古酒の隠れ家

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魔族大公の平穏な日常

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【第五章 大祭前夜祭編】

53.医療棟でのあれやこれや



 医療棟に向かった俺を、玄関で出迎えてくれたのはウサギ顔と声量の可愛いファクトリーだ。
「……よく……で……」
 なに? なんだって?
 声が小さすぎて、なんと言っているのだか聞こえない。
「こちら……」
 なんだかよく判らないが、とにかくついて行こう。

 廊下はどこも掃除が行き届いていて、埃一つ落ちていない。
 リーヴは相変わらず、真面目に働いているようだな。
 感心しながらファクトリーについていくと、長い廊下にいくつも並んだ、簡素な扉の前まで案内された。

「ですから、私が熱をとってさしあげると……」
「いらん! 熱などないと、さっきから言っているだろう!」
 中から、サンドリミンとジブライールの声が聞こえる。
「ない訳がないでしょう。そんな真っ赤な顔をなさって!」
「真っ赤になってなんか……」
 なんだ。なんか不穏な感じだな。

 首から下はマッチョなファクトリーは、顔に不似合いなたくましい拳を握りしめ、扉に叩きつけた。
 声は小さいのに、ノックはダイナミックだ。
 木がゴンゴンミシミシいっている。

「……が……です……」
 発声も、もうちょっと頑張ろうよ!

 中の話し声がぴたりと止まった。
「ファクトリーか。入りなさい」
「……します」
 サンドリミン、よくこのファクトリーのボソボソ声で、誰がやってきたのかわかったな!
 いや、逆にこんな小声で話すものなんて魔族には珍しいだろうから、よけい誰かわかりやすいのかもしれない。

 ファクトリーは扉を開けたが、外からドアノブを押さえたまま、俺に部屋の中を示す。
 そうして俺が入室してしまうと、自分は入らずに扉を外から閉めた。

 中はふつうの診察室のようだ。
 壁際には資料や器具の置かれた小さな本棚があり、窓際には細長い診察台が、その前には背もたれの高い診察椅子と丸椅子が置いてある。
 今は背もたれのある診察椅子にサンドリミンが腰掛け、ジブライールは診察台の縁に足を降ろして座っていた。

「これは、旦那様」
 振り向いて俺に気づいたサンドリミンが、診察椅子から立ち上がった。
「……閣下!」
 ジブライールまで肩にひっかけた長いコートを手で押さえながら、慌てた様子で診察台から降りようとする。
 俺は手をあげてその行動を制止したが、ジブライールは結局診察台から降りて、俺に敬礼をしてきた。

「怪我をしたんだって? 大丈夫か?」
「そんな……わざわざ閣下にご心配いただくほどのことではありません」
 まあ、魔族の怪我なんて、よほどの事でもない限り医療班がちょちょいと治してしまえるからな。だから正直、怪我の状態についてはあまり心配していない。
 だいたい、なんといっても相手は幼なじみでもあるヤティーンだ。さすがに本気でやり合うわけがない。

「私は自分の城に帰るといったのですが、ヤティーンが取り乱してしまって、それでここに……」
「ヤティーンも驚いたんだろう。君とはいつも、対等にやりあってるから。だろ?」
「はい、そうだと思います……」

 ジブライールとは、さっきから普通に会話はできる。
 が、視線はあわせてくれない。
 俺の方なんて見たくもないと言わんばかりに、思いっきり目をそらされている。
 執務室では多少は好意みたいなものを感じたと思ったんだが……やはり、勘違いだったようだ。

 俺とジブライールってちょくちょくこんな風に、気まずい思いをすることが多いような気がする。
 もしかして、とことん相性が悪いのだろうか。

「どうぞお掛けください」
「いや、こっちでいい」
 サンドリミンが自分の椅子を譲ろうとしたが、俺は丸椅子の方に腰掛けた。
 二人にも座るように手で指示すると、サンドリミンは素直に、ジブライールはためらいながらも元の場所に腰を下ろす。

「それで、怪我の具合はどうだ?」
「怪我といっても、肩を少しかすっただけですので、大したことはございません」
 ジブライールの返答はそっけない。

「肉をごっそりえぐって、骨が粉砕された状態を、少しかすっただけとはいいません。会議室は血みどろになったと言うじゃないですか」
 肉をえぐって……なるほど、それじゃあヤティーンも驚くはずだ。
 予想より酷い怪我だったようで、俺だって驚いた。
「大丈夫なのか?」
「もちろん、旦那様!」
 俺の質問に応じたのは、ジブライール本人ではなくサンドリミンだ。

「我々、医療班の手に掛かれば、内臓がはみ出ようと、頭蓋骨が割れようと、生きている限りは治せぬ症例などございません!」
 サンドリミンの言葉は力強い。
 まったくもってその通りだから、俺は頷くしかない。

「では、実例をごらんください!!」
 そう叫ぶや、サンドリミンは突然ガバッとジブライールのコートを剥いだのだ。
 その下から現れたのは、華奢な肩。

「どうです、よく見てください! このきれいな右肩を!! 傷など一つも残っておりません!」
 肉をえぐり、骨を粉砕したという魔術のせいだろう。
 ジブライールの右肩から胸のあたりにかけて、着ていた衣服がほとんど残っていない状態だ。
 つまりそう、コートの下から現れたのは、紛れもなくジブライールの素肌……。

 呆然とする、俺とジブライール。

「きゃああああああ!」
「うおおおお」
 ジブライールの悲鳴と共に、サンドリミンの象手は勢いよく吹っ飛ばされた。
 いいや、言い直そう。
 サンドリミン自身が吹っ飛ばされた。

 壁に激突する前に受け止めてやらなければ、次に全身の骨が粉砕していたのはサンドリミンだったろう。
「おい、大丈夫かサンドリミン」
「お……驚きましたが、大丈夫です」
 青ざめるサンドリミンを、床に降ろしてやった。

 その間にもジブライールは、俺たちに背を向けてコートに素早く腕を通し、しっかりと前をかきあわせている。
 その背中は怒りのせいで、ぷるぷると震えていた。

「……見えてはないから、な」
 どこが、とは言わないが、一応言っておこう。
「言わないでください!」
「ごめん!」
 はっ!
 反射的に謝ってしまった。

「もう、やだ……」
 ジブライールの口から、珍しく弱々しい声が漏れる。
 それを聞いて、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
 今のつぶやきは、執務室での出来事もあってのことだろう。
 だがここは、聞こえなかったフリをしよう。
 俺は咳払いを一つした。

「コートを羽織っているとはいえ、そのまま帰ったら屋敷の者が心配するだろう。衣装部屋で着替えていくといい」
「……ありがとうございます」
 声は暗い。

「ほら、まただ!」
 サンドリミンはジブライールの正面になるよう診察台の足下に回り込むと、彼女を責めるように叫んだ。
 今しがた、殴られて青ざめていたというのに、ものすごく強気だ。
 その上相手が落ち込んでいようとも、気にもとめていない。
 その空気の読めなさ、見事。

「旦那様からも、説得してください! またこんな真っ赤になって……熱があがってきたんですよ、熱が! なのに、解熱治療を受けるのを、拒否するのです!! 意味がわかりません!」
「だから、熱なんかじゃないとさっきから」
「熱?」

 俺もサンドリミンの隣に回りこんで、ジブライールを観察してみる。
 確かにジブライールの頬は赤い。
 だが、これはあれだろ。照れているだけだろう。
 ジブライールは真面目だから、ウィストベルやアリネーゼみたいな露出の多い格好はほとんどしない。
 それを、さっきみたいに不意打ちで肩をむき出しにされたんだ。
 羞恥心でいっぱいになっていても、不思議ではない。
 そう思うのだが、片やサンドリミンも医療長官だ。
 さすがに誤診などしないか?
 成人した魔族が、発熱することなんてほとんどないのは誰よりも知っているはずだ。それでも熱だと言い張るのだから……。

「どれ……」
 念のため、ジブライールの額に手を当ててみる。
「本人の言うとおり、特別熱いとも感じないが……」
「……か……閣下……」
「ん?」
 あれ? いや、若干熱くなってきた……気がする?
「もう無理!」

 ジブライールはそう叫ぶと、突然診察台に身体を沈めた。
 俺はまた彼女が、今度は診察台に頭を打ち付けるのではないかと心配になって身構える。
 だがジブライールは枕に顔を沈めるようにして、そのまま突っ伏してしまった。

「ごめんなさい、強がってました。本当に熱があるみたいです。ちゃんと治療を受けます、受けますので…………閣下は席を外してください!」
 え?
 でも、俺はジブライールに魔力を返しにきたわけで、まだそれを果たしていない以上……。

「お願いします、早く出て行ってください! 今日はもうこれ以上、閣下のお側にいるのは無理です! 私の身がもちません!!」
 えっ!
 ええ?
「旦那様」
 サンドリミンが扉にむかって顎をクイッとやる。

 えええ……。
 顎クイッて。クイッて!
 一応俺、この城の支配者なんだけども。
 魔族にたった七人しかいない、大公なんだけども。

 もうちょっと丁寧に扱ってくれてもいいと思うんだけど、どうだろう?
 いや、出て行くけど、出て行くけどさ……。
 そうして俺は、診察室から追い出されたのだった。

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