古酒の隠れ家

このサイトは古酒の創作活動などをまとめたサイトです
※一部、一次創作同人活動などを含みますので
苦手なかたはご注意ください

魔族大公の平穏な日常

目次に戻る
前話へ 後話へ


【第四章 大公受難編】

44.ようやく、心休まる日々が帰ってくると思ったのも束の間



 魔族にとって紋章というのは、特別なものである。

 生まれた時に自分の身体の一部から生成される、特殊な力を持った用紙を<紋章符>という。
 成人の時、その紋章符に自分で定めた図柄を描く。以後はそれが紋章として、己が魂に深く刻まれるのだ。故に紋章は、魂と同一視されているし、実際そうであることは現象として認められる。

 たとえば魔族同士の戦いがあったとしよう。その決着が片方の死で終わりを迎えた場合、敗者の<紋章符>は消滅し、その紋章は勝者の<紋章符>に吸収される。これを<魂が下る>とか、<魂が吸収される>とか言い表したりする。

 とはいえ、紙面は限られている。強者であればあるほど、倒した相手の数が多くなるのは普通だ。下った紋章がすべて並ぶのでは、紙面はすぐにいっぱいになってしまう。
 だからなのか知らないが、表面にはその紋章の持ち主に下った者の数が刻まれ、紋章官が照合の呪文を唱えると、敗者の紋章は順番に裏面に浮かんでは消えていくようになっているそうだ。

 俺がうっかりネズミ大公を殺ってしまった時にも、当然、この現象が起きたわけだ。
 つまり俺の紋章符には、ネズミ……ヴォーグリム大公の紋章が含まれているということになる。

 この紋章符を、領地ごとに分類して整理・管理しているのが紋章官たちで、彼らは魔王城の役所にしかいない。
 全魔族の紋章が、魔王城に集められているわけだ。

 だがその情報は、当人が属する大公の元でも共有されることになっている。
 とはいえ、紋章符がもう一枚、あるというわけではない。
 大公城で紋章の管理に携わる紋章管理士は、何か変化があるたびに面倒にも魔王城に出向かねばならないらしい。そうして紋章官に一つ一つ紋章を見せてもらい、それを模写しなければいけないそうだ。だから、その任につく者は、念写の特殊魔術を持っていることが望ましいとされる。
 そんな風に手間をかけて集められた、全領民の紋章の写し。それを束ねたものを紋章録といい、地位の順に綴じられている。

 そんな訳だから、先日の六魔族の襲撃事件があって後、我が城に勤める紋章管理士も、日々の業務の一環として、紋章録を手に魔王城に問い合わせに行った。その結果、俺の紋章の写しには、新たに下った六つの紋章が書き加えられているはずだ。
 エンディオンが今、プート麾下の紋章を手に、照合しに行っているのもこれだし、魔王城では消滅しているはずの紋章符をプートが知れたのも、自分の管理下にある紋章録を参照できたおかげだ。

 ところで話が「らしい」とか、「だそうだ」とかばかりになるのは、俺にしたところで自分の紋章符ですら、それを自分の手で描いた成人の時以降、目にしたことがないからだ。だから表面にいくつの数字が刻まれているのかすら、知らない。
 別に隠匿されて見ることができないのではない。ちゃんと手続きをすれば、紋章符を確認することは可能だ。それでも魔族のほとんどがそうしないのは、単なる数字には、誰も興味がわかないというだけのことだ。

 さて、そんな事情だから、六公爵の紋章の照合結果については、家令の帰りを待つ他ない。

 それにそろそろ他の仕事にも取りかからないといけない。
 魔力の復元が一番の気がかりだったせいで、いろいろなことがおざなりになってしまっている。
 放置していたヒンダリスのことも、そろそろ本腰を入れて調査すべきだろう。
 一度、リーヴに話を聞いてみるか。あいつが今回の件に関わっているとは思わないが、一応、前大公の息子だしな。
 だが、医療棟に行くならまずはあの分厚い報告書に目を通しておかないと……。

 それから、大祭運営委員会に参加する委員を五名、決めないといけない。いつ、運営委員会の召集がかかるかもしれないのだから。
 こういう人員は、上位の方がいいのかな?
 いや、地位にこだわるより、前回の大祭を経験している者で、議論に向いてそうなもの……の方がいいか。
 そうなると、すぐに全員で口をそろえて叫び出す、軍団長はなしだな。
 よし、後でエンディオンに相談してみよう。

 その上で大祭に向けて、自領で行う独自の催しも、計画しないといけない。
 俺が魔王城へ行っていて不在のことも多いだろうし、四人の副司令官のうちの誰かを総轄役に決めるか。

 ヤティーン……ないな。四人の中で一番の脳筋バカは、間違いなくこいつだ。留守を任せたら、後始末が大変になる予感しかしない。
 ウォクナン……ううん……どうだろう。俺が前に立ってさえいなければ、うまく仕切るとは思うんだが……。
 ジブライール…………仕事は間違いないだろうが……俺が城を空けないときは、一緒にいる時間が多くなるだろうし……。噂話、もう耳に入ってるだろうか…………。
 そうなると、やっぱりフェオレスかな。そりゃあ、魔族なりに短気なところもあるかもしれないが、基本は冷静だし、やることは割とそつがない。
 しかし、フェオレスといえば、アディリーゼとの仲はどこまで進展してるんだろ。母親への挨拶は、すんだのだろうか。
 まあ、とにかくこれもエンディオンに相談してみるか。

 ……薄々わかってはいたけど、俺、エンディオンに頼りっぱなしじゃないか。
 ワイプキーのときは、これほどじゃなかったとは思うんだが。ほんとに早く、筆頭侍従を決めないと。
 セルクにその気があれば彼でもいいかと思っていたんだが、エンディオンの補佐を経験してしまうと、つい高望みする気持ちが生まれてしまう。

 そんなことを考えていたら、エンディオンが戻ってきた。俺は早速、今の案件を相談しようと……。

「一致いたしました」
 え? 何が?
「間違いございません、旦那様。先日の挑戦者は、いずれもプート大公麾下の公爵であったようです」
 エンディオンの表情は、いつにも増して真剣だ。
「何かの間違いだろ。だって、あの時は俺……」
「旦那様がお嘆きになられるほど、お力を減らしておいでであったことは、もちろんよく存じております」
 それも、つけ加えるなら俺はあの時、寝てすらいたんだ。
 記憶だって完全にないというのに……。
「本当に、俺がやったのか?」
「私はその場にはおりませんでしたので。しかし、イースの話では間違いなく、旦那様の手によるものだと。彼の人柄からいっても、嘘をつくとは考えられませんが」

 いや、まあ、そう……そうなんだけど。
 しかも、イースによると俺はちゃんと目を開けていたらしいからな。
 でも信じられない……何があったんだ。
 どんな奇跡が起きたら、今の百分の一しかない僅かな魔力で、一度に六人もの公爵を相手にして勝てるっていうんだ。
 まさか……。

 この剣のせいなのか?
 レイブレイズの力なのか?
 俺は手に入れて以来、ほとんど帯剣しているその蒼い姿を見つめた。
 それとも、俺自身の問題か? 夢遊病……でも患っている? この間だって、ウィストベルに……。
 一度、サンドリミンに詳しく調べてもらった方がいいのだろうか。
 だがたとえ、夢遊病のたぐいだったとしても、それで減った魔力がどうにかなるとも思えないが。

「プートになんて知らせたもんだろう……」
「事実をありのまま、お伝えする他はありませんでしょう」
 エンディオンの表情はいつになく厳しい。
「いや、まあ、そうなんだけど……」
「発覚する以前に、旦那様のお力が戻られて、幸いでございました」
 えっ。
 なに? 何を想定しての、その言葉なんですか?
 というか、さっきからなぜそんなに誇らしげなんだ、エンディオン。

「ま……まあ、そうだな……暫く会う機会はないだろうし、手紙ででも知らせて……みるかな……調査の結果判明したことだが……ってことで淡々と」
 爵位の挑戦は、魔族のたしなみだ。その結果、配下が敗れたことについては何も思うまいが、俺自身が挑戦されたことなのに、反応が遅れたことについては……不審がられる可能性もないとはいえない。
 でも、真実をありのまま伝える以外に、どうもできないからなぁ。ああ、もちろん俺の弱体化に関することは伏せるけど。
 まあ、仕方ないか。つっこまれたらつっこまれたときのことだ。

「手紙と申しますと、旦那様。今ほど、旦那様宛のお手紙が、一通届きまして」
 え?
「こちらでございますが」
 え?
 え、何?
 なんか、嫌な予感がするんだけど……。
 誰から?
 何の手紙??
 まさかプート?
 プートから、俺の配下を殺っただろう、って手紙が来たんじゃないよね?

 今度の封書もまた形式は正式なもののようだったが、俺の予想とは違って、プートからのものではないのが遠目でもわかった。それどころか誰からのものか、一目で理解する。
 だが相手を察して、安心するどころか余計に不安は増した。なぜならば、その差出人が、通常手紙など送ってくるような奴ではなかったからだ。
 裏の封蝋は<べ>を表す文字。
 そして、表の紋章はもちろん<巣を張った蜘蛛>。
 そう――。
 我が友、ベイルフォウスからの手紙だった。

『この件は忘れないぞ、ジャーイル』
 <大公会議>の別れ際、そんな憎まれ口をきいていた姿が思い出される。
 嫌な予感しかしない。

「エンディオン。開けてくれないか?」
「はい、それでは」
 ペーパーナイフを紙に滑らせるその手つきは、例によって完璧だ。
「なんと書いてある?」
「失礼して、代読いたします」
 エンディオンは二つ折りのその紙を、丁寧に開いて……それから……。
「“通達書”」
 通達書!?

「“プート大公との協議の結果を、諸公に伝える”」
 プートの召集状同様、大公の全員に送っている書簡か。
 なのに公式の文書じゃないの?
 ここら辺は、<大公会議>が私的な会議だからなのか?
「“デイセントローズを交えた、慎重かつ活発な議論の結果”」
 議論? ホントかよ。殴り合ったんじゃないのか?
「旦那様、こちらのお手紙は……」
 え? 何。
 気になるから、そんなところで意味ありげなことを言うのはやめてくれ!
「“『魔王陛下在位三百年を祝う大祭』の大祭主は、双方一致でジャーイル大公と決定した”だ、そうでございます」

 ……は?
 は?
 え?
 なに、聞き間違い??
 俺が……俺が、なんだって??

 改めてエンディオンからその<通達書>とやらを受け取り、その一文に視線を走らせる。
 だが何度読み返しても、そこに書かれた文章が変わることはない。
 おまけに、文末にはベイルフォウスだけでなく、証人としてプートとデイセントローズの紋章まで小さく焼いてある。

“大祭主は、双方一致でジャーイル大公と決定した”

 ベイルフォウス!
 おい、ベイルフォウス!!!
 手紙を持つ手が震える。
 もちろん、怒りのためだ。

「旦那様、もう一枚奥にお手紙が」

 ま た か よ !

 その四つ折りの厚い紙を広げると……。

 そこには、満面の笑みを浮かべつつ親指を立てる、我が親友の素描が…………。

 俺はその厚紙を、自分の手で細かくちりぢりに破り捨て、塵すら残らぬよう、炎で消滅させたのだった。

前話へ 後話へ
目次に戻る
小説一覧に戻る
inserted by FC2 system