古酒の隠れ家

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魔族大公の平穏な日常

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【第三章 成人式典編】

13.休息が必要なのは彼女か、それとも?



 意味がわからない。
 匂えというから匂ったのに、その結果、どうして倒れるんだジブライール。
 俺の行為が意識を手放すほど、我慢しかねるものだったということか?
 でも自分から言ったのに? 自分から髪をさし出してきたのに?

 それとも……。

 それとも、まさか、ジブライール……。

 俺になにか特別な……。

 いや、まさか。

 だってジブライールだぞ?

 今までのことを思い起こしてみるんだ、俺。

 いつも、無表情で……そう、基本無表情。でもたまに、頬を赤らめたり、もじもじしたり……そういえば倒れる直前も、耳や首まで真っ赤に、目を上目遣いでうるうるさせて……………………あれ?

 え? そんな……そんなこと……ない、はず……。

 ジブライールが、俺に特別な感情なんて、抱いているはずがないではないか。
 …………ない……よねえ?

「お兄さま、公爵をどちらに?」
「二階に小部屋が用意されているはずだ。とりあえず、そこへ」

 回廊の二階には、休憩のための部屋が用意されているらしい。
 四方を囲む建物の中に入って幅広の階段を登ると、東西に伸びた長辺の内廊下の壁には、いくつもの扉が並んでいた。
 俺は手近な部屋に入ろうと、東側の一番近い休憩室のドアノブに手をかける。
 が、内から鍵がかかっているらしく、ノブは回らなかった。
 休憩するだけの部屋に鍵?

「大公閣下。そちらは、ご使用中です」
 廊下にいた家僕が、申し訳なさそうに声をかけてくる。
「使用中?」
「はい、その……手前五つほどは、現在ご使用中で……奥でしたら今のところはどちらも空いておりますが」
 家僕は、ちらちらとジブライールと俺の顔を見比べる。

 ああ……休憩って、そういうことか。この城が誰の城かを考えれば、納得いく話じゃないか。
 しかし、それにしても、できればもうちょっと早い段階で、注意喚起してほしかった。
 例えマーミルが今の言葉の意味を、理解できずにいるとしても。
「いくら立ちづくめだからって、爵位もちの方々が、もうこんなに何人もお疲れだなんて!」
「マーミル、行くぞ」
 無邪気に感想を述べる妹を促して、扉の前から急いで離れ、今登ってきた階段を逆に降りる。
「お兄さま、奥なら空いてるって……」
 馬鹿な。隣に誰かが入ってきたらどうするんだ。
 防音バッチリならいいが、そんなのわからないじゃないか!
 お前の耳をずっと塞いでいるわけにはいかないんだぞ。
「お兄さまの部屋にいこう。その方が、ジブライールもゆっくり休めるだろうし」
 俺に充てられた客室ならば、防音もばっちりなはずだ!

 しかし、今この場にマーミルがいてくれてよかった。
 そうでなく、ジブライールだけでこの状況なら、俺は迷わず奥の部屋に入っただろう。そこでジブライールの目がさめたら、たぶん聞いてしまう……唐突に浮かび上がった疑問の答えを。
 そして万が一……万が一、ジブライールがそれを肯定したとしたら……。
 そのタイミングで隣室に誰かが入ってきて、騒音が聞こえてきたりしたら……。

 いやいやいや。
 考えが飛躍しすぎじゃないか、いくらなんでも痛い考えではないか。
 落ち着こう、俺。一人で何を妄想してるんだ、俺。
 自意識過剰にもほどがある、恥ずかしすぎるぞ、俺。
 馬鹿丸出しもいい加減にしよう、俺。

 怪訝な表情の妹を連れて俺は会場を後にし、綺麗に整えられた庭を横切り、噴水の前を通って、客室のある館へと向かう。
 そうして最上階の最奥を占めるその部屋にたどり着くと、広い寝台にジブライールの身をそっと降ろした。
「気付けになるものがないか、隣を探してくる。ちょっと様子をみていてくれ」
 ジブライールのことをマーミルに頼んで、飲み物を探しに居室を探索する。
 通常は、いくらかの種類が用意してあるはずだ。
 すぐに見つかった。
 俺は飾り棚の上に置かれた水と蒸留酒、それからグラスを手にとる。
 そうして寝室に戻ると、ジブライールが身を起こしているのが目に入った。

「お兄さま。たったいま公爵が」
 マーミルがホッとしたように口元をほころばせる。
「気がついたか、ジブライール」
 気付けは必要なかったようだ。
「あ、あの……私……」
 ジブライールは珍しく気弱な表情だ。そしてやっぱり耳まで真っ赤にして、潤んだ目で俺を見上げて……。

 だがそれも一瞬のこと。
 頬を殴られでもしたかのように、ジブライールはハッとした表情を見せたかと思うと、たちまち顔色を青ざめさせ、こわばらせた。
 そして姿勢をただして正座し、俺とマーミルに向かって三つ指をつくと、そのまま勢いよく頭を振り下ろす。

「申し訳、ありませんでした!」
 そう言いながら、ぐりぐりと、寝具に額をこすりつけている。
 一応、クラッときたんだから、頭は振らない方が……。
 例え……体調不良で倒れたのではない、としても……。

「マーミル様の護衛を自ら引き受けておきながら、気を失ってろくにお役目を果たせないだなどと……なんという、失態! どうお詫びをしてよいか」
 あれ? やっぱり俺の考えすぎだったかな。ジブライールは今日も男前だ。
「とにかく、ジブライール。顔をあげてくれ。急に倒れたんだし、頭は大事に扱ったほうが」
 どうも彼女は時々……時々? いや、割と? 猪突猛進に過ぎる。
 これはもしかしてあれか……残念美人というやつか。
「いいえ、私は愚か者です! こんなスカスカな頭など、いっそつぶしてしまった方が!」
 そう言いながらガンガンと何度も頭を上げ下ろしして、寝具に叩きつけるのをやめようとしない。

「ちょ、ちょ、ジブライール!!」
「お兄さま、止めて!」
 いくら柔らかいベッドの上とはいえ、目の前でそう何度も頭を打ち付けられたら、さすがに俺も妹も焦る。
 特に俺は、頭の大切さに関しては、誰よりわかっているつもりだ。
 正直、見ているだけでこちらの頭が痛い。
 だからジブライールが頭をあげたところで、両肩をがっしりとつかんで、上下運動をやめさせた。

「落ち着け、な? 落ち着こうジブライール。せっかく綺麗に結わえた髪が、台無しに……」
 確かに勢い余って、そのまま押し倒してしまったのは悪かったかと思う。
 だって、ジブライールの抵抗が思いの外、強かったんだもん。
 でも、だからって、何も……。

 一見したところ華奢に見えても、ジブライールは魔族の公爵だ。
 つまり、紛れもない、世界の強者の一人なのである。
 俺はそれを、思い知らされることになった。

「い……」
「い?」
「いやあああああ」
 股間に強い衝撃を受けたと気づく間もなく、俺の目の前には星が瞬いていた。

 ***

 んなああああ、もう駄目!
 俺生きてる?

 俺、

 生 き て る ?

 これなに、地獄?

 息 が で き な い

 マジ吐きそうなんだけど、なにこれマジ吐きそうなんだけど!!
 内蔵が全部、口から出そうなんだけど!!

 俺生きてるの?
 むしろ、なんで生きてるの!?
 これで生きているといえるの!?

 ***

 さっきまで、この寝台に横たわっていたのはジブライールだ。
 だが、今は俺が占領している。
 うずくまって。

「……はぁ、はぁ、はぁ……」

 どれくらいたったのだろう。
 ようやく痛みがひいて、なんとか周囲を見回せるようになってみると……寝台にしがみついて涙目になっているマーミルとジブライールの姿があった。
「お兄さま、お兄さま、大丈夫? しっかりなさって!」
「閣下、閣下! すみません、閣下、ほんとに……あああ……」

 二人の声が、ようやく俺の耳にも届く。
「し……」
「し?」
「死んだかと……思った……」
 俺は目をつむり、枕に顔をうずめた。
 正直、まだ鈍痛はひかない。局部はジンジンしている。
 脂汗もひかない。
 ああ、こんなひどい目にあったのは、生まれて初めてだ。

「何かして欲しいことはあります?」
「こ……こ、し…………叩いて……」
 妹が、ぽすぽすと両手で腰を叩いてくれる。

「申し訳ありません、閣下……」
 ジブライールは涙声だが、ごめん。泣きたいのは俺のほう。
「私も腰を……」
「いや、ジブライールはいい!」
 ジブライールが拳を力強く握りしめたのをみて、俺は慌てて手を振った。

 万が一、続けて腰までいってしまったら、もう俺は駄目だ。
 いくらその後、医療班が何もなかったかのように治療してくれるとしても、心のダメージまでは彼らだって決して癒してはくれないのだ! 
そんなことになったら、繊細な俺は立ち直れない! 大公をやめて死ぬまで引きこもってやるからな!!

「あれ?」
 マーミルでもジブライールでもない、素っ頓狂な声があがる。
 俺はゆっくりと頭をもたげて声の主を見た。
「倒れたのは彼女の方じゃなかったかしら? なんでジャーイル。君が寝てるの?」
 怪訝な表情を浮かべながら、寝室の入り口に立つサーリスヴォルフの姿があった。
「サーリスヴォルフ……」
「医療班をつれてきたんだけど……いる?」
 こんなことで診療を受けるだなんて、恥ずかしすぎる。
 俺は首を横に振った。

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