魔族大公の平穏な日常
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【第六章 魔王大祭 前編】
毎日挙がってくる主行事の報告書の中で、もっとも面倒な処理が必要なのは爵位争奪戦に関するものだ。
誰と誰が戦い、どちらが勝ったのか。
勝者が応戦者であれば何も問題はない。恩賞会の受賞者一覧にその名を載せるだけのことだ。だが、挑戦者が勝った場合には、いろいろと煩雑な手続きが生じる。
普段なら爵位をかけての戦いがあった場合は、応戦者本人かその家人、あるいは家臣なりが所属する大公に届け出ればいい話だが、今回はそれではすまない。
なにせ数も多いし、応戦者は自分の領地で挑戦に応じている訳ではないからだ。
一応、各領地から紋章管理士や書記官が派遣されているが、その情報は一旦大会運営本部にあげられ、そこから魔王城の紋章管理官を通して正式な手続きが踏まれることになっている。
なにせ、もともと届け出ていたものだけでも、千を越えていたほどだ。それも日を追うごとに飛び入りが増えているらしく、毎日あがってくる数たるや、すさまじい量になっている。
「恩賞会が大変だな」
爵位争奪戦の勝者、競竜の勝者、音楽会で特に演奏の見事だった者、舞踏の優れた者、パレードに参加の全員、美男美女コンテストの上位入賞者、主行事だけでもこれだけの者に報償が与えられる。
そこへ新魔王城の建築に関わっている千人が加わり、その他にも大祭において特に活躍したもの、普段の地道な努力の成果を表彰される者、その他諸々。そのすべての受賞者に、魔王様手ずから報償や目録を与えられるのだ。
「そりゃあ、いくらかは代表に目録を渡すだけとはいっても、二十日はいるわけだ。魔王様も大変だな」
「主が慮る相手はルデルフォウスだけか?」
耳元で、妖艶な声が響く。
「! ……ウィストベル!?」
横を向くと、白皙の美貌が間近に迫っていた。
近い!
なんで俺は気配に気づかないんだっ!
……て、あれ?
後ろにのけぞり、目をこする。
やっぱり俺の目、ちょっとおかしいのか?
この間のベイルフォウスの魔力だって……。
ごしごしやっていると、腕を取られた。
「見間違いではないぞ。主の目は正常じゃ」
ウィストベルは上機嫌だ。
だが、その身に纏う魔力は――。
「邪鏡ボダスを使ったんですね」
百分の一になっていた。
「さすがに私とて、いきなり本番に使うには不安があるのでな」
そりゃあそうだろうが。
「大丈夫ですか? その……」
「何がじゃ?」
そうですよね。百分の一と言ったって、大公にとどまっていられる程の実力はお持ちですもんね。侯爵程度に落ちた俺とは違いますよね。
「私はそれほど物足りぬか? そうじゃの。今の主から見れば、そうかもしれぬの」
いや、物足りないっていうか……。
どうしたことだ、これは!
ウィストベルなのに……。
ウィストベルなのに!
怖 く な い !
怖くないんだ!
むしろ、頼りなげに見えて……。
やばい。
これは駄目だ。やばいだろう。
「鏡は持ってきましたか?」
「いいや」
「えっ! じゃあ、まさか自分の城からこのまま!?」
「もちろんそうじゃ」
ウィストベルはこくりと頷いた。
「だっ……何してるんですか! 万が一のことがあったらどうするんですか!? もっと気をつけないと!」
「万が一とは何じゃ?」
「いや、万が一って言うのは……」
待て。落ち着け、俺。
大丈夫だ。
今のままでもウィストベルは十分強い。
大公が相手でもなければ敵わない程には!
……いや、待て。でもほら、万が一……万が一、こんな時に限って卑怯な輩が沸いて……俺にしてきたように、公爵が数人がかりでやってきたりしたら。
「予定は?」
「何のじゃ?」
「これから今日はどうされる予定なんです? 魔王様のところへおいでですよね?」
そうだと言ってくれ。なら俺も安心できる。
魔王様が守ってくれるだろうから。
「いいや、少し舞踏会に顔を出して」
「なら、お供します!」
俺は立ち上がった。
こんな状態のウィストベルを、一人で放っておけるか。
「もちろん、そのつもりじゃ」
ウィストベルは艶やかに笑った。
***
「お願いだから、大公位争奪戦で使うにしても、戦う直前に魔力を減らすようにしてください」
ウィストベルの腰に手を当て、踊りながらそう言うと、彼女は表情をほころばせた。
「どうかの……むしろたまにはこうして弱くなってみせるというのも、良いのではないかと思っているところじゃが」
「なんでそんな……やめてください。こちらがハラハラします」
「ふふ……」
いや、俺は本気で心配してるんだけど。なんでそんなに楽しそうなの、ウィストベル。
「存外心配性じゃの。が、しているのはハラハラだけか?」
「……」
いや、白状すると、ドキドキもしている。
だってそりゃあそうだろう!
怖くないウィストベルなんて、ただの絶世の美女なんだから!
この上なく妖艶な、絶世の美女なんだから!!
今日だって背中のざっくりあいた、深いスリットの入った黒のドレスで、扇情的なことこの上ない。
しかも髪をあげているから、こう……踊るのに抱きしめていると、うなじからくっきり浮いた肩胛骨が丸見えで、くびれた腰のせいでなんならその下の割れ目も……いや、なんでもない。
華奢な首に輝くダイヤモンドの首輪が重そうなのがまた……だから、なんでもないって!!
だがウィストベルにそう正直に告白する訳にはいかない。
今後の事を鑑みても。
……。
もっとも、バレているような気はする。
「少し、休むか?」
三曲続けて踊ったところで、ウィストベルに手を引かれた。
「あ、はい……」
休むってそうじゃないから!
踊りを一時中断するって意味だから!
勘違いするな、俺!
俺とウィストベルは給仕から飲み物を受け取り、壁際に置かれた一人掛けのソファに並んで座る。
間に丸テーブルを挟んで、軽食や飲み物を愉しみながら踊りを観覧できるように配置してあった。
「ベイルフォウスに魔力を返したようじゃの」
ああ、ほら。やっぱりちゃんとチェックしてる。
いやまあ、俺たちの目だと一目瞭然なんだけども。
「返すには返したんですが……なんかちょっと……気持ち悪い結果になったというか……」
「というと?」
「いや……ベイルフォウスの魔力って、あのくらいでした?」
「心配せずとも、あの程度じゃ」
ウィストベルにしたら、俺もベイルフォウスもそんな程度、か。
「なんじゃ? 違ったというのか?」
「いや……もうちょっとあったような気がするんですよね」
「主はもしや、相手の魔力を自分の魔力との比較で測っておるのではなかろうな?」
「そうですが」
いちいち、相手の魔力の量を細かく覚えていられるはずがない。
俺の魔力は子供の時から増減していないのだから、それを基準とするのは当然だろう。
ウィストベルは違うのだろうか?
「なるほどの。それで、か」
それでか?
ウィストベルはなにやら意味ありげな視線を寄越してくる。
「どういう意味ですか?」
「主はこう考えぬのか? ベイルフォウスの魔力が減ったのではない。自分の魔力が増えたのだ、と」
「そんなバカな」
重ねて言うが、俺の魔力は子供時分から微動だにしていない。
なぜならもっとも平穏に暮らせるのは男爵であり、そうしてその地位を維持するに、すでに十分すぎる魔力を有していると幼少の頃に悟ったからだ。その時点で、魔力を増幅させるための努力はいっさい放棄した。
結果、ちょっとしたトラブルで大公の地位についてしまったが、だからといって現状維持の方針を変えようとは思わない。
「あり得ません。俺はなにもしてませんし、そんな急に増えたら……」
そう。俺はなにもしていない。
急増すれば気づくはずだ。
だが、増えたとしても不自然に感じない機会がなかったわけではない。
俺は一度、魔力を失った。それが戻るタイミングで増えたのならば、その事実を見逃してしまったとしてもおかしくはない……のかもしれない。
ならばあの邪鏡ボダスに増幅の能力が備わっていた?
それとも……。
「ウィストベル。あのとき俺に、何かしましたか?」
「あの時とは、いったい何時のことかの?」
ウィストベルは嘯いてみせる。
あの時というのはもちろん、俺の魔力が戻ってきたその時だ。
側にいたのはウィストベルとミディリース。
間違っても、ミディリースにそんな能力があるとは思えない。
それにウィストベルは俺の魔力を引き上げる方法がある、と言っていたじゃないか。
「したやもしれぬし、しなかったやもしれぬ。主が強くなったのは、邪鏡のせいかもしれぬし、そうでないかもしれぬ。あるいはミディリースの能力、という可能性もあるぞ?」
はぐらかすようにいって、ウィストベルは嫣然と微笑む。
したな。確実に何かしただろ。
だがどのタイミングで? どうやって?
「魔力が増える、といえば、あ奴はどうじゃ?」
ウィストベルの瞳が、すっと細まる。
「あ奴……デイセントローズ、ですか?」
奴はともかく、その母親は衝撃だった。もうこのところのデイセントローズといったら、それしか印象にないくらいだ。
「そうじゃ。今のところ、この城でみかける分には魔力も変わっておらぬようじゃが……」
「ええ、俺にもそうみえます」
そう。別にラマの魔力は増えていない。
「だが、今後もそうとは限るまい。注意しておく必要があるとは思わぬか?」
「大公位争奪戦に向けて、ですか?」
それは俺も考えていたところだ。
いくらでも強くなれると知って、上位への野心を抱かぬ魔族はいないだろう。
……いや、俺は考えてないし、デイセントローズと同じ能力を持つリーヴにもその気はなさそうだが。
「奴がこのままでいると思うか? 私はそうは思わぬ。必ず、魔力を増強してくるはずじゃ」
「そうですね……俺も、それは思います」
「注意しておく必要があるじゃろうな」
だが、能力を知っているからと言っても、それを阻止できる訳でもないからな。
もっとも、ウィストベルはデイセントローズを脅威に感じた時点で、抹殺するつもりでいるのかもしれないが……。
「せめて、一度に増える魔力の量がわかればの……予想もつくのじゃが」
一度に強くなる量、か。
そろそろリーヴにお願いしてみるべきかな……。辛いとは思うが、俺の目の前で呪詛を受けてみてくれないか、と。
もちろん、リーヴとデイセントローズが同じように成長するとは限らないが、それでも多少の指標にはなるだろう。
「ところで、のう、ジャーイル」
どうしたことか、急に声に艶を混ぜてくるウィストベル。そして丸テーブルの上でグラスに当てた手をほどかれ、ぎゅっと握られる、俺。
「強がってはみたが、こんな話をしているくらいじゃ……やはり私もいろいろ不安での。今日のところは、我が城まで送ってもらえると嬉しいのじゃが……」
ここにきてこの上目遣いだ!
やばい、なんなんだ今日のウィストベル。
なんでいつもみたいに強引な感じで迫ってくれないの。
せめてそれなら拒めるのに……少しは拒めるのに!!
……いや、本当に不安だからなのかもしれない!
だから、すまない妹よ。でもお兄さまだって男なんだ……男なんだよ。
「もちろん、城までお送りします」
「できれば、魔力を返すそのときまで、一緒にいて欲しいのじゃが……」
ウィストベルは立ち上がり、俺の手を握ったまま俺の前に立ちはだかった。そうして、残る一本の手で俺の手を握りしめ……。
「これでも私は、主を頼りにしておるのじゃ」
そんな間近で前屈みにならないでください!
俺の理性を試しているのか?
試されているのか、俺は!
「ジャーイル閣下、こちらにおいででしたか!」
慌てたような声に意識がそれる。
ウィストベルは舌打ちをし、その闖入者を振り返った。
「何じゃ。騒がしい!」
「ひ……ウィストベル閣下……」
「まったく、いいところで邪魔をしてくれる」
さっきまでの甘い雰囲気はどこへやら、ウィストベルの全身から殺気が立ちのぼる。
相手が萎縮したのが、一目瞭然だった。
だが……怖くない。
俺はちっとも怖くない。
いや、怒ってるってのはわかるし、そういう意味で気は使うが……いつもの本能的なヒュンっていうのが全くないのだ!
なんだろう、これ。ものすごく新鮮だ。
感動すら覚えるではないか。
もしかして、魔王様やベイルフォウスから見るウィストベルって、いつもこんな感じなのだろうか。
だとすれば、あの兄弟の彼女への執着にも理解が及ぶというものだ。
それともあれか。これがギャップ萌え、ってやつか?
「まあまあ、ウィストベル」
余裕の俺。ご機嫌でウィストベルをなだめる。
「急ぎのようですし、とにかく話を聞いてみましょう」
どうせ大した事でもないだろう。
「で、何があっ」
「閣下、マーミル様の一大事です! すぐに城にお戻りください!!」
ほらね、そんな大したことでも……。
……。
…………。
………………。
なんだと!?
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