魔族大公の平穏な日常
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【第五章 大祭前夜祭編】
俺とジブライール、それから建築士が十人の、合計十二人で落ち着いたのは三階の一室だ。
メインに肉を扱った、食前酒に始まって、食後酒で締めるコース料理を誰かが頼んだようだ。
気が短いと、とてもじゃないが我慢できないスタイルだろう。
食卓は長方形で長辺に五席ずつが向かい合い、短辺に一席ずつ置かれている。
俺が奥のお誕生席で、正面は黒豹だ。左手にはジブライールが、キリンが右手に座っていた。
キリンは……遠い方がよかったな。遠近感が狂う。
「で、何かもめてたみたいだったけど、なんだったんだ? なにか問題でもあったのか? せっかく俺がいるんだから、疑問点があれば聞いてくれたらいいんだぞ。まあ当然、技術的なことはわからないが」
俺がそういうと、建築士たちは顔を見合わせ、それから頷きあった。
「問題というほどでもないのですが」
黒豹は図面ケースから居住棟の図面をとりだすと、俺の左手までやってきた。そうして図面を広げる。
「あ、キリンくん。そっちの端を頼む」
キリンくん?
名前で呼んであげないの? 確かフェンダーフューというんじゃなかったっけ。まさか知らない訳じゃないよね。
いや、俺も面倒だから心の中ではデヴィル族は顔の特徴で呼んでることが多いけど。リスとか雀とかハエリーダーとか、今もキリンとか黒豹って呼んでたけど、さすがに口に出しては……。
キリンくん――フェンダーフュー――は、黒豹氏――ちなみにカセルム――に言われた通り、図面の端を握った。
俺の目の前に、魔王様の居住棟の設計図が展開される。
「ここ、ここなのです。大公閣下」
「どこ?」
どうでもいいことだが、黒豹・カセルム氏は魔王様の、そしてキリン・フェンダーフューくんは俺の配下だ。爵位はどちらも男爵。
実は男爵なのは彼らだけではない。今ここにいる他の八人もそうだった。
別にそろえたわけではない。偶然だ。
黒豹氏の手は顔と同じ黒豹。他の体の部分は、長いローブを着ていて露出していないので知らない。ちなみに、しっぽは生えていない。一本も、だ。
「この……魔王様の居室に隣接する衣装部屋……この回廊部分のことなのですがね」
一般的な衣装部屋は、寝室に隣り合って造られているが、魔王城では違った。
なにせ、平服用の部屋、公式行事服用の部屋、儀式服用の部屋、外出着用の部屋と、四部屋もあるのだ。それにさらに靴やアクセサリーといった付属品用の小部屋が、それぞれに付随して存在するありさまだ。
部屋にはそれぞれ専門の管理者のもと、デザイナーと針子が数人ずついて、彼らと近従が相談して、魔王様の当日の衣装を数点用意するらしい。それを毎朝、魔王様の元まで運んで行って、最終的には陛下自身が当日の服を決める。そんなことが毎日行われているらしい。
まあ、とにかく簡単に言うと、その近従をはじめとした衣装係たちの希望により、衣装部屋の配置を少し変えることになったのだ。四つに独立しているのはそのままだが、いきなり廊下につながるのではなく、上下に分けて二部屋ずつ配置し、間に回廊を造って吹き抜けの一階に共同の展示室を設けることになった。そこで各責任者が集まり、衣装の打ち合わせをしたり、実物を展示しあって上下左右をチェックし、調整するそうだ。
魔王様も衣装係も大変だ。
ちなみに、俺の衣装部屋はそのうちの一つほどの広さもない。おそらく他の大公城でも同じだと思う。
服を選ぶ係がいるかどうかもその城主によると思うが、少なくとも俺は毎日自分が着る服は自分で決めている。
その日の気分で着替えるだけだ。
もちろん、特別な行事の時には相談して決めることもあるし、時と所と場合は考慮している。今まで誰にも文句を言われたり、衣装係をつけましょうかと進言されたこともないので、ちゃんと適切な判断ができているのだと思いたい。
「で、この何が問題なんだ? 壁の色も、扉の色も、選んでもらっただろう?」
「ええ、確かに色は選んでいただきましたが、その扉の意匠で、キリンくんたちと意見が分かれておりましてな!」
「……担当はカセルム。君だよな?」
「その通りでございます。閣下」
黒豹氏が頷く。
「なら、君に決定権があるだろう」
一カ所に付き、担当者は一人のはずだ。それを扉のデザイン一つでいちいちもめていたのでは、作業がちっとも進まないのではないのだろうか。
「そうなのではございますが、閣下……」
黒豹氏の吐くため息が、耳にかかってこそばゆい。
「もちろん我らとて任された仕事については、一人一人責任をもってあたらせていただいております。しかし、なにせ相手は魔王城です。この世の支配者であられる魔王陛下がお住まいになるところでございます。ですので我らは皆で協力し、知恵を出し合って、少しでもよいものを造りたいと、そう考えるのでございます。それにいくら別々の建物とはいっても、多少は方向性を統一させた方が、よろしいかと考えまして」
「ああ、なるほど」
「あの……もしかして、皆で相談するのはまずかったですかね?」
キリンくんが心配そうに尋ねてくる。
最初に考えていた秘密の通路だとか秘密の部屋だとかは、魔王様に却下されたのでなくなってしまった。そうなると別に、担当一人一人の胸にだけしまっておかねばならないことなど存在しない。
まあ、一つまるで隠されているかのような場所が存在するが、厳密には違うしな。
だいたい、本当は魔王城の間取りなんて知りたいと思えば無爵の者にだって解放される情報だ。なにせ、魔王位を狙うときにも正々堂々正面から、というのが我ら魔族の良識なのだから。
「七人寄れば大公の知恵、ともいうしな。その方がいい案がでる、というのなら相談するのはかまわない。ただし、工期に影響のない範囲で頼む」
そもそも現場総監督であるジブライールが混ざっているということは、彼女は問題なしと判断したということだ。それを俺が禁止した、というのでは、ジブライールの立つ瀬もないだろう。
「ありがとうございます。全力を尽くすと、一同お約束いたします」
黒豹氏は、くるくると設計図を丸めた。
「あともう一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「魔王陛下の私室についてなのですが、居室付きの寝室が二つございますよね?」
「ああ……あるな」
「どちらも、魔王陛下がご使用になるのですよね?」
「間違いない」
たぶん、その日の気分によって、寝る部屋を変更するのだろう。別に珍しいことじゃない。
「この片方の寝室なのですが、もう一つ、奥に寝室がございますよね? 直接通路に出られるようになっている、この小部屋のことですが……」
「ああ……」
まるで隠されたような場所、というのはその小さな寝室と、通路のことだ。
つまり結局魔王様が自身のために寝台を置く部屋は、三部屋あることになる。
「よろしいのですか?」
「何が?」
「寝室の隣がいきなり通路では、そこを通る者に中の音が漏れ聞こえることになるのではないかと心配いたしまして。しかも、この奥の寝室は狭うございます。よけいに、音が漏れやすいのではないでしょうか。ですからその部屋から別の方向に出る必要があると仰せであれば、遮音のためにもそちらにも小さな居室を設けられてはいかがでしょう」
別に居室は、寝室の音を廊下に漏れさせないためにあるのではないだろうに。
「いや、大丈夫。そちらの通路は見てもらえばわかるが、他の廊下に合流する場所に扉を設けている。それも、その扉には通常外の廊下からはおいそれと開けれないような術式が施されることになっている。だからこの通路を通る者は寝室から出てきたその者だけ、しかも一方通行になるから、音の漏れなど心配する必要はない。それにこの小寝室と廊下は、いざというときのためにつくってあるだけだから」
「いざというときの?」
黒豹は腑に落ちない、という風に眉をひそめた。
まあ実際の所、何のためにあるかというとたぶん、黒豹氏の想像から大きく外れてはいないと思う。隔離された通路に隣り合った小さな寝室は、女性が自分以外のお相手とすれ違わないように出て行ったり、休んだりするための部屋なのだ。
魔王様は通常一度に一人しかお相手されないそうだが、それでもたまには一日に複数のお相手をされることもあるのだろう。そうなった場合、女性たちがお互いの事情を察するにしても、やはり直接顔を合わせるのはなんとかかんとか……。
……いいや、違う。俺が考えたんじゃない。魔王様のご要望を聞き入れただけなんだ!
まあなんだ……魔王様もけっこうお好きなようだから。弟ほどではないにしても。
それ以外の特殊な場合のことは、俺たちが深く考える必要もないことだ。そうとも。
「まあ……あんまり深く突っ込んでくれるな」
「ハッ! まさか、閣下!!」
黒豹氏は、俺の返答に何を思ったのか、急に丸い目をよりいっそうカッと見開くと、よろよろと二、三歩後ずさった。
「誰かに見られては、まずい状況……そんな……大公閣下ともあろうお方が、まさかそんな……」
俺?
なぜそこで俺?
おい、今何を想像した?
まさか俺がその奥の通路を逆に通って魔王様の寝室に忍び込み、寝込みをおそうなんていう卑怯な手を企てている、とか考えたんじゃないだろうな。
「お前の想像は、はずれてる。絶対だ」
「そ、そうですよね……ただ、閣下が魔王様の元を頻繁にご訪問なさっていることは魔王領の臣民一同、存じ上げております」
そりゃあそうだ。俺は寵臣だからな!
まさかそれが、魔王様の隙を探るための行動だと思われてるのか?
「ですからその小部屋がまさか、大公閣下ご専用のお部屋、などということはございませんよね。あちらのご趣味がおありだなどと、陛下と閣下に限って……」
「だいたい、この間取りは陛下のご指示だぞ。俺の独断でつくったわけじゃ……何? 今、なんていった?」
ちょっと待って。
卑怯者だと疑われたのかと思ったのだが、あちらのご趣味……?
……。
…………。
………………。
ちょ!!
「今の言葉の意味、詳しく聞かせてくれるか、カセルム」
「いえ、なにせ、ジャーイル大公閣下が、ウィストベル大公閣下に言い寄られていらっしゃるというのは、周知の事実。独り身であられるのは特別おかしくはないとしても、大公になられて二年もの間、デーモン族一の美女にお応えにならないばかりか、他の女性を侍らせることすらなさらぬというのでは、どこかお悪いか、あるいは……」
「不敬罪という言葉を知ってるかな? 黒豹君」
俺は立ち上がり、レイヴレイズの柄に手をおいた。
「疑っておりません! ひとかけらも、疑ってなどおりません!!」
一目散に自分の席に逃げ去る黒豹。
「ほう、これはうまそうなシチューですな! さあ、冷めないうちにいただきましょう!」
追いかけて一発殴ってやろうかとも思ったが、慌てて熱々の液体を口に含んだあげくに「あつぅ!」とか叫んで涎を垂らし、スプーンを落としたので、その滑稽さに免じて溜飲を下げてやることにした。
俺は全員の顔を見回す。
まさか、この場の全員がそんな風に疑っているわけじゃないだろうな?
……ちょっと待て。
なぜみんな目を逸らすんだ。
ジブライールまで……って。
あれ?
そもそもジブライールの様子、変じゃないか?
上の空というか……スプーンを持った手を空中にとどめ、すくったスープの一点を凝視して動かない。
いつからこうだった?
思い返してみれば、迎えに行って以降、彼女が口をきいているところをほとんど見ていない気がする。
特に、この席についてからなんてずっと無言じゃないか?
いくら普段から無駄話をする方ではないといえ……。
「ジブライール?」
「……」
「ジブライール、おい……」
スプーンと顔の間に手を入れて上下に振ってみたが、それでも反応がなかった。
「横から殴ってみますか?」
やってみるがいい。半殺しにされるのは君だ、イタチ君。
相手がぼうっとしてるからって、すぐ殴るという発想になるとか、君はヤティーンか。
ちなみに、ヤティーンとジブライールといえば、怪我をした一件の後、すぐに仲直りしたようだ。
ライバル関係といっても、プートとベイルフォウス、それからウィストベルとアリネーゼのように、本気で殴り合う関係ではないからだろう。
……って、そんなことは今はどうでもいい。
「ジブ……」
「閣下は!」
ジブライールは急にこちらを向いたかと思うと、手に持ったスプーンをがしゃんと投げ捨てるようにスープの中に差し入れた。
「あー行儀悪い……」
イタチ君。机にこぼれたスープをぺろぺろしているお前が言うな。
「なぜ、ご存じなのですか!?」
ご存じ?
「……なにを?」
「ミディリースが眠っていることを、なぜご存じなのですか!?」
は?
ミディリース? なんで急にミディリース?
「ご確認されたのですか? 部屋にお入りになったのですか? 寝ているところをごらんになられたのですか!?」
ジブライールは立ち上がり、俺の傍らまでやってきて、そう一気にまくしたてた。
「え? なにが……いや、確認はしてないけど」
「では、なぜそうだとお思いになったのですか? その根拠は、いったいどこにあるのですか!?」
完全に詰問口調なんだけども。
「根拠って言うか……ほら、満腹になった後って、眠たくなったりするだろ? ミディリースはもとから欠伸してたし、荷物なんて何も持たずにつれてきたから、他に何もすることもないだろうし。それに確か、本人が寝るって言ってたような気が……ああ、そうだ、そういえば言ってたなぁ」
本当は言ってないけど!
でもここで、さっきは見ていないけど、その前に寝ているところをみたからです、と正直に話しては駄目だ。
絶対に口にしてはいけないという思いだけは、本能からわき上がってくる。
そんなことを言ったが最後、俺は女性の許可もなく寝ている部屋に勝手に入り込んで、寝顔を堪能している変態だと思われてしまうじゃないか!
そうなると、この間、医療棟でジブライールの寝顔を見たことだって、芋蔓式にばれてしまう可能性も出てくるじゃないか!
「ジブライール、どうした? 何怒ってるんだ。みんなびっくりしてるぞ?」
「怒ってなんていません!」
いや、絶対に怒ってるだろう。
急にどうしちゃったんだ、うちの副司令官どのは!
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