魔族大公の平穏な日常
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【第六章 魔王大祭 前編】
それにしても、アレスディアの噂はここまで届いているのか。
まあプートでさえ、あれほど興奮したんだもんな。
もともと、アリネーゼに負けず劣らずの美貌、とは言われていた。その彼女がこれでもかと着飾って各地を練り歩いているんだ。それはもう、すごい騒ぎになっているのだろう。
いや、そういう報告はもちろんあがっているんだ。アレスディアを間近でみた男性が今日は何人倒れたとか、何人から求婚を受けた、とか。
ただどうもデヴィル族のことなのでピンとこないというか……。
俺の領地に来るのはまだまだ先だが、一度様子を見にいってみるか。今ならベイルフォウスの領地を通っているはずだ。マーミルを一緒につれて……。
「閣下。ご一緒して、よろしいでしょうか?」
「ん?」
ふとかけられた声に顔をあげると、ジブライールが畏まった表情で立っていた。
両手に食事の皿が乗った盆を握りしめている。
ここは一階の大食堂だ。
上に登る階段下の四人席が、初日以来の俺の指定席となっている。暗黙の了解的な感じで。
「あの、お邪魔だったでしょうか? でしたら、私は別の席に……」
「いいや。邪魔であるはずがない。なんでそんなことを?」
「お一人でお食事なさっておいでなのは、珍しかったもので……」
「ああ……さっきまでニールセンとオリンズフォルトがいたんだ」
「そうでしたか。では、失礼いたします」
ジブライールはホッとしたように俺の正面に腰掛けた。
ジブライールと食卓を囲むのは久しぶりだ。
いや、久しぶりどころか……なんだかテンパって逃げられたあの日以来だ。俺はあれからも割と頻繁に現場を訪れているのだが、彼女とはとことんタイミングがあわなくて、しっかり顔を見るのも久しぶりだった。
おかげでせっかく手に入れた紫水晶の腕輪も未だ渡せずにいる。今もまさか食堂で一緒になるとは思っていなかったので、部屋に置いてきてしまって手元にはない。
だが、避けられているのでないのなら、大丈夫だ。後で時間をつくってもらえばいいのだから。
今日まで姿をみかけなかったのだって、仕事の都合のせいだと信じたい。
ああ、そうに違いない!
今だって、向こうから近づいてきてくれたじゃないか!
「まさか昼食はこれだけか?」
ふと、ジブライールの食事に目をやって、その量の少なさに驚いた。
中皿に小さな丸いパンが一つと、カップスープが一杯だけだ。
「はい。こんなものですが」
「少なすぎるだろう。こんなもんじゃ、出るもんも出ないぞ」
あっ。しまった、食事の席で下品だった。
ジブライールの顔色をうかがってみたが、彼女はうつむきながら、「出るところが出ない……」
とぶつぶつ言っている。
「待ってろ、何か取ってくる」
そう言って立ち上がったのは、自分の発言をごまかす為じゃない。ないとも。
そうしてカウンターに並ぶたくさんの料理の中からパンを五個、串刺し肉を数本と色彩豊かなサラダをたっぷり、それぞれ皿に盛り、煮豆を小皿に入れ、ガラスのグラスに何種類かの飲み物を用意して、ジブライールの隣に戻る。
「えっ」
「え?」
「あ、いえ……量が多いなと……」
びっくりした。隣に座ったら駄目なのかと思ったじゃないか。
「大丈夫、俺の分もある」
俺は食卓に用意された取り分け皿にパンを一つ、サラダをたっぷりと肉を二本乗せ、それから煮豆の小皿と飲み物を一緒にジブライールの前に置いた。
「せめてこれくらいは食べられるよな?」
「あの……はい……」
多すぎたのだろうか。
「無理だったら残してもいいから……俺が食べるし」
「えっ……いえ、だ、大丈夫です」
ジブライールはサラダを口に運ぶ。
「それにしたって、普段からそんなに小食なのか?」
前に一緒に食べたときはどうだったっけ?
……ああ、スープだけ飲んで逃走したんだった。
その前は?
正直、一緒に食卓についた記憶はほとんどない。
「あ、いえ、特に小食という訳ではないのですが……今はその……ダ……」
「ダ?」
「ダイエット中……で、して……」
「えっ。なんで」
俺は少し離れて彼女の体に視線を這わした。
「痩せなきゃいけないところなんて、どこもないよな?」
出るところは一応出てるし、締まるべきところは締まっている。
足だってすらりとして、背が高いせいもあってか、むしろ華奢に見えるくらいなんだけど。俺の好みからいうと、もう少し肉がついててもいいくらいなんだけど。
「か、閣下!」
ジブライールはこちらに背を向けた。
「あの、あまり見ないでください!」
「あ、ごめん! 失礼した」
しまった! 女性の体型をチェックするなんて、確かに不躾だった。
俺は慌ててジブライールから顔を背ける。
「やっぱり、前に座るよ」
横に座ったから、間近にじろじろ見るようなことになってしまったんだ。
正面だったら机が邪魔して、少なくとも体型をじろじろ見るなんてことは避けられる。それならジブライールも気にしないでいてくれるはず。
俺が正面に座り直すと、ジブライールもこちらに向き直った。
「いや、それにしてもさっきもニールセンたちと話してたんだけど、本当にみんな仕事熱心で……」
話題の転換が、わざとらしかっただろうか。
大丈夫、そんなはずない。
俺は串焼き肉を手に取り、続けた。
「まさかこの規模のものが七十日ほどでここまで出来上がるだなんて、予想を遙かに大きく上回る結果に驚いてるよ。しかもこんなちょっと変わった建て方なのに」
「魔族にとって家とは」
ジブライールが、咳払いをして応じてくれる。
「一度建ててしまえば、その後は数百年、簡単な手入れでもつものです。よって新しい建物を建造することなどほとんどなく、その才のある者はいつも仕事に飢えております。久しぶりに一から建設に関われる、それもこのような大事業の一員として、となれば、張り切るのも無理はありません」
「それに、百年に一度のコンテストにもちゃんと参加したいし、だな。まさか大祭自体より、そっちが原動力になるとは思わなかった」
ジブライールはぴくりと眉を震わせた。
「閣下は……どなたへ投票なさるか、もうお決まりですか?」
「あー。魔王様にも聞かれたんだけどな……」
「あ、いえ! 実名は言っていただかなくて結構です!」
ジブライールは慌てたように手の平を突きだしてきた。
そんな……食事の席の軽い雑談で、興味の一欠片もないと言わんばかりの態度を取らなくてもいいのに……。そう思うのは俺だけだろうか。
「ち……ちなみに、私は決まっています!」
「へえ……」
でもここで誰に、とか続けちゃいけないんだろうな。
「閣下に投票するつもりです!」
……。
へ?
閣下って言ったか?
この場合、閣下って言うのはつまり……。
「え、俺?」
「ご、誤解しないでいただきたいんですが!」
「はい!」
ジブライールは机をバンと勢いよく叩いて立ち上がった。
串焼き肉が皿からころりと転げ落ちる。
誤解も何も、まだ「俺?」と、聞き返してみただけなのだが、なぜそんなにご立腹なのかわからない。
「私が自分の名を書いて投票するのは、決して閣下のことが……す……す、す……」
しかもジブライールの名前を書いてなんだ。
「好きだから、とかじゃなくて!! ただ、閣下に投票する者が多いと推測できますので!!」
「え? そうかな……」
「閣下がそんな誰ともわからぬ女性の元へ、奉仕に行かねばならぬという事態に陥るのを、私が一票投じることによって、少しでも可能性を減らすべく……だから、決して好きだからとかじゃなくて! 好きだからとかじゃないんです!! 本当に、断じて、好きなんかじゃないんです!!! 間違っても、好きなんかじゃ!! むしろ、それが唯一の女性副官としての務めであると思う一心からなのです!!!」
そんな怒りで顔を真っ赤にしながら、何度も否定しなくても……。
義務感からなんだよね。わかったよ。
ぐさりとくるんだけど、結構ぐさりと突き刺さってるんだけども。
何これ……公開処刑?
ものすごく周囲の目を集めていることに、ジブライールさんは気づいているのだろうか。
ここが大食堂だと忘れているのではないだろうか?
たとえ昼食の時間には少し遅く、三十人ほどしかいないとはいえ。
「あの……ジブライール。別に好きでもなんでもない俺のことなんて、そんな気にしてくれなくていいから……」
俺は頭を抱えるようにして、食卓に肘をついた。
ちょっと泣きたい気分になってしまったから、顔を隠した、とかいう訳ではない。本当に違うから。
「な……なんでもないわけではありません! 私は、部下として……閣下の副官として、ただその、義務を果たすべく!」
「ああ、うん……副司令官として気を使ってくれてるんだよね、ありがとう」
あああ、心臓が痛い。
「でも副司令官であろうと、上司の私生活にまで気を使ってくれる必要はない。それ以前の話として、奉仕するのは一位になった者だけなんだ。俺が選ばれる可能性なんてない。だからジブライールはちゃんと、自分の入れたい相手に投票し」
「一位に決まってます!!」
またもやジブライールさんのバンが炸裂!
煮豆もドン!
「え、いや……ベイルフォウスとか、魔王様とか、ほかにも美形の魔族なら……」
「誰よりも、閣下が一番素敵です!!」
えっ!
今のは誉められたんだよな?
怒られたんじゃないんだよな?
「あ、ありがとう」
いや、それよりも……。
「ジブライール」
「なんでしょうか!」
そんな「どうぞご命令を」
、みたいな強いノリで叫ばれても。
「人目、が……」
俺の言葉に、ようやくジブライールは周囲の状況に気がついてくれたようだ。
そう、あんなに賑やかだった食堂が静まりかえり、目立たないはずのこの隅の席に全員の視線が集まっているという、この状況に。
しかもその大多数が、ニヤニヤと意味ありげな笑みを浮かべているという、この状況に!
ジブライールは周囲を見回した後、半ば放心したような表情で俺を見つめてきた。
「私……今、何か、く……口走り……ました……か?」
「俺のことなんて好きじゃ」
「“閣下が一番素敵です!” ひゅーひゅー」
俺の言葉を遮るように、ちゃかすような声が背後から挙がる。
「“ベイルフォウス閣下や魔王陛下なんて、目じゃありません”」
捏造するな!!
やめろ、誰か知らないけどやめろ!
いたたまれないだろうが!!
「ひゅーひゅー」
「ひゅーひゅー」
口笛を吹く輩、口で言う輩、バカどもが後ろで騒がしい。
おかげでジブライールの顔が真っ赤に染まり、その手がプルプルと震え出したではないか!
「ち、違うんです。私はべつに、そういう特別な意味でいった訳では……」
いつもの毅然としたジブライールからは、想像もつかない弱々しい声が漏れる。
「いや、俺は誤解してないから。今のはあれ……客観的に見て、誉めてくれたんだよな? わかってるから、俺は……」
その前にさんざん好きじゃないって宣言されたしな。否定されまくったもんな。
「閣下は……」
ジブライールの声は震えていた。
「閣下は何もわかってません!!」
そうして三度目のバンを披露して、ジブライールは食堂から走り去った。
えっ。
俺が悪いの?
今の、俺が悪かったの?
えー?
「全く、閣下も隅におけませんなぁ」
背後からにやついた声があがる。
俺は口を開いた。
「今……見たことを、おもしろおかしく誰かに話したり、いいや、そうでなくとも一言でも誰かに漏らしたりしたら」
殺気を込めて、背後を振り返る。
「命はないものと思え」
喧噪はピタリと止んだ。
「沈黙を誓えない奴は、今すぐ前に出ろ。この場でその命を終わらせてやる」
じりじり、と、俺から距離を取ろうと後退る三十人。
「ジブライールに恥ずかしい想いをさせても同罪だ」
俺はぐるりとこの場にいる全員の顔を見回し、一人残らず脳裏に叩き込んだ。
「今すぐ忘れろ。記憶の彼方に追いやれ。でないと……わかるな?」
三十人全員が、俺の言葉に一斉に頷く。
そうして俺は、結局その日もジブライールに腕輪を渡し損ねたのだった。
ジブライール……俺のことなんか、好き……じゃ、ないんだよ……な?
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