魔族大公の平穏な日常
目次に戻る | |
前話へ | 後話へ |
【第六章 魔王大祭 前編】
舞踏会場にはそれはもう大勢の女性がいる。
全方位からの視線をずっと感じるほどだ。
だが誰も声をかけてこないのは、決まりごとがあるせいだろう。舞踏会に限っての約束事……それは、よほど親しい間柄でもなければ、下位から上位へダンスの相手を申し込むことはできない、ということだ。
つまり俺が踊りたいと思ったら、自分から相手に声をかけないといけないのである。しかも、最初の相手はなるべく近い身分の方がいいときてる。
だが今日はジブライールもいないし、さて、いったい誰に声をかけたものか……。
ちなみに女性との交友関係は、この二年間ほとんど広がっていない。
こういう時にアドバイスをもらえそうなベイルフォウスも、もうこの会場にはいない。
「あら」
「……君は」
あまりキョロキョロしているように見えないように気をつけながら、それでも相手を探して周囲を見回していたら、一人の女性と目があった。
大きく巻かれたプラチナブロンドと、鋼でも入っているかのように正しいその姿勢。ごく最近、見知った相手だ。
「確か……リリアーナ……」
「リリアニースタ、ですわ。ジャーイル閣下」
しまった。ユリアーナと混ざって覚えていたようだ。
「ですから、リリーでよいと申しました」
リリアニースタは苦笑を浮かべている。
「すまない」
「構いません。覚えにくい名だとは自覚しております。でも、名前は間違われても、顔は一度で覚えていただけますのよ」
ああ、そうでしょうとも。
自信満々な表情がよく似合う、艶やかな容貌をしているもんな。
「それで、閣下は名を間違えたお詫びに、ダンスにでも誘ってくださるのかしら?」
確か彼女は侯爵だったはず。なら最初の相手としてはむしろ願ったりか。
「姫君、今宵最初の栄誉を、お与えいただけますか?」
「若君、光栄に存じます」
俺はリリアニースタに向かって手を差しだし、彼女は毅然と微笑んで、それに応じた。
そうして俺たちは、広間へと踊り出る。
「君とここで会えるとは、思ってもみなかったよ」
「あら。私はこれでも、閣下の領民ですよ」
「俺の?」
ベイルフォウスのじゃなかったのか?
今もてっきり、あいつに同行してここにいるのかと思ったのに。
「ええ。第五軍団に所属しておりますわ」
第五軍団、といえば軍団長は公爵か。
「本当に? でも、今まで会ったことはないよな……」
「それはまあ。私は半分ほど隠居している身で、舞踏会にもほとんど不参加で通しております。軍団でも役にはついておりませんし、さすがに大演習会の中にあってまで目立つ容貌だとまでは、自惚れていません」
隠居……侯爵なのに?
「けれど今は魔王大祭ですもの。この機会を逃せば生きている間に次回があるか、わからないのですから、外を出歩きたくなるのも当然でしょう」
確かにその通りだ。
だというのに、約一名頑として引きこもって出てこない娘がいる。そのうち誘いにでもいってやろう。
「そうだな。そんなに楽しんでくれているというのなら、準備を頑張ったかいもあるというものだ」
「それは大祭主として、ですか?」
「ああ」
リリアニースタは勝ち気な笑みを浮かべる。
「本当に真面目でらっしゃるのね」
真面目……そりゃあ、他の大公の仕事っぷりに比べれば、遙かに真面目だろう。
「その閣下は、大祭を楽しんでいらっしゃる?」
「ほどほどには。……ああ、もちろん、今はこの上なく」
「まあ、お上手ね」
「上手なのは君のダンスの腕前の方だろう。それだけ動いて、よく息一つ乱れないもんだ」
今、演奏されているのは、男はほぼ突っ立っているだけだが、女性はかなり頑張って舞わないといけない激しい曲だ。
さすがに体力勝負の魔族であっても、他の女性陣は彼女ほど悠長にしている暇はないようだ。
だが、リリアニースタは踊るときも芯が通っているようにその姿勢はぶれず、これだけ話しているというのに息一つあがっていない。
「わたくし、ダンスは大好きですの。なんなら、一晩中踊っていられるわ。つき合っていただける殿方がいないのが残念ね。でも」
くるくる回っていた彼女を引き寄せ、体を密着させる。
いや、俺の意志じゃなくてそういう踊りなのだ。
「相手が大公閣下なら、どうかしら?」
耳に熱い息がかかり、背筋が震えた。
「俺でも力不足じゃないかな」
「そうですの? 残念ね」
やばい。なんかやばい気がする。
これ、俺が一番苦手なタイプじゃないか? ガンガン来る系にはいい思い出がない。
「じゃあ、一曲で解放してさしあげるわ」
曲が終わる頃にそう宣言されて、俺は残念に思うよりホッとしたのだった。
「ただ、一つだけ答えてくださいます? ジャーイル大公閣下」
「なにを?」
「お祭りの中盤には、いよいよ美男美女コンテストが始まりますわね」
「そうだな」
投票場所は魔王城の前地。そこへ巨大な石の投票箱が造られるのは、周知の通りだ。
担当の大公はサーリスヴォルフ。もちろん、投票開始日には俺も同席しなければいけない。
「閣下にわたくしの名を書いていただける可能性は、今どのくらいかしら?」
俺は苦笑を浮かべる。
「知り合ったばかりなのに?」
「あら……恋に落ちるのに、時間は関係ありません」
確かにそうだ。そうだが……。
断言できる。彼女は俺のことなんか、好きじゃない。好意的ではあるかもしれないが、恋に落ちている者の目では、絶対にない。
さすがに俺だって、それくらいはわかるのだ。
「だが、俺が君の名前を書いたところで、喜んでもらえるとは思わないが。君は別に、俺のことを好きなんかじゃないだろ?」
「興味があるのは真実です」
興味、ね。
「だから逆にわたくしが閣下のお名前を書いて投票しても、不思議にはお思いにならないでね」
曲が終わり、俺たちは対面で礼を交わしあう。
「閣下を我が城にご招待できる日を、楽しみにお待ちしております」
そうささやくように言って、リリアニースタは雑踏の中に消えていったのだった。
この短時間、会話をしただけでも、彼女が随分な自信家なのだろうということがよく知れた。女王然とはしているが、ウィストベルとはまた違うタイプだな。
それにしたって、俺の名前を書いて投票するって?
…………まあ、冗談だろう。
「いやー、お見事、お見事!」
聞き慣れた声と拍手の音に、俺は笑顔で振り向く。
「なんだったら、一曲お相手しましょうか!」
そこには見慣れた白い犬……ティムレ伯爵が、珍しく淡い琥珀色のドレスを着て立っていた。
「勘弁してくれよ。あたしが踊るの苦手なのは、知ってるだろ? だいたいさ、いつもこんなスースーしたものだって着ないってのに」
そういって、ティムレ伯爵はふわりと広がるスカートを叩いた。
本人の発言通り、ティムレ伯爵が舞踏会に参加する時は、たいていきっちりしたパンツスーツか軍服が基本だ。そして、踊っているところは一度も見たことがない。
「珍しいですね」
「仕方ないさ。泣いて止まないだだっ子を宥めるのに、これしかなかったんだから」
だだっ子?
「俺はだだっ子じゃない!」
ティムレ伯爵の後ろから、怒ったような声が聞こえる。
「だだっ子だろうが」
彼女は後ろに手を回し、そこにあった三角の耳をつかむと、大きく手を前に動かした。
「痛い痛い、姉ちゃん痛いって!!」
引きずられるように現れたのは、真っ黒な猫顔の青年。
猫顔……猫……!
まさか!
「あたしに負けて情けなくピーピー泣いて、踊ってやると約束するまで立ちもしなかったのは誰だ? お前だろ?」
「ピーピーなんて泣いてない! あれは男泣きと」
「ピーピーだよ」
ティムレ伯は投げ捨てるようにその黒い猫耳を放した。
「ティムレ伯……彼は?」
「ほら、ベレウス。ちゃんとしな。大公閣下の御前だよ」
「た、大公閣下!?」
その猫顔の青年は、あわてたように背筋をただした。
「ベレウス……君がフェオレスの弟か」
「はい、大公閣下!」
俺に向かって敬礼をしてくる。
が、これがティムレ伯に嫁になってくれと言った相手か、と思うといつものような笑いもこみあがってこない。
「……爵位争奪戦で、ティムレ伯爵に挑戦したという……」
「そうです! でも負けました!」
知ってる。それも、こてんぱんにやられたということを知ってる。その日、爵位争奪戦の見学に行っていたという配下から、対戦の様子を事細かに聞き出したのだから。
「なんでも、勝ったときの条件があったんだって?」
「えっ。知ってるの?」
ティムレ伯が焦った表情を浮かべる。
「勘弁してくれよ……。猫公爵だな? 君にいらないことをいったのは」
いらないことじゃないですよ! むしろティムレ伯から教えてもらいたかったです、と言いたかったが、ベレウスがいるのでぐっと我慢だ。
「今回は負けましたけど、今度は勝ちます!」
「今度っていつだよ。しばらく全く、負ける気がしないよ」
「そんなこと言ってられるのは今のうちだ! 俺はすぐに強くなる! フェオレス兄貴だって、いつか倒してしまえるほどに!」
「それは無理だろ。だってあいつ、公爵だよ?」
ベレウスは兄に似ず熱血漢のようだ。
対するティムレ伯のつっこみは、実に冷静だ。
「とりあえず、子供ですね」
「だろ? 言ったとおりだろ?」
「こっ子供なんかじゃ!」
黒い顔でもわかるほど、真っ赤になって怒るベレウス。
うん、子供だ。これはしばらく大丈夫そうだな。
「それじゃあ、さっさと踊ってくるよ」
「痛い、痛いって姉ちゃん!!」
黒い耳をつまみながら離れていく二人を見送って、俺はホッとしていた。
……いや、違う。別に俺は、ティムレ伯の幸せを願っていないというわけじゃないんだ。
でもなんだろう……心の準備がしたい。いつか誰かとそうなるにしても、心の準備をしておきたいんだ!
しかし、ティムレ伯でこうなら……マーミルだとどうなるんだろう。
マーミルに、もし恋人でもできたら……いや、早く独り立ちしてもらいたいとは思っているが、それとこれとは話が別で……。
それも、万が一チャラい男なんて連れてきた日には……。
赤毛に蒼銀の瞳の魔族一チャラい男なんて連れてきた日には、お兄さまは寝込んでしまう!
「お兄さま、お兄さま」
ひそかな呼び声に、俺は振り返る。
露台に続く扉の向こうから、こっそりと顔を出すマーミルの姿があった。
「どうした。双子と野いちご館じゃなかったのか?」
俺は妹に駆け寄り、その前にしゃがんで目線を合わせた。
まさか、ユリアーナの特異な感性の結果をチェックしに来たんじゃあるまいな!
彼女の意見をきかなかったのは一目瞭然だろう。今日の俺の盛装は、珍しく黒を基調にしたもので、毒々しい色彩のものは一切身にまとっていないからだ。
だが妹は、俺の外見については全く気にした風もない。
むしろどこかボウッとして、元気がないように見えるくらいだ。
「そうなんですけど……あのね、私ちょっと今日はもう疲れてしまって……」
小さな手を口にあてながら、欠伸を噛みしめている。
外の催しに興奮して、随分はしゃいでいたから疲れが出たのかもしれない。
「もうお休みしようと思うの。それで、お兄さまはまだお楽しみだろうと思って、お断りしにきたの……」
真っ赤な目をこする妹を、ゆっくりと抱き上げる。
「いや、お兄さまももう十分楽しんだ。今日はこれで、部屋にひきあげることにしよう」
本当はあと何曲か踊るつもりだったが、どうも気が削がれてしまった。
「本当に?」
妹は驚いたのだろう。眠そうだった目をぱちくり開けている。
「でも、まだこんなに早い時間ですわ。子供だって、誰一人おうちには帰らないくらいの……」
「まあ、今日はお前と寝る約束だからな。たまにはあわせて早寝をするのもいいだろう」
そう言うと、マーミルははち切れんばかりの笑顔を向けてきた。
「お兄さま大好き!」
短い腕を首に回して、しっかりと抱きついてくる。
だがやはり眠気には勝てなかったのだろう。
体から徐々に力が抜け、ぐったりともたれかかってきた。
「そのまま寝ていいぞ。ちゃんとベッドまで運んでやるから」
「うん……はい……」
その返事を最後に、マーミルは俺の肩に小さな頭を乗せて、規則正しい寝息をたてはじめた。
妹の小さな体を抱きしめながら、彼女の健全な婚姻のために努力することを、俺はこのとき初めて決意したのだった。
前話へ | 後話へ |
目次に戻る 小説一覧に戻る |