古酒の隠れ家

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魔族大公の平穏な日常

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【第六章 魔王大祭 前編】

72.別に戦った訳でもないのに、どっと疲れたのですが



 三人で各地の催しを回って城に帰り着いた頃には、すっかり夕暮れが迫っていた。
 竜舎に降り立ち、手綱を竜番に預ける。

「ベイルフォウス、この後どうする?」
「せっかくだし、もうこの時間だからな。泊まっていこうかと思うが」
「ぜひそうしてくれ」
 頷いてみせると、ベイルフォウスは怪訝な表情を浮かべた。

「なんだよ、その顔」
「いや……お前が嫌がらないなんて、珍しいと思って」
 人聞きの悪い!
「別に嫌がったことなんてないだろ。あ、ただし、マーミルと一緒に寝させろ、とかいうのは絶対に無理だから」
「今日はお兄さまが一緒に寝てくださるんですものね!」
「俺が?」
「だって、本当は昨日一緒にってお約束だったわ。でも、ネネネセと一晩中一緒だったから、お約束は今日に持ち越されたのよ!」
 えっ。そうなの?
 しかし妹はこのところないほどの上機嫌だ。外出がよほど楽しかったのだろう。そんな様子を見ていると……まあ、仕方ないかな、という気になってくる。

「マーミルはまたネネネセと野いちご館か?」
「ええ、帰ったら遊びに行く約束をしているの!」
 まあそれなら安心だな。
「お兄さまはベイルフォウス様と舞踏会に顔を出すのでしょ?」
「そのつもりだが……一度、執務室に戻ってくる。セルクがいるようなら、帰してやらないとな」

 というか、帰ってもらわないと困る。
 ベイルフォウスが残るのを歓迎したのは、この機会に魔力を返してしまいたいからだ。そして鏡は、執務室に保管してあった。
 エンディオンと違ってセルクには邪鏡の話はしていない。だから魔力を返す現場を見られたくないのだ。
 もちろん、結界を張ればいい話だ。だが、俺がベイルフォウスと二人きりで執務室にこもって、他者の出入りを制限するなんておかしな話じゃないか?

「そんなわけだ、ベイルフォウス。着替えたら舞踏会場に顔を出す前に、俺の執務室へ寄ってくれ」
「俺まで? なんでだよ?」
「ちょっと用事があってな」
「用事って?」
「後で説明する。どちらかというと、お前のためになることだから」
「……まあ、いいけど」
 はっきりしない説明に、ベイルフォウスが不信感を抱いているのがありありとわかった。

 そうして俺は本棟の執務室に、マーミルは居住棟の自室に、ベイルフォウスは貴賓室の客室に、それぞれ足を運んだのだった。

 ***

 俺の執務室から広い廊下を挟んで、すぐ前に目立たない扉がある。
 そこが筆頭侍従の専用の部屋で、主人である大公の動きをすぐ察せるように、常に扉は開いてあった。
 誰かいるときは半開き。誰もいないときは全開。
 もっとも、室内に幅の広く背の高いついたてがあるし、結界を張る自由はあるので、気配はわかるがある程度のプライバシーは守れるようになっている。
 今、扉は半開きになっている。中にセルクがいるという証拠だ。
 俺は礼儀上、扉をノックして……。

「勝手気儘もいい加減にしなさい!」
 えっ!
「自分の立場を利用して、何が悪いのよ!」
 女性? この聞き覚えのある声は……。 「悪いに決まっているだろう。君はそんなこともわからないのか?」
「なによ! どうしてそんなに怒るの!? いつものセルクなら、こんなことくらいで……」
「それだけ君のしたことは、度が過ぎているということだ。そんなこともわからないのか?」
「わからないわよ! だいたい、無理矢理私を婚約者にしたあなたに、どうのこうの言われたくない!」
 その金切り声に、俺は黙って回れ右をしたのだが。

「あ! ジャーイル様!!」
 しまった、見つかった!!
 ついたての向こうから顔を出したその女性が誰かなど、確認するまでもない。
 エミリーだ。

「ご無沙汰しております、ジャーイル様!」
 セルクと言い争っていた声とは全く違う。これぞ猫なで声、だ。
「ああ、久しぶりだな。だが、ここで何を?」
「エミリー。いい加減にしなさい!」
 エミリーの背後からセルクが現れ、俺の方へ駆け寄りかけた彼女の腕を掴んだ。
「痛い、そんなに強く掴んだら痛いってば!」
 エミリーがセルクの腕をふりほどく。
 そんなにきつく掴んでいたようには見えないが。

「申し訳ありません。部外者を入れていい場所でないのは重々承知しております」
 セルクが深々と頭を下げる。
「私は筆頭執事たるあなたの婚約者なのよ? 部外者じゃないでしょう。ねえ、ジャーイル様。そうでしょう?」
 セルクに話しかけるときの冷たい口調と、俺へ視線を向けたときのぶりっこ口調との差がひどすぎる。

「部外者に決まっているだろう。それとも君はワイプキーどのが筆頭侍従の折り、娘という立場を利用してこの場に来たことがあるとでもいうのか?」
「ここはないけど」
 そうしてエミリーは、流し目をよこしてきた。
「もっと深いところにはお邪魔してよ。ねえ、ジャーイル様。寝室でお会いして以来ですわね?」
 また、誤解を招く言い方を……懲りてないのか? この娘は。
「その勝手を俺が罰したはずだが」

 エミリーにそう応じながら、セルクの顔色をうかがってみる。
 彼はどこまで詳細に知っているのだろう。
 ワイプキーの停職と、エミリーの謹慎の理由を。
 顔色一つ変えていないところをみると、すべて承知の上のことなのかもしれない。
 ……そうだな、筆頭侍従についたからには、前任者の記録にも目を通すだろう。だとすれば、初対面の時はともかくとしても、今は正確にその理由を把握していても、おかしくはない。

「でも、聞いてください、ジャーイル様。私がセルクの婚約者になったいきさつをお聞きになれば、ジャーイル様だってきっと私をかわいそうだと思ってくださるわ!」
 ええっと……「でも」って何。
 論点がすり変わったことについて、つっこんではいけないのだろうか。

「旦那様はご承知だ」
「あら、どうかしら! あなたが強引に私との婚約を迫ったことは知ってらしても、私がそれを拒んでいることはご存知ないのじゃない?」
 勝ち誇ったようにセルクを見るエミリー。

「まあ私的なことだから、詳細は知らないが、エミリー、君の性格を知っていればそうであっても驚きはしないな。だが、何もセルクは君に関係を強いている訳ではないんだろう?」
「それは……でも、婚約者としての立場は、強制されていますわ。それを拒むなら、屋敷を出て行けと……こうですもの! ひどいと思いますわ!」
 その立場を利用して、今現在ここにいることも、つっこんではいけないのだろうか。

「本来、爵位を簒奪された者は、本人が存命ならば家族ともどもそれまでに住んでいた屋敷や城を出て、簒奪した者にすべて明け渡すのが慣例だ。ワイプキーには同居に抵抗があるというなら、退職祝い代わりの男爵位と屋敷は用意するとも伝えてあった。広い屋敷と使用人の有無にこだわらず、家族だけで暮らすつもりなら、いくらでも引っ越し先はあるだろう。それでもなお、生家を出たくないというのなら、条件を飲むのはやむを得ない話じゃないのか?」

 冷たいようだが、本来なら爵位の簒奪に伴うのは命のやりとりだ。
 相手が幼なじみのセルクでなければ、エミリーはワイプキーが爵位を失ったと同時に父親を失い、家を追われるか、もしくは強引に愛妾にされていてもおかしくはない。
 セルクがワイプキー一家に示している条件は、力こそすべての魔族にしては、優しい処遇ともいえるだろう。

「それは……でも、そんな……」
「それとも自分一人ででも今の屋敷を出たい、というのなら」
 一応、セルクの表情を窺ってみる。だが彼は俺の言葉に否定的な表情も見せず、こくりと頷いた。
「住み込みでどこかの屋敷か城で下働きとして勤めるという手もある。その気があるというのなら、どこか紹介してもいいが。どうだ?」
 エミリーの実力的に爵位を得るのは無理だ。それで今の家を出たい、と思えば自分でこぢんまりとした家を探すか、住み込みで働きに出るしか方法はない。

「こちらで、ジャーイル様付きの侍女として雇ってくださるなら、喜んで!」
「以前にも断ったはずだ。俺に専属の侍女は必要ない」
「私、閣下にまだお礼をいただいてませんわ!」
「エミリー」
 俺はため息をついた。

「薬の実験のことなら、君の無礼と相殺だと言ったはずだ。それでもまだなお、大公の私室に侵入した者に対する処置としては、緩いと思うのだが?」
「そんな……」
「旦那様、ありがとうございます」
 ん? なぜセルクに礼を言われるのだろう。

「エミリー。旦那様のおっしゃるとおりだ。君は今現在でも大公閣下に対して非礼がすぎるということを、自覚すべきだよ。今だって、本来なら問答無用でつまみ出されてもおかしくない立場だ。旦那様が許しても、これ以上の無礼は私が筆頭執事としての権限を行使せねばならなくなる」
「な……何よ、どうするつもり……?」
 本当、セルクはどうするつもりなのだろう?
「君の態度を不敬罪に値するとみなせば、拘束の上悪くて公開処刑、良くても公開百叩きの刑だ」
 えっ。ちょ……いや、セルクさん、いくらなんでもそこまで……!

「……ひどい……」
 見る間にエミリーの瞳が潤み、涙の粒があふれ出して頬を流れ落ちた。
「よくそんなこと、冗談でも言えるわね。ひどいわ……」
 そのまま両手で顔を覆い、泣き出してしまう。
「エミリー」
 セルクは彼女の細い肩を抱きしめ、優しげに頭を撫でだした。
「もちろん、冗談ではない。でも、僕が君に対してそんなことを望むはずもないことは、わかっているだろう? 本当なら、屋敷に閉じこめて、一歩だって外に出したくないくらいなのに。かわいい君。いい加減僕を困らせて惑わせるのは、やめにしておくれ。君を痛い目や危険な目にあわせたくないからこそ、こうして心を竜の鱗のようにして、言いたくもないことを言っているんじゃないか。それというのも、君が愛らしすぎて僕の心を不安にさせるから……」
 えっと……あの……俺、もう席を外していいかな?
 それとも、いちゃつくなら俺の目の前じゃなくて、城の外に出てからやりやがれ、って、放り出してもいいかな!?

「あーおほん」
 俺はわざとらしく咳払いをしてみせる。
 エミリーはセルクの胸に顔を埋めたままだが、セルクの方はこちらに視線をよこしてきた。

「今日のところは不問にするが、今後このようなことのないように、とだけ言い渡しておく。次は容赦するつもりはない。それだけは、肝に銘じておいてくれ」
「お約束いたします。今後は決して、私の身内という立場を利用する者など現れないことを」
 真剣に誓うセルクに、俺は頷いてみせた。

「まあ、ワイプキーへの申し出はまだ有効だ。納得がいかないというのなら、帰って両親とよく相談してみるんだな」
「エミリー。そうしよう」
 優しい口調で語るセルクの瞳には、さっきまでの怒りはもう跡形もない。それどころか、今はエミリーに対する深い情愛でいっぱいだ。
 逆に俺の心はささくれだっていく気がする。気のせいだろうか。

「まあそうはいっても今は大祭の最中だ。俺も今日は一日ベイルフォウスと約束があって、仕事には戻れそうもない。セルクもこれであがって、エミリーと一緒に祭りを楽しんでくるといい。いい気晴らしになるだろう。城外の催しも多種多様で楽しいぞ。二人で芝居でも見に行ってきたらどうだ?」
「ありがとうございます。ぜひ、そうさせていただきます」
 エミリーの背を優しく撫でながら柔らかい笑みを浮かべるセルクに、なぜか敗北感を感じたのは内緒だ。

 そうして俺は執務室へ駆け込み、ベイルフォウスがやってくるのをむなしい気持ちでじっと待ったのだった。

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