魔族大公の平穏な日常
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【第六章 魔王大祭 前編】
一旦自分の部屋に戻って、上の服だけ着替える。
マーミルのことは双子に任せるとして、まずはフェオレスだ。
なにせ俺の留守を預かってもらっているのだし、それに何より確認しておきたいことがある。
猫顔の副司令官の姿は、本棟から正門を臨む広い露台ですぐに見つかった。
「フェオレス」
「これは大公閣下。お帰りなさいませ。お出迎えもいたしませんで」
胸に手を当て、優雅に腰を折るフェオレス。
いつだって彼の仕草は完璧だ。
「いいや。それより、運営は順調なようだな。正直、他の城の様子を見て、帰ってくるのが恐ろしかったんだが、さすがはフェオレスだ。君に任せて正解だったよ」
「恐れ入ります」
本当にその通りだ。
俺の城は、他に比べるとそれはもう落ち着いていて、品があって、不道徳なところは一つも見あたらない。
こうして庭を見下ろしてみても、茂みでうごめく影は一つとしてない。
いや、全くないことはない。だがその半分はゆったり散歩を楽しんでいるだけだし、残りは子供たちがかくれんぼをして遊んでいるだけだ。
つまりフェオレスは、仕事も完璧だ。
「マーミルも双子たちと一緒に、君の用意してくれた子供向けの社交会場へ行くそうだ。後で少し覗いてみようかと思うんだが、大人が足を踏み入れてもいいもんかな?」
「大公閣下を厭う者など、子供のうちにとておりませんでしょう」
本当に、フェオレスは受け答えまでそつがない。
「まあ、あまり気づかれないように、隙間からこっそり覗くことにするさ」
フェオレスは微笑を浮かべた。
「……ところで……なあ、フェオレス」
「はい」
俺は彼に向き直る。
「君には兄弟がいるんだよな?」
「はい。それは……ええ、おりますが。兄と弟が、あわせて六人ほど」
「全員成人してるのかな?」
我ながらわざとらしい。声がうわずってしまったような気がする。
「ええ、この間、一番下の弟が……もしや閣下」
フェオレスの瞳がキラリと光った気がした。
「ベレウスのことをお聞きになりたいのですか?」
「ベレウス?」
「その成人したばかりの弟です。もしや、爵位争奪戦でお会いになった?」
勘が鋭いな。
「いや、会ってはいない」
「では、お会いになられたのは、ティムレ伯爵ですか」
そこまでわかるのか、フェオレス。
「察しているようだから、ズバリ聞くが……どちらが勝ったと思う? ティムレ伯は、絶対の自信があるようだったが」
もうとっくに決着はついているだろう。なにせ争奪戦は、挑戦者の身分が低い順に行われるのだから。
そして当然、その結果は所属している領地へ知らされるのだが、そのタイミングは翌日まとめてだ。
そんなの、待っていられるはずがないじゃないか。
「閣下」
フェオレスは俺を安心させようという心遣いからか、力強くうなずいてくれる。
「ティムレの申すことは真実でしょう。我が弟は、能力的にみてもせいぜい男爵位程度。まだまだ性格も子供じみておりますし、それ以上に経験が足りません。ティムレを倒すほどの力も幸運も、万に一つも持ってはいないでしょう」
兄で公爵であるフェオレスが断言するのだから、そうなのだろう。
「ご安心いただけましたか?」
「君の保証付きならそりゃあね」
ああ、そうだとも。フェオレスは俺を安心させるためだけに、嘘をつくような男ではない。
「それにしても、まさか閣下がそこまでティムレに親しみを抱いておいでとは」
「まあ男爵になりたての頃に、公私ともに世話になったからな。それからもずっと、親しくしてもらって……あの人はなんていうか……ほら、あんまり上下関係に厳しくないから」
俺は息をついた。
「ああ、わかります」
フェオレスと話をしている間に、ずいぶん気持ちも落ち着いてきた。
そうなると、今度は男爵位ほどの実力しかないという、フェオレスの弟の身が心配になってくる。
だが相手はあのティムレ伯爵だ。
まさか幼なじみの弟を、死に追いやることはないだろう。
それにちゃんと医療班もいたようだし、よほどのことでもない限りは大丈夫か。
「そういえば、なんで君の弟はティムレ伯に挑戦を? 仲が悪いのか?」
「ああ、いえ。その反対です。むしろ弟は、幼い頃からティムレにべったり懐いておりまして……」
ならなんで挑戦するんだ?
ちょっと意味がわからない。
「弟がティムレに申しましたのは、閣下。こういうことです。『俺が勝ったら、嫁に来い』と」
……。
「なに?」
「つまり閣下、うちの弟は、ティムレのことが大好きなのですよ」
え……。
「えええええ!?」
***
いや、別におかしいことじゃない。
ティムレ伯爵は俺より年上だ。
とっくに大人だ。
俺と知り合った頃にすでに既婚者であったって、別におかしくない。
そうなんだけど、そうなんだけど……。
自分でさんざん「ブス、ブス」と言っていたのを聞きまくっていたからか、彼女が誰かを伴侶に選ぶ、ということが全く想像できない。
想像でき無いどころか……。
「俺、今ならヤティーンの気持ちが分かる気がする」
「は?」
声に怪訝な色を込めて応じてきたのは、どこにいても目立つ赤髪の親友だ。
そう。約束通り、ベイルフォウスは朝も早くから妹の顔を見にやってきたのだった。
そして俺も、昨日の妹との約束を果たしているところだ。
つまり、三人で城外の催しを見るために、竜で移動している最中だったりする。
魔族は外壁がくっつくほど並んで家を建て、固まって暮らす、ということをしない。
移動には高位の者は竜を使うし、下位の者でも遠出をするときには足の速い魔獣くらい使う。
それに、デヴィル族となると背に翼の生えた者も多いし、そもそも脚力があるので一領内の範囲であれば、距離はあまり問題とされない。
そんなわけで、外に催しを見に行くといっても、開催場所はそれぞれかなり離れている。というか、割とその場所そのものが広く利用されている催しも多い。
たとえば芝居。
かつての大公の人生を題材にしたものは、空いている公爵城の一つをまるごと使って演じられる。冒険譚は見渡す限りの野山が舞台だ。湖のほとりに建つ邸宅では恋愛ものが、平原では武闘が演じられている。
俳優たちが場所を移動するにあわせて、観客たちも移動し、あるいは魔術で別の場所に映して楽しむのだ。
だが、俺とマーミルが芝居を見ることはないだろう。
なぜならば興行はたいてい数日がかりだし、それになんといってもそのほとんどの芝居には、濡れ場が存在するからだ!
俺一人ならともかく、マーミルが一緒にいる今の状況で、そんな芝居を見に行けるはずがない。しかもわざわざ泊まりがけで!
「別に目の前で実演するわけじゃなし……いや、ないとは言わないが、あったところで近くでじっくり見学するわけじゃなし、そこまで気にしなくてもいいだろう」
とは、芝居を見に行きたいらしいベイルフォウスの意見だ。
「俺なんて、マーミルよりもっと小さな頃から親父とお袋がしてるところを見てきたし、兄貴が隣の部屋に女を連れ込んで一晩中」
「黙れ。それ以上口を開くと、蹴り落とすぞ」
お前の異常な環境と一緒にするな!
ベイルフォウスは自分の竜でついてくればいいものを、ちゃっかり俺とマーミルに同乗しているのだから図々しい。
今も俺が竜の手綱をとる後ろで、妹の髪をいじってご満悦だ。
そして、ベイルフォウスの髪結いを気に入っているらしい妹も、ご満悦だ。
昨日双子たちと久しぶりに仲良く過ごせたことも、上機嫌の一因を担っているのかもしれない。
「なに? ベイルフォウスさまのご両親、なにをしてらっしゃったの?」
ほら、いわんこっちゃない!
マーミルが興味を持ってしまったじゃないか。
「マーミル。ベイルフォウスのいうことを真剣に聞くのは、もうちょっと大人になってからで……いや、大人になっても聞かなくていい」
「お前……今日は本当にひどいな」
うるさい。蹴ってくるな。
「だいたい、なんでお前がついて来るんだ」
俺はベイルフォウスが放ってくる蹴りをさばきつつ、質問する。
てっきり外出なんて面倒くさがって、帰るか城で女性といちゃつくかしてると思ったのに!
「なんでって、俺はマーミルのご機嫌伺いにやってきたんだぞ。一緒に行くのは当たり前だろ。それも昨日はひどく泣いてたそうじゃないか。可愛いマーミルが落ち込んでいるのを、放っておけるわけがない。むしろ昨日のうちに、何を置いてもお前に同行するんだったと悔やんでいるところだ」
「可愛らしい? 私、可愛らしい?」
そんなに可愛いという讃辞に飢えているのか、マーミル。ベイルフォウスの言葉にまで反応するなんて!
「ああ、可愛らしい、可愛らしい」
俺の二つ返事に、マーミルは頬を膨らませる。
「本当に思っていることは、二回も続けて言わないんですのよ!」
誰だ。また面倒なことを吹き込んだのは。
ベイルフォウスめか。
「ほら、見えてきたぞ」
「お兄さまったら、すぐごまかす!」
だが妹は視線を前に転じると、すぐにまた上機嫌になった。
眼前に迫ってきた賑わいに心を奪われたのだろう。
平地に設営されたそこは、古物市だ。
何重にも並んだ広い机の上に、各々の家から不要になったものが並んでいる。
確か、俺の城からも何点か出しているはずだ。
ちなみに市とは言ってみたが、その品物を持ち主から譲渡されるのに対価は必要ない。ただ、出品者が拒否をすれば、どれだけ望んでも得ることはできないという決まりになっている。
地位に左右されず譲り手の意志が反映されるように、という配慮から、治安維持部隊が常駐しているのだ。
もっとも、この大祭が終わった後のことまで責任はもてないが。
「来るまでは不要品なんてガラクタばかりかと思っていたが、案外こうして見て回ると楽しいもんだな」
「ああ、まったくだ」
意外にも食いついたのはベイルフォウスだ。
「私から見れば、ガラクタばかりに思えますけど」
逆に、マーミルは少々つまらなそうな顔をしている。
と、いうのも。
「ここにあるものといったら、ナイフ、剣、斧、弓矢、槍……。武器しかありませんわ」
マーミルは大きく息を吐いた。
「何言ってるんだマーミル。ここは武器市だ。当然だろう」
「えっ」
「それより、見てごらん。この短剣の造形の見事なことを。謁見室に飾っておいてもいいくらいだ」
なぜだ。マーミルが白い目で見てくる。
まさか俺の言っていることが理解できないのか?
そうか、どこがどう見事なのか、知らないからこその反応なんだな。
「いいか、マーミル。これはただの剣じゃなくて、フォインという種類の短剣で、ほら、この柄に覆い被さるような護拳の部分が特徴的だろ」
「お兄さま」
「人間たちはここを盾代わりに使って、相手の攻撃を受け流したりするんだ。いってみれば刃の次に衝撃を受ける場所なわけだ! なのに施された彫刻の、繊細さには目を見張るばかりじゃないか? 思うにこれは」
「お兄さま、お兄さま!!」
「なに? どうしたんだ、大声出して」
「詳しい説明は結構ですわ! 私、武器にはまったく興味がありませんの!」
なん……だと?
「今、武器に興味がないって言ったのか?」
「ええ、そう言いましたわ」
「ほんとに? いや、でも、少しくらいは……」
「全くありませんの!」
「まあ、普通はそうだろうな」
ベイルフォウスが当然という風に同調してみせる。
なんてことだ!
確かに、魔族で武器に興味を持つ者は少ない。強くなるために必要なのは、魔力であって武器ではないからだ。
だが好きな者だって、全くいない訳じゃない。実際に俺は興味津々だし、ベイルフォウスだってそうだ。
だというのに、俺の妹が全く興味を示さない、だと?
「ちょっと待て。何かで試し斬りをして、みせてやろう。それを見れば、お前だって」
「結構です! そんなもの、みたくもありませんわ!」
おお、なんてこった!!
「マーミルにはこっちだろう」
ベイルフォウスは妹の前にしゃがみこみ、その手に持った色とりどりに塗られた小花飾りのある銀の簪を、マーミルの髪に滑り込ませた。
「武器市なのに、簪?」
マーミルが怪訝な表情を浮かべている。
「これはこう花飾りの先の部分を押しながら、上に引く」
ベイルフォウスはもう一度、今差したばかりの簪を引き抜いた。
すると土台だけが髪に残り、尖った針が現れる。
「つまりこれは、可愛い私の身が危険にさらされ、身を守ってくれる人も物も、何もないときに使うものですのね」
「まあそうだ」
「飾りがとってもキレイ。とてもそんな物騒なものとは思えませんわね」
「気に入ったか?」
マーミルは簪を受け取り、ベイルフォウスを見上げてにこりと笑ってみせた。
「気に入りましたわ!」
「そうか。なら、これをもらおう。いいよな?」
ベイルフォウスは立ち上がり、その出品者に声をかける。
「もちろんどうぞ。大公閣下のお目に止めていただけるとは、まことに光栄の至り。お嬢様、よくお似合いですよ」
カワウソの顔したデヴィルくんは、ほくほく顔だ。
だがちょっと待って欲しい。
ここで「俺もこのフォインもらっていいかな」
とか言い出しにくい雰囲気なんだけど。
いや、気にしなくてもいいかもしれないが、親友が妹の物を選んでるって言うのに、俺が自分のものだけって……。
「お返しに、ベイルフォウスさまにも私がなにか一つ、選んで差し上げますわ。でも武器はわかりませんから、別の品物をね」
「それは楽しみだな。ならとっとと別の市にいくか」
「ねえ、また竜の上でこの簪があうように髪をいじってくださる?」
「ああ、喜んで」
くそ……なにその弛緩しきった顔。
言っておくがベイルフォウス。マーミルの感性は少々、独特だからな!
変な物をプレゼントされても、がっかりするなよ!
「おい、行くぞジャーイル」
「ああ……」
俺はフォインに心を残したまま、上機嫌の妹と親友にせかされるようにしてその武器市を後にした。
そうして別の雑貨市へ向かったのだが。
「ベイルフォウスさまの赤に合うのは、やっぱりこういう色だと思うの」
そう言って、妹は大きな新緑の翡翠玉が飾られた銀のブローチを手に取り、ベイルフォウスにあてている。
デザインは……しごくマトモだ。
そしてなんだろう、さっきから感じるこの疎外感。
「あら、ジャーイル閣下。そちらをお選びですか?」
「え?」
ふと、堅く冷たい感触を覚えて手を見てみると、いつの間にか俺は一本の腕輪を握りしめていたようだ。
綺麗な真円の紫水晶を、金の金具で継いだ腕輪だ。
「よくお似合いですよ」
「ああ、いや……」
俺は手の平の上でその腕輪を転がしてみる。
「確かに綺麗だが、俺の腕には少し細すぎるようだ」
そもそも装飾をじゃらじゃらつける趣味はない。腕輪なんてはめたら、無意識に引きちぎってしまうかもしれない。
「では、妹君に?」
「いや……」
確かにマーミルの腕なら入るだろうが、ベイルフォウスと張り合っているように見られてもなぁ。
でも、まったく何も選んでやらないというのもそれはそれで……。
「けれど気に入ってはおいでなのでしょう? 随分、長く手にしておいでですから」
ちらり、と出品者であるデーモン族の女性を見てみると、期待で目をキラキラと輝かせているではないか。
もう今更、無意識にいじっていただけだとは言えない雰囲気だ。
まあ、代償もなくくれるというのだから、素直にもらっておけばいいのだとは思うが……。
「何か彫ってあるな」
紫水晶にうっすらと線が入っているので傷かと思ったが、どうやら違うようだ。
「花?」
「葵の花ですよ、閣下」
「葵……」
葵、か。葵と言えば……。
そう言えばこの紫水晶の色、どこかジブライールの瞳の色に似ている気がする。
そうだな、昨日も新魔王城の様子を見にいけなかったし、今日も結局無理そうだし……現場のみんなに大祭を感じられるような土産を見繕うってのもありか。
でも千人……千人か。
……とりあえず、ジブライールだけでもいいかな。
そのかわり、恩賞会では全員に褒美を奮発してもらえるよう、俺からも何か賞品を出しておこう。
「じゃあ、これをいただくよ」
俺がそう言うと、女性は満面の笑みで頷いた。
「ええ、どうぞどうぞ、お持ちください! たとえ一品でも大公閣下に求められたとあれば、他の物にも箔がつくというものです」
不要なものを無料で出しているはずなのに、なぜそんなに喜ぶのか、と不思議だったのだが、後で聞いたところによると品物の消化率によって順位を定め、上位には報償が出るようになっていたらしい。
そう言えば、そんなことが計画書にあった気もする。
フェオレスが、健全な催しが盛り上がるようにと、いろいろ考えてくれたようだ。
そうして俺たちは他にいくつかの市を回って気に入った品を手に入れ、即席技芸団のテントに足を運んでその芸を楽しみ、大河の河川敷で行われている水獣の曲芸に感嘆し、道を行く音楽隊の旋律にうっとりと耳を傾け、見知らぬ屋敷で陽気な領民に混じって饗応にあずかったりしながら、その日中を楽しく過ごしたのだった。
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