、嫣然と微笑んだのだ。
「はい、ジャーイル大公閣下」
解呪薬を飲んでいてよかった!
って、そんなことを言っている場合かーーー!!
***
緊急会議です! 夜中だろうが、かまっていられません。関係者を緊急招集です!
そう、関係者。
「これはどういうことだ、ワイプキー!」
ここは俺の居室だ。
腕を組んで仁王立ちの俺の前にいるのは、ワイプキーとその娘エミリーだ。
本来ならこの時間に居住棟に絶対にいるはずのないワイプキーは、あっさりとこの部屋の周囲で見つかった。
それはそうだろう。エミリーがこんなところまで、一人で入り込めるはずはないのだから。
父娘共謀してのことだと証明する、なによりの状況証拠だ。
当然のように、二人とも正座だ、正座。
さすがにエミリーはあの格好のままだとまずいので、俺のガウンを羽織らせてはいる。
「エミリーは大事な一人娘だろう? その貞操を、どう考えているんだ!?」
あり得ない。俺なら絶対、マーミルにこんなことはさせない。
父娘は、両手を膝において同じようにうなだれている。
いや、そんな殊勝な態度をみせてもだめですから。
「エミリーもエミリーだ! 自分が何をしたか、わかっているのか? 下手をすると不敬罪ものだぞ!?」
「喜んでもらえると思ったのに……なにがいけなかったのかしら。やっぱり化粧が濃すぎたのかしら? それとももっとスケスケの……」
エミリーがぶつぶついいながら、首をかしげている。
やっぱり反省は形だけか!
主君の寝室に勝手にもぐりこむだなんて、そんなことはベイルフォウスでもなきゃ、喜びません!
「だからもうちょっと可憐な感じで、といっただろうが!」
ワイプキーが娘の腕を肘でつついている。
「ちょっと、やめてよ!」
父の肘をつつきかえす娘。
こいつら……。
「だって、この間、ジャーイル様は無理をしない私が好きだって言ってくれたんだもの」
いや、言ってないからね。そんなこと、一言も言ってないからね。
幻聴が聞こえるのか、妄想を真実と思いこむタイプなのか、どっちなんだ、この娘は。
「なにをのんきな……。下手をすれば暗殺者と思われて、その場で終わりだぞ、エミリー。それくらいわかるだろ?」
俺が即殺派でないのをありがたく思ってもらいたいもんだ。
「ジャーイル様に殺されるのなら、本望ですわ」
上目遣いで腰をくねらせない、エミリー!
俺はため息をついた。
「いったいいつ、潜り込んだ?」
「閣下がお風呂に入っているすきに……」
まあそうだろうな。
エンディオンがコートをしまいにきたときは、いなかったはずだ。なにせ衣装部屋は寝室の奥にあるのだから。
「なんだって、こんなことを……」
男の寝室に忍び込む、それも父親の手引きで、だなんて、正気の沙汰じゃない。
「だって、お礼をくださるって約束したわ! なのにまだ、果たしてくださってないんですもの! ジブライールとは嫌らしく密着して、ダンスをなさったと聞きましたわ! なのに……」
いや、別にいやらしく密着なんてしてません。普通に踊っただけです。
「じゃあ、君への礼は一夜を共にすることだと?」
「そうですわ!」
キリッとした顔で俺をみあげてくる。
この気のきつそうな感じが素なんだな。
「なんでもいいなら、こういうのもありでしょう?」
「エミリー。もう少し、自分のことを大切にしたらどうだ?」
「あら、この上なく、私は私を大切にしてましてよ?」
なぜそこで胸を張る。
貞操観念はどうなっているんだ? 俺には理解不能だ。
「そうですとも。この一夜をきっかけに、旦那様がうちの娘を側女にしてくだされば、それでどちらも万々歳。丸く収まります」
いや、丸く収まらないよ。
とりあえずこの髭、一発殴っとくか。
俺は髭おやじの頭上にきつい一発を、それからエミリーにも手加減した一発を落とした。
「ぎゃ」
「きゃん」
痛い目にあわないと、わからないようだからな、この父娘は。
「ワイプキーはしばらく停職、エミリーにはこの<断末魔轟き怨嗟満つる城>への出入りを禁じる」
「停職!? ですが、旦那様!」
「反論は許さん」
俺がじろりとにらみつけると、ワイプキーはあわあわ言ってから押し黙った。
「今日はこれで帰っていいが、いいな? 二度目は許さん。今度こんなことをしたら、不敬罪を適用するからな。ワイプキーだって、次は停職ではすませないぞ。そこのところを、よく肝に銘じておけよ?」
主君の寝室に忍び込むのは、後ろから暗殺しようと襲いかかるより重い罪なのだ。少なくとも、この城では。
「じゃあ、お礼は!?」
エミリーが頭をさすりながら、不満顔で見上げてくる。
「そんなもの、今回の件で相殺だ」
「ええ?」
手を抜きすぎたか? ぜんぜん懲りてないぞ、この娘。
「まあいいわ。このガウンはもらっていくから」
……そりゃあ、ここで脱いで下着で帰れ、とはいえないが。
しかし、転んでもタダでは起きない娘だな。
ある意味感心する。
俺はため息をついた。
「好きにしろ。もういいから、出て行ってくれ。俺はもう休みたいんだ」
「添い寝は……」
「いらん」
もう一発いっとくか?
拳を握ると、父娘は不満ありありながらも、部屋から出て行った。そうして俺は、やっとのことで就寝できたのだった。
***
ちくしょう、昨晩はひどい目にあった。ウィストベルのところでは軟膏を飲まされるし、家に帰れば夜這いが待っているとは。
ワイプキーは停職にしたため、しばらくその代わりを務める者を探さないといけない。俺としては侍従なんて大勢いるんだし、代わりは誰でもよかったんだが、ずっと側にいる者となると、吟味して決めなければいけないらしい。それで家令のエンディオンが、一時的にワイプキーの代わりを務めてくれることになった。忙しいだろうに、申し訳ない。
「サーリスヴォルフと、どうにかして話ができないかな……いや、まあ、なにがなんでもってわけじゃないんだけど」
俺は気になっていることをエンディオンに相談することにした。
マーミルの呪詛を止めてくれたのがサーリスヴォルフだという例の一件を、未だ俺は確認できていないからだ。
本当なら恩人だしなぁ。
「何かお話しするのに問題があるので?」
「え? いや、同盟者でもないのに、城を訪ねていくのも……」
「たとえば、ベイルフォウス大公閣下は、旦那様と同盟をお結びではありませんが」
それを言われると、そうだ。
同盟関係があるかないかは、訪問に際してあまり気にしなくてもいいのか?
「旦那様はきちんと先触れもお出しになられますし、他の大公をご訪問なさるのに全く問題はないかと」
つまり、俺は別に誰のところでも気兼ねなく訪ねていっていいわけか。
ウィストベルの機嫌さえ、気にしないのであれば。
それにしても、やっぱりあれだな。近くから嘴を見上げさえしなければ、公私混同をしないエンディオンの補佐は快適だ。
「じゃあ、一度いってみるかな……」
でも、理由は何にしよう? 先触れを出すのに、理由もなしでは……ベイルフォウスじゃないんだから。
サーリスヴォルフといえば、見境ないエロ……他になにかあったっけ?
そのサーリスヴォルフから、彼の城への招待状が届いたのは、それから数日後のことだった。
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