魔族大公の平穏な日常
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【第三章 成人式典編】
「うえええええ、怖かったーーー!! 超怖い、大公って超怖い!」
デイセントローズ大公のいる部屋から廊下に出て、だいぶ離れたというのに、まだ心臓がバクバク言ってる!
まったく、ジャーイルもなんてことを頼んでくるんだ!
“ティムレ伯爵、お願いがあるんですが”なんて、上司ににっこにこで言われたら、嫌とは言えないじゃないか。
“もし、アディリーゼが副司令官と一緒にいればそれでいいですが、一人でいるか、ほかの者に話しかけられて迷惑そうにしていれば、自分のところに連れてきてください”と。
捜索に私のもつ犬の鼻が有効だと思ったのだろう。
いや、でも私、アディリーゼちゃんの匂い知らないんだけどね!
けれどなんとか見つけてみれば、迷惑そうというよりは、怯えた様子のアディリーゼちゃんが。しかも相手は七大大公の一だ。
正直、たかが伯爵の私にとっては、恐怖を感じていないふりをするだけでも精一杯。
「あ、あの……」
「怖かった、怖かったね、アディリーゼちゃん!!」
興奮したテンションのまま、彼女の肩をがっしり掴むと、ものすごくびっくりした顔をされた。
「はい、あ、あの……?」
おっと、いけない。私と彼女は初対面だし、それにこの子はちょっとおとなしい子らしい。
魔族には珍しいほどのおとなしい……あれ? もしかして、待てよ……魔族にはめったにいないほどおとなしい女子?
もしやこの感じ……ジャーイルがいつも言っていた、可憐な女子ってやつじゃないの?
ということは、もしかしてこの子が、ジャーイルの想い人?
私はとある副司令官からの刺すような視線を思い出し、アディリーゼちゃんに同情せずにはいられなかった。
「かわいそうに……苦労するね」
「え? あの……私……アディリーゼと、いいます」
「知ってるよ!」
マストヴォーゼ閣下の二十五人のご息女が、父に似た美女ぞろいだというのは周知のことだ。
「あの……それで、あの……あなた、は……」
おっと、いけない。そういえば、名乗っていなかったじゃないか!
「私はジャーイル君の配下で、第二十二軍団の軍団長、伯爵のティムレだよ。よろしく、アディリーゼちゃん!」
「ティムレ伯爵様……」
私は手を差し出したのだが、彼女は握ってこなかった。
肉球のお手入れは欠かしていないというのに。握ってもらえれば、絶対に気持ちいいと思うんだけどなぁ。
思わず自分で手をあわせて、肉球の感触をたしかめてしまう。
うん、やっぱり気持ちいい。
「あの……ありがとうございました、ティムレ閣下」
アディリーゼちゃんは、深々と頭を下げてきた。
「私……私……」
下げられた背中が、ぶるぶると震えているのに気がつく。
「そうだよね、そりゃあ怖かったよね。でももう大丈夫! 一緒にジャーイル君のところにいこう? あ、デイセントローズ閣下の前以外では、足は引きずらないでもいいからね!」
当然、足を怪我した云々は、私の嘘だ。
彼女の手を取って、体を起こさせる。
「ジャーイル閣下、の、ところ……ですか?」
「そう、君を捜してきてって、頼まれたんだ。大事にされてるねー」
私は肘で彼女の腕をつつく。が、反応はかえってこなかった。
うん、確かにおとなしい子だな。
「あ、ティムレ伯爵!」
しかし、噂をすればなんとやら。
アディリーゼちゃんのことを心配するあまり、待っていられなかったのだろう。ジャーイルがやってくる。
「よかった、アディリーゼ、見つかったんですね」
この大公閣下は、今でははるかに私より上位にあるのに、いつまでたっても配下であった時のくせが抜けないらしく、丁寧語をやめようとしない。
もっとも、私の方も逆に、見張る目がなければタメ口で話してしまうんだけど。
「ジャーイル閣下」
アディリーゼちゃんも、ジャーイルの顔を見てホッとしたのだろう。
口元に薄く笑みが浮かんでいる。
「私、マジ頑張ったよー、ジャーイル君! なんてったって、デイセントローズ大公のところから、彼女をさらってきたんだから!」
私が大公の名を出すと、彼の表情が厳しいものに変わった。
「デイセントローズ……アディリーゼ、何か、されたのか? もしかして、どこか触れられた、とか……」
「あ、いいえ……」
おいおい、ほかの男は指一本触れるのも許さないってか?
そこまで独占欲が強いとは、意外だな。
「大丈夫、その前に私が助け出したから。ね、ご褒美でもくれる?」
「いいですよ、肉一年分でもお屋敷に届けましょうか?」
私がおちゃらけて言うと、ジャーイルはいつもの柔らかい笑みを浮かべて応じてくれた。
彼が成人してすぐの頃からの付き合いだからか、どうしてもその笑顔が無邪気な子供のそれのように思えてしまう。
だが私がデーモン族だったらまた、違った感想をもったのかもしれない。なにせ、あの怖い副司令官殿がほうっと見ほれるくらいだから。
「そんなのいいよー。ただ、ちょっとの間、じっとしていてくれたら!」
そう言って、ジャーイルの尻をめがけて手を突き出す。
が、またいつものように紙一重でかわされてしまった。
「ふっふん、甘いですね、ティムレ伯爵」
「あああ、またセクハラ〜!」
逆に耳をもまれる。
ものすごく、気持ちいい。うっとりしてしまう。
はっ!
しまった、彼女であるアディリーゼちゃんの前で、私は何をしているのだ……。
彼女がもし、あの副司令官殿だったらと想像して、青ざめた。
「どうしました、ティムレ伯?」
「なんでもない、なんでもないよ!」
いないとわかっていても、思わずキョロキョロと見回さずにはいられない。なにせ、あの副司令官殿の視線は怖い。
私がジャーイルと少しでも仲よさげに話をしていると、必ずといっていいほどやってきて、冷たい視線でプレッシャーを与えてくる。
それはもう、心臓を刺してえぐるような視線で……。
たとえ本人はいないとしても、その配下がジャーイル君と私のやりとりを見ていないとは限らないじゃないか。
へんに誤解されて、とばっちりを受けてはたまらない。
「それじゃ、私はこれで……」
「ああ、ご協力、感謝します。頑張ってお相手を見つけてくださいね」
別に私は結婚相手を捜しにきたわけじゃないんだけど。
君が、未婚の軍団長は全員参加、とかいうから、仕方なしに参加しているだけなんだけど。
「じゃあ、アディリーゼちゃん、またね」
私は美人な彼女に挨拶をすると、二人からそそくさと離れていったのだった。
その後怖いけれど、もう一度さっきの場所の近くまで戻ってみる。
デイセントローズ大公の様子を遠くから観察するためだ。
なにせ私は、閣下の前から美女をさらった無礼者、という立ち位置だ。
できれば、二度とお目に止まりたくない。
なんといったって、相手は大公閣下……ジャーイルは、かつての部下だったし、本人が気安い性格をしているから、今でも恐怖心は感じないが、ほかの大公閣下は違う。
大公に登り詰めるほどの実力者ならば、そばにいるだけで重圧を感じ、肌がぴりぴりと痛むほどなのだ。
ちなみに、私が大公で一番怖いのは、ウィストベル閣下だ。
あの方だけは、なんというか……かなり離れていても、恐怖を感じずにはいられない。多分、野生の勘のなせる技だと思う。
今日も、私なんぞに気を止められるはずもないとわかっていても、ついつい距離をとってしまう。
部屋の入り口ちかくから、さっきの場所をのぞいてみたが、デイセントローズ大公の姿は確認できなかった。
「おおおお。よかった」
だが、そこにデイセントローズ大公はいなかったけれども、別のよく知った顔があった。
公爵で副司令官の、フェオレスだ。
「あれ? 猫公爵じゃない」
手を挙げて、背の高い猫に近づいていく。
今は公爵と伯爵と、身分に随分差が付いてしまったけど、フェオレスはよく知った相手だった。具体的にいうと、あれだよ。幼なじみ、というやつだよ。
「これは、犬伯爵」
フェオレスはいつもの優雅な仕草で腰をおると、穏やかな笑みを浮かべてみせる。
「なにしてんの、こんなところで。ダンスの相手がいないのなら、私がつとめてやろうか?」
にっかりと笑って言うと、フェオレスは苦笑で返してきた。
「ありがとう。だが、大丈夫だ」
「遠慮するなよー。私とあんたの仲じゃないか」
ばんばんと、フェオレスの腕をたたいてみせる。
ちなみに、フェオレスもそれほどいろんな種は混じっていないのだが、性格と所作のせいで、割ともてる。こんな風になれなれしくしているのを見られると、嫌がらせを受けてしまうこともあるほどには。
「そんなことより、ティムレ……ここにアディリーゼ嬢がいたと思うのだが、知らないか?」
アディリーゼちゃん?
ああ、そういえば昨日はこいつ、ずっと彼女と一緒だったっけ。それで仲良くなったのか。
そういえば、ジャーイルも配下と一緒にいれば、それでいいと言っていたな。それってフェオレスのことだったのかな。
護衛でも請け負っているのだろうか。
「アディリーゼちゃんなら、今、ジャーイル大公のところまで送っていったところだよ」
「閣下のところか。ありがとう」
そのまま去ろうとするので、私は慌ててフェオレスの腕を掴んだ。
「待てって、無粋だよ、フェオレス。せっかく今日は、怖い副司令官殿がいないっていうのに。二人っきりにしてあげようよ」
猫くんは、私の顔を怪訝そうに見下ろす。
「どういう意味だ」
「どうって……君、何も気づかなかったの?」
「気づく?」
昔から、この猫公爵は、割と聡い部類だと思っていたんだけど、買いかぶりすぎだったのだろうか。
「だから、あの二人……アディリーゼちゃんとジャーイル閣下の関係についてだよ。デヴィルとデーモンの恋路なんて、大変だろうけど、応援してあげようよ」
私の言葉に、フェオレスは表情を強ばらせた。
あ、やっぱり、気づいていなかったみたいだ。
だったらビックリするかもな。
私もビックリだけど。
なにせ、デヴィル族の美醜にまったく理解を示さなかった、あのジャーイルが、と考えると。
「何をいっているのかわからないが、ティムレ」
フェオレスは、私を呆れたように見ながら、深いため息をついた。
「そのありえない推論を、私以外には話さないでくれるよう、お願いしておくよ」
「あり得なくないって。だってアディリーゼちゃんは、ジャーイル君の好みのおとなしい子だよ? 彼女くらいじゃない、おとなしい魔族なんて」
「それで、閣下がデヴィルとデーモンの垣根を越えられると?」
「愛は偉大っていうじゃん」
もう一度、幼なじみは深いため息をついた。
「もう一度いう、あり得ない」
「なんで?」
「なぜって、彼女はジャーイル閣下の、ではなく、私の大切な人だからだよ」
「うえええ?」
意外な告白に、私は変な声を上げてしまったのだった。
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