古酒の隠れ家

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魔族大公の平穏な日常

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【第六章 魔王大祭 前編】

70.さすがに僕も、泣いた妹には弱いのです



「おにいさまあああああああ!!」
 居住棟に着くなり、腹に頭突きを食らった
。 「げほっ……どう、した、マーミル」
 そうして勢いよくあげられた顔をみて、息が止まるかと思うほど驚愕する。
「なんだ、その顔……」
 そのぐちゃぐちゃ加減に!

 目の周りは真っ黒だし、肌は灰色だ。どぎつい真っ赤の口紅は唇をはみ出しているし、目から顎にかけて、黒い筋がいくつも伸びている。
 服も……これはどういう時に着るものだ?
 光沢のあるド派手なピンクの布地に、蛍光色の黄色がアクセントとして混じり、俺の目を攻撃してくる。頭上には覆い被さるような大きな紫色のリボン、腕にもなぜか内側の方にじゃまな大きさのリボンの羅列。
 いつもはふんわりしたスカートをはいていることが多いのに、今日は太股のあたりがカボチャみたいにふくらんだ変なズボンだし、しかも色は発色のいい緑だ。

「仮装大会でもしてるのか?」
 化け物の仮装?
 そんな趣向もあったかな?

「うぐ……」
 俺の言葉にふるふると、手を震わせる妹。その小さな指の先には、鋭い鋼鉄の鉤爪がはめられている。
「いや、泣いてるのか、マーミル」
 俺はしゃがみ込み、妹に視線を合わせた。赤い瞳から流れ落ちる黒い滴を、手でふき取る。指先が薄墨を撫でたようになった。
「な、泣いてなんか……うええええ」
 再びしがみついてくるマーミル。
 指の爪が背に刺さって地味に痛い。
「おい、どうしたマーミル」
 妹の背中を撫でてやる。
 ベイルフォウスが一緒でなくてよかった。泣いているマーミルをみたら、さぞうざかったことだろう。

「旦那様、お嬢様は数時間前からこのご様子でして」
 エンディオンが珍しく困ったような声を出す。
「なんでまた……」
 あんまりにも自分の格好がひどいので、悲しくなったとか?
「どうやら、アレスディア殿がいないという状況に、耐え難い苦痛を感じていらっしゃるようでして……」
 エンディオンが困惑気味にそう教えてくれた。
「ち……違うもん……ううう……」

 おいおい。本気か?
 アレスディアがいないからって、そんな……。
 侍女はパレードの準備のため、昨日から留守にしているはず。
 ということは、一晩。たった一晩だ、まだ。
 それでこれ?
 ちょっと待て。これは不味いんじゃないか。
 俺は妹を抱き上げた。

「そんなにアレスディアが恋しいのか」
「ち……違うもん、アレスディアが、いないからじゃ、ないもん」
 ぐすぐすいいながらも口では強がり、俺の肩にぐりぐりと顔をこすりつけてくる。服越しでも冷たい。
 これは……俺も着替えないとな。
 とにかく、ひくつく小さな背を撫でながら、妹の部屋へ向かった。

 確か寝室はどん引き内装だったが、居室は普通だったはず……。
 だが辿り着いてみれば、そこは普通とは言い難い状態に陥っていた。

 いいや、内装は普通だ。普通だったんだ。
 壁紙はクリーム色で、家具は栗色。いくつかあるソファに張られた布も、薄いピンクだから目に突き刺さってはこない。

 が。

「うう……うっ……うおううう……」

 なぜか、中に泣き崩れる侍女の姿があったのだ。

「……えっと……あの?」
 とまどう俺の言葉に、びくりと肩を震わせ顔を上げる侍女。
「あ……だ、旦那、さま……ぐずっ」
 そのデーモン族の侍女の顔は、マーミルと似たような状況になっていた。
 濃い化粧が涙で流れて、見るも無惨な有様だ。
「ぶ……あ、ごめん」
 しまった。思わず反射的に吹き出してしまった。

「お……おじょうさまぁ~~!!」
 だがその侍女は俺のことなど目に入らないようで、マーミルに突進して抱きついてきた。
 若干俺が重い。
 だがそんな俺のことなどおかまいなく、その侍女と妹は、暫くめいめい泣き続けたのだった。

 ***

「落ち着いたか? 二人とも」
 なぜか俺が侍女と妹に、お茶を出している。
 いや、それは別にいいんだけど。

 とりあえず、二人には顔を洗わせ、すっきりさせた。
 尤もそうした後も二人は長椅子に並んで座りながら、まだぐすぐすやっている。
 いったい、なんだっていうんだ。

「マーミルが泣いている理由はわかるが、君……ええと……」
 デーモン族の侍女は、真っ赤な目をあげた。
「わ、私は、ぐすっ……ユリアーナと、申します……旦那様」
 白いタオルは目元に当てられたままだ。
 だが、少し下でてかてか光る水も拭いた方がいいんじゃないかな。
 まあいいけど。

「アレスディアの代わりにマーミル様のお世話を……ずびびびび」
 まあここにいるということは、そういうことなのだろう。
 だがアレスディア。君はいっていなかっただろうか?
 信頼できる侍女を、二人つけたと。
「アーレースーディーアーーーー!!!」
「マーミルさまああああーーうおうううおおおお」

 ……。
 やばい。なにこの二人。
 アレスディアの名が出たとたん号泣する妹と、その小さな体にしがみつくようにして泣き出す侍女。
 どうしたらいいのかわからない。

「マーミル。なにもアレスディアは出て行ったわけじゃない。そんなに泣かなくても……」
「だ、だって……お兄さま……」
 膝を叩いてみせると、妹は飛びつくように乗ってきた。
「アレスディアが、アレスディアがいなかったの、なんて……」
 ひっくひっくいう妹の背を撫でてやる。  ちなみに、凶器のような爪もとっくに外しておいた。
「ああ、そうか……あの時以来か」

 思えば、アレスディアはマーミルが生まれる前から父に仕えていて、妹が生まれた後はずっと世話を焼いてくれていたのだった。
 彼女自身の家族はもうなかったから、里帰りでマーミルから離れたことすらない。
 そんな彼女が一度だけ、妹と引き離されたことがある。
 先代の大公ヴォーグリムに拐かされた、あの時だ。
 マーミルは俺に取り戻すよう泣きついてきたが、無事に連れ帰れるとは思っていなかったのかも知れない。なにせ相手は世界にたった七人しかいない大公で、俺はその時ただの男爵だったのだから。
 状況が全く違うとはいえ、妹はあの時の不安な気持ちを思い起こしてしまうのかもしれない。

「本当に、帰ってくる?」
「もちろんだ。あの時だって、ちゃんと帰ってきただろ?」
   こくり、と頷くマーミルの涙を、ハンカチで拭ってやった。
 が、そういう俺も不安にかられてくる。

 アレスディア、帰ってくるかな。大丈夫だよな。
 想いをこじらせたプートがヴォーグリムと同じように彼女を拐かしたとしよう。その場合は腕の一本くらいは覚悟しても、アレスディアを取り戻してみせる。だが、万が一……パレードの間に誰ぞといい雰囲気になって、そいつと結婚するからマーミルの世話なんて見ていられません、とか言われでもしたら……。
 さすがに本人の意思を尊重しないわけにはいかないからな。
 そうなったら今でさえこれなのに、俺はどうしたらいいんだ。

「お兄さま?」
 背を撫で、涙を拭いている間に、どうやら気持ちも落ち着いてきたようだ。
「大丈夫だ。そんなに寂しいのなら、今日は一緒に寝てやるから……」
「ほんとに?」
 妹の瞳がキラキラと輝く。
「ほんとだ。ただし、今日だけだぞ?」
「……うん!」
 今日は珍しく、殊勝な「うん」だな。

「百日もいないんだから、慣れないとな」
「……うん……」
 あ、せっかく持ち直しかけたのに、百日を強調するのは不味かったか?
「今はこの先いつあるかわからない……いや、もう二度とないかもしれない大祭の最中だ。マーミルも泣いてばかりいるより、楽しまないと損じゃないか?」
「……はい」
「明日はベイルフォウスがお前の顔を見に来るとも言っていたし」
「へえ……」
 やはり、ベイルフォウスで浮上は無理か。

「そうだ! フェオレスが子供用の社交会場も用意してくれているから、そっちに行ってみたらどうだ? きっと楽しいぞ」
「……でも……一人で行っても……」
 元気づけるどころか、逆に落ち込んだ気がする。
 しまった。そういえば、双子とは最近しっくりきていないんだったか。
 どうする俺。そ知らぬそぶりで双子を誘ってはと言ってみるか?
 それとも俺が一緒に出かけてやるか?

「……なら、城外の催しでも見に、お兄さまと出かけてみるか?」
 その途端、マーミルの機嫌はさっき以上に持ち直した。
「本当に? 本当に、お兄さまと一緒に遊びにいけるんですの?」
「ああ」
「うれしい! 大好き、お兄さま」
 力一杯俺の首に抱きついてくる妹の背を、ぽんぽんと叩く。
 まあ、こんなに喜んでいるんだ。たまには妹の気の済むまで付き合ってやるのもいいだろう。

 その時、居室の扉が控えめにコンコンとノックされた。

「あの……マーミル、いるかしら……」
 この声はネネリーゼ?
 俺が頷いてみせると侍女は鼻を噛んだタオルをその場に置いて、扉を開けにいく。
 妹は俺に抱きついていた腕をほどいて膝から降り、そそくさと正面の席に戻っていった。心なしか表情も、澄ましてみえる。
 これはあれか、俺に甘えているところを友達に見られたくないとかいう見栄的な。
 子供なのに……いや、子供だからこそ、か。

 扉が開いて、ネネネセが姿をみせる。
 なんだか顔を見るのは久しぶりだ。暫く俺は、晩餐もみんなとは別だったから。

「まあマーミル。どうしたんですの、そんな泣きはらした顔をして……」
 ネセルスフォが驚いたように妹に駆け寄り、ネネリーゼがそれに続いた。
 ツンとしていた妹だったが、優しい言葉を掛けられたのがきっかけになったかのように、くしゃくしゃと顔を歪ませたかと思うと。
「ネセルスフォ、ネネリーゼーーーー!!」
 二人に抱きついて、また泣き出した。

「アレスディアがいなくて、寂しいのね」
「可哀想に……でも、いつまでもそれでは駄目よ。せっかくの大祭なのに、もったいないわ。私たちと一緒に楽しみましょう。ね?」
 俺と同じ論法だな。

「でも……私最近、二人にひどい態度を……」
「何を言っているの、マーミル。私たちは友達でしょう? これから先は長いのよ。そりゃあ、その間に喧嘩をすることだってあるわよ」
「そうよ。私とネセルスフォだって、言い合いをして口をきかないでいることだって、しょっちゅうあったわ。それに、ちょっとツンツンしているマーミルも、おちびちゃんたちみたいで可愛らしかったもの」
 マーミルは真っ赤になりながら、うつむいた。
「あの、じゃあ……一緒に、いてくれる?」
 ……。

「もちろんよ! そのために、私たち今ここにいるんですわ」
「フェオレス様が用意してくださった、私たち向けの社交会場に行きましょうよ。苺の飾りがとても可愛くて、いろんな人がいて、とっても楽しいんですのよ。さすがフェオレス様だわ。でもマーミルがいなければその楽しみも半減してしまうわ」
「ただ、そのままじゃ駄目ね。そのお洋服も可愛いけれど、ちゃんとした可愛いドレスに着替えて、それから目の腫れを隠すのに、ちょっとだけお化粧しましょうか」
「うん! ありがとう!」
 そうして妹は双子とわいわいやりながら、三人で寝室に入っていった。
 残された俺、置いてけぼり感、ハンパない。

 あ、俺だけじゃなかった。
 侍女もポカンとしている。

「あーごほん。えーと……ユリアーナ?」
「は、はい!」
 侍女は直立不動の姿勢をとる。
 マーミルの機嫌がなおったせいか、彼女の涙もすっかり乾いている。
 が、これまでによほど泣いたのだろう。目は血走っているし、目はぱんぱんに腫れていた。

「アレスディアの代わりについた侍女、だよな?」
「はい。ユリアーナと申します!」
 侍女は大きく頭を振りかぶり、九十度よりまだ深く頭を下げると。
「あっ……」
 そのままヘタリと座り込んでしまった。どうやら勢いをつけすぎて目が回ったようだ。
「おい、大丈夫か?」
「だ、大丈夫……れす」
 右手で頭を押さえながら、ふらふら揺れている。

「そう緊張しなくていいから……自己紹介、二度目だし」
「す、すみません……」
 俺は彼女の腕をとって、できるだけそっと椅子に座らせた。

「で、君はなんで妹と一緒に泣いてたんだ?」
「それは……その……」
 うつむき、もじもじと手をあわせる侍女。 「アレスディアがいない寂しさから、泣いてばかりのお嬢様が可哀想だったことと……それを私で埋めることができない悔しさ、といいますか……」
「……他には?」
「え? 他はとくに……それだけですけど」

 そんなことで?
 俺はまたマーミルに「あなたじゃ嫌よ、実力不足だわ。もう二度と私の前に姿を見せないでちょうだい」とでも言われて、ハンカチを投げつけられでもしたかと思ったじゃないか。

「普通になだめるとか」
「最初はそうしてたんですが、お嬢様があんまり泣きやまないのでつい私も悲しくなって……」
「気持ちはわからないでもない。だがだからといって、子供と一緒に泣いていられても困るんだが」
「すみません……引きずられすぎた自覚はありますし、反省してます」
「……いや、まあ、元々は俺が考えなしにアレスディアに全部任せすぎていたのが原因かもしれないが」
「そうですね」 「……」
「あ、すみません! そんなこと思ってません」

 侍女は、見るからにシュンとしてしまっている。
 少しきつく言い過ぎたかもしれない。
 まあ、妹がわがままなのは俺のせいもあるわけだし……。

「何か困ったことがあれば、いつでも俺に相談してくれればいいから」
「はい」
「君が一人で全部しょいこむ必要はない。妹のことなら、なおさらだ。俺がいないときは、エンディオンにも気にかけてくれるよう頼んでおく」
「……ありがとうございます」
「よっぽど困った時は、外出時でも報せをだしてくれればいいし」
「あの、もしかして旦那様は……」
 ちらり、と上目遣いで見てくる侍女。
「なに?」
「私に気がおありで?」
「は?」
 突然、何を言い出すんだ。この侍女は。

「だって急に優しくなったから……私の魅力に参ったのかと…………勘違い、ですかね?」
「そうだな、勘違いだな」
「ですよねー」
 ……アレスディアはまた、個性的な侍女を代理に選んだものだな。
「とにかく、妹も少しは持ち直したようだし、今後はよろしく頼むよ」
「あ、旦那様!」
 居室を出ていこうとしたが、侍女に呼び止められた。

「あの、枕は二つ並べておいた方がよろしいですか? 掛布団は、二枚必要ですか?」
「……はい?」
「今晩はお嬢様とご一緒にお休みになられるのですよね? その場合、ええっと……お着替えとかは……」
「心配しなくても、あの調子なら今日は俺とではなく、双子と一緒に眠ることになるだろう」
「え……じゃあ、お布団は三枚必要? 枕は……」
 ぶつぶつ言いだした侍女を置いて、俺は妹の部屋を出た。

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