古酒の隠れ家

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魔族大公の平穏な日常

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【第六章 魔王大祭 前編】

74.そりゃあ僕だって、なるべく個性は尊重したいと思うのですが



「あら、お兄さま」
 舞踏会にふさわしい盛装に着替えるため、自室へと戻る途中の廊下で、双子と楽しそうに歩くマーミルとすれ違った。
「これから野いちご館か?」
「そうですわ!」

 子供たちのために用意された社交会場は、今のこの間だけは<野いちご館>と呼ばれている。あちこちが苺模様で飾られているからだ。少女趣味に偏っている気がしてならないのだが、マーミルの好みにはあっていたらしい。
 俺が同年代であったなら決して足を踏み入れないが、意外にも男子の参加者も多いと聞く。

「お兄さまはこれからベイルフォウス様とお楽しみなのでしょう? 私が見ていないからって、不道徳なことはなさらないでね!」
「俺がいつそんなことを……」
 ベイルフォウスに呆れられるほど、女性との接触には気をつけているというのに!

「本当なら私たちが衣装を見立てて差し上げたいのだけど……ねえ、ネネネセ」
 結局、妹は初日以来、また以前のように双子と一緒に行動するようになったらしい。アレスディアがいない寂しさの前に、双子への些細なこだわりは消え去ったようだ。
 というか、まあもとから意味のわからない理由で疎遠になっていたからな。

「お兄さまのことはいいから、早く行っておいで」
「ああ、そうだ。ユリアーナがまだいたわ。彼女にお願いしましょ。お兄さま、ちょっと待ってらしてね」
「ユリアーナ?」
 ……ああ、例の勘違い侍女か。
 マーミルの発言に、双子は顔を見合わせている。

「見立ててもらう必要はないから、わざわざ呼ばなくても構わないよ」
「あら、駄目よ。だってお兄さまがお選びになる服って、いつも地味なんですもの。せっかくの大祭なんだから、もうちょっとおしゃれになさった方がいいわ」
 えっ。
「たまには若い女性の意見も取り入れるべきなのよ」
 えっ。

「……地味?」
「いえ、私たちは特にそうは……」
 ちらり、と双子を見ると、彼女たちは困ったように顔を見合わせた。
「あら、ちょうどユリアーナが来たわ!」
 件の侍女が、ちょうどマーミルの部屋から出てこちらへやってくるところだった。
 その顔を見て、俺はあっけに取られる。

「ユリアーナ。お願いがあるのだけど、いいかしら」
 兄の気も知らぬまま、妹は侍女の腕を引いてやってくる。
「なんでしょう、お嬢様。……あ、旦那様」
 俺に気づいて、軽く腰を折るユリアーナ。
 だが俺は、それに反応するどころじゃない。視線はその顔に釘付けだ。

「お兄さまがこれから舞踏会にお出になるの。それで、ぜひその衣装をあなたに選んでもらいたいと思って!」
「ええ、そんな! 私ごときが、そんなめっそうもない!」
「そんなことないわ。あなたのその、独特の感性が、今まさに求められているのよ!」
 えっ。

「マーミル、ちょっとこっち来なさい」
「痛い痛い痛いっ!」
 俺は妹の耳を引っ張って、双子と侍女から離れた。
「ひどいわ、お兄さま!」
「ひどいのはどっちだ。人のことをバカにするなんて」
「バカに? 私がいつ、誰にそんなことをしましたの?」
 俺の言葉に、妹は真剣に憤慨しているようだ。
「いつって、たった今しただろ。ユリアーナの感性を、バカに……」
「あら、独特の、というのは別に人を貶める言葉ではありませんわ! 個性的だ、と認めているだけですのよ!」
 個性的?

 俺は改めて侍女に視線を向けた。
 目の上の不自然な二重のつけまつげがとても重そうだ。なんのために入れているのかわからない目の周りの黒く厚い縁取りは、化粧と言うより入れ墨でも彫っているかのように黒々しい。せっかくふっくらとした頬をしているのに、ぐりぐりとはっきり描かれた真っ赤な円が台無しにしているし、黒い線が頬骨と鼻筋に伸びていて、汚れと見まがうほどだ。そして、唇から大きくはみ出したどぎつい赤の口紅。
 なんというか……全体的に派手派手しく、バランスが悪い。少なくとも、素顔は柔らかい印象だっただけに、このドギツい化粧は彼女には似合っていないように思える。
 いいや、これが似合うデーモン族なんて、この世にいるのか?

「バカにしているのではない、と?」
「してませんわ。どうしてそんなこと!」
「なら、彼女の化粧についてどう思う?」
 妹は振り返り、侍女を確認してから俺に向き直った。
「目がぱっちりしてて印象的だし、とてもお顔だちがはっきり立体的になって、素敵ですわ。それになんといっても頬を赤く塗っているのが、とても可愛らしいと思いません? 唇も大きくてとても魅力的ね! あれならきっと、初対面のデヴィル族の方にも、一目で覚えていただけると思うの」
 目が真剣だ。どうやら冗談ではなく、本気の言葉のようだ。

「私、本当は同じようにお化粧してもらいたいのよ。でもネネネセが、私たちは若いから何もしなくていいって……」
 双子、後で何かお礼をしような!
「だから初日だけですの。お化粧してもらえたのは。それも、お兄さまが帰ってきた頃にはとれてましたけど……」
 ああ……それであの、化け物顔……。
「もしかして、あの日の衣装も彼女に見立ててもらっていたのか?」
「もちろん、そうですわ」
 なるほど、あのド派手で奇抜なのが、侍女の感性とやらか。

「それでね、お兄さま。ユリアーナのすごいところは、それだけじゃないの! 彼女、絵もとってもお上手なのよ!」
 まさか……。
「本当に、誰も見たこともないような絵を描くの! 私、できれば絵も彼女に教えてもらいたいわ。そうすれば、アレスディアが帰ってきてからも、あの感性にいい影響を受け続け」
「マーミル!」
 俺はしゃがみ込み、妹の肩をがっしりと掴んだ。

「お前の考えはよくわかった。その熱意に免じて、ちゃんと彼女に相談するから、お前は安心してネネネセと一緒に<野いちご館>に行っておいで」
 俺がそういうと、妹は嬉しそうににっこりと笑った。
「ええ、そうしますわ。でもお兄さま、今日はあまり遅くならないでね! 私と一緒に寝るお約束を、忘れないでくださいね!」
 それから妹は侍女にお兄さまを頼むわね、と言い残して、双子と一緒に去っていった。

 さて、問題は。
「あ、あの……本当に私なんかが旦那様のお衣装を……」
「……とりあえず、俺の部屋に行こう」
「あ、はい。よろしくお願いします」
 いや、お願いしないから!

 俺は廊下に続く扉を少し開けておいて、それから居室に侍女を通す。
 基本的に俺の私室には、マーミルの他はエンディオンと掃除の担当者と奥侍女・近従の数名しか立ち入らないことになっている。
 妹の侍女とはいえ、正式にその立場にあるわけではないし、デーモン族である彼女と二人きりでこもったなんて噂がたっては面倒だ。
 どうやら俺の配下たちは、俺に対してありもしない色恋沙汰を発生させることに、喜びを見いだしているようだからな。

「できればなんだが、顔を洗ってその化粧を落としてはもらえないだろうか?」
「だ、旦那様……いくらなんでも、それは……っ」
 俺の言葉に、顔を真っ赤にして狼狽えたように後ずさる侍女。
「ひどいです! いくら大公閣下といったって、こんな……こんな無体がまかり通るなんて……」

 それほど素顔を見られるのが恥ずかしいのだろうか。
 まあ、そうだな……これだけ厚化粧を施しているのだから、当人の意識としてはそんなものかもしれない。

「心配しなくても、素顔ならこの間見て」
「駄目です! 私、初めては好きな人と決めてるんですっ!! そりゃあ旦那様はこの上なく上等な部類ですが、だからって女なら誰でもなびくと思ったら、大間違いです!!」
 …………は?

「ちょっと待て。どういう意味だ?」
 なぜ体を掻き抱く感じで、俺に背を向けてるのかな?
「どういうって……そりゃあ、化粧を落とせってことは、君のすべてが見たい、ということでしょう?」
「……すべてが見たい?」
「つまり、生まれたままの姿になって、同衾しろという意味だと……」
 …………は?

「ちょっと待て。それじゃあ君は、俺が嫌がる君に乱暴を働くとでも?」
「そうでしょう? 所詮男なんてケダモノよ! 嫌がる女を力尽くで征服するのがたまらないとか言って……」
「…………」
「……あれ? ちょっと待って。これ、私また勘違いしたっぽい?」
 ユリアーナは横を向いてそう呟いた。
「そのようだな」
 俺は腹の底から、ため息を絞り出した。

「だ……だとしても、お断りです! だいたいなぜ、そんなことをしないといけないんですか? 理由もなく、いきなり化粧を落とせだなんて……勘違いしても仕方ないと思います!」
 ユリアーナは真っ赤になりながらも、目をつり上げて抗議してきた。
 まあ、説明を省いたのは確かに俺の怠慢かもな。

「俺の考えはこうだ。君の個性はもちろん尊重したいが、ここは職場だ。君のその派手……個性的な化粧では、他の侍女たちからあまりにも浮きすぎてしまうだろう。プライベートな時間までどうこういうつもりはない。だから頼む。せめて勤務中は、もう少し化粧を薄くしてもらえないだろうか」
「薄く? ……本気で言ってるんですか?」
「もちろんだ」
 なんだったら、理不尽と言われようと命令したいくらいなのだから。

「旦那様は私の素顔を知らないから……だからそんなひどいことを言えるんです」
 ふん、と鼻をならされた気がした。
「ひどいって……さっきも言ったけど、化粧を落とした顔ならこの間一度見てる。そんな気にしなくてもいいと思うんだが」
 むしろ、今のこの道化を思わせる化粧より、素顔の方が絶対にいいと思うんだが。

「旦那様にはわかりませんよ……ええ、わかるもんですか。そんなお顔をなさって……魔族には美男美女が多いとはいえ、そんな生まれた時からキラキラしてます、と言わんばかりの方が、私みたいなもっさりした顔の者の気持ちなど、永遠に理解できるはずがないんです」
 もっさり? それって素朴、という風にでも解釈すればいいのかな?
 これはまた……ミディリースとは違う方向で面倒くさい娘だな。

「でもそこまでおっしゃるのなら、水だけですべて落ちるかどうかはわかりませんが、やってみましょう。洗面器をお借りしても?」
「ああ、どうぞ」
 すぐ隣に洗面所があるのだから、そこで洗ってきてくれればいいと思うのだが、なぜか洗面器をご所望だ。
 俺はいつも自分が洗顔するのに使用している陶器の洗面器に水を張り、ユリアーナに渡す。すると彼女は俺の目の前で、ばしゃばしゃとやりはじめた。見る間に洗面器の水がどす黒く濁っていく。
 陶器に色移りしないかと心配になるほどの濁り水だ。こんな色を出すものを顔に塗って、本当に大丈夫なのかと心配になってしまう。
 そうして底が見えないほど水が濁りきってやっと、ユリアーナは洗顔を止めてタオルを顔に当てた。
 その白いタオルまで、灰色に汚れていく。

「これを見ても、そういえますか!?」
 そういって彼女は勢いよくタオルを取り除いた。
 水だけで落ちるのかと本人も心配していたが、どうやらそれは大丈夫だったようだ。
 自称・もっさりした顔を、俺の前に披露してくれた。

 確かに、目の大きさはさっきの半分ほどに見えるかな?
 でもわざわざ頬を真っ赤に塗らなくても血色はいいし、別に唇だって大きく見せる必要のない、普通の大きさじゃないか。灰色に塗りたくって鼻筋に黒い線をつけるより、ずっと健康的で印象がいい。

「やっぱりその素顔の方が、さっきより遙かにいいと思うんだが」
「!? 素顔の方がいい……ですって?」
「ああ。ずっとな」
「……ちょっと待って、ユリアーナ。これって口説かれて」
「ない」
「……ですよね」

 とにかく俺と侍女はその後も話し合いを続け、とりあえず色彩を抑えた化粧を心がけてもらうことで、一応は双方、妥協しあったのだった。

 ……なんだか疲れた。
 俺の舞踏用の衣装?
 もちろん、自分で選んだに決まっている。

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