魔族大公の平穏な日常
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【第六章 魔王大祭 前編】
「その、マーミル様が大きくなられて……今はベイルフォウス様が抑えてらっしゃいますが」
使者の説明は、全く要領を得ない。
マーミルが大きくなった?
ベイルフォウスが抑えてる?
なにそれ。巨大化したとでもいうのか?
そういえば昔読んだ人間の本に、魔術師が作った秘薬で巨大化した主人公が、町を襲ってくる竜と取っ組み合いの戦いを繰り広げる、という、子供向けの絵本があったな。主人公の巨大化は三分が限度で、毎度きわどいところで竜を撃退するのだが、そのたびに肝心の町の上で暴れてしまうので、建物はつぶれ、けが人が続出し……。
最初はそれでも感謝されていたのだが、結局は憎まれて町を追い出されるという、読後感の微妙な話だったのを覚えている。
……って、そんなことはどうでもいいんだ!
とにかく俺は、ウィストベルを送り届けることを断念し、我が<断末魔轟き怨嗟満つる城>へと竜を飛ばした。
居城へ着くなり、マーミルのいる居住棟へと駆け込む。
「お帰りなさいませ、旦那様」
いつもは冷静なエンディオンの声にも、焦りがにじんでいる。
「意味がわからないんだが、マーミルがどうなったって?」
「それが、よからぬ物を口にされたらしく、とても興奮しておいででして」
「大きくなったってなんのことだ? 巨大化でもしたのか?」
「それは……実際に、ご覧いただいた方が、理解が早いと思われます」
俺とエンディオンは、とにかく妹の部屋に急いだ。
「わかった。わかったから、落ち着け、マーミル!」
部屋に近づくにつれ、ベイルフォウスの声が聞こえてくる。
奴のこんな慌てた声を聞いたのは、知り合って以来初めてといっていい。
それに続いて甲高い笑い声が響いた。
マーミルの声ではない、もっと大人の女性の声だ。
まさかあのユリアーナか?
「マーミル」
俺が妹の名を呼んで部屋に入ったとたん。
「お兄さまだぁ!」
けたけた笑うその声が近づいてきた。
声の主は女性?
この顔だちには見覚えが……。
母……上……?
そんなはずはない。それにどこか、母とは雰囲気が……。
その母に似た誰かは、ためらいもなく俺に抱きつく。
「うふふふふ。お兄さま、いつもよりなんだか小さいー」
ちょっと待て!
ちょっと待て!!
俺は彼女の両肩に手をおき、その体を引き離した。
確かにどこか母の面影がある。例えば俺と同じ赤金色の髪、たまご型の顔立ち。けれど、この父にそっくりの鮮やかな赤のこの瞳は――。
「マーミル!?」
「大当たり~!」
そう言ってその女性――妹は、再び俺に抱きついてきた。
***
「説明してもらおうか!」
貧乏揺すりがうっとおしい?
知るか!
俺は今、マーミルに抱きつかれながら、居室の長椅子に腰掛けて、足をダンダンと床に打ち付けている。
この状況で平静でいられるか!
見るがいい、我が妹の姿を!
せいぜい俺の腹のあたりまでしかなかったその頭頂部が、今は顎に届くほどの高さにある。
細い手足もすらりと伸びて、少しばかりぷにぷにしていたお腹からはすっかり贅肉がとれ、均整のとれた成人女性のそれに……あ、肝心なところだけは、母に似て平らだが。
つまり妹は、大人の女性の姿に成長しているのだ。
そして、その態度は奇妙極まりない。
さっきからずっと上機嫌でにこにこしているし、時々奇声みたいな笑い声をあげる。
これってあれか?
思春期ってやつか?
いや、違う。絶対に違う。
目の前には珍しく、両手で頭を抱えるようにして座るベイルフォウス。どこからどう見ても、落ち込んでいる。
だが、そんなこと知るか!
「なんだこれは。どうしてこんなことになっている! いったい何を飲ませた? 魔族に効く薬なんてそうそうないはずだ。しかも、こんなおかしな効力のあるものなんて……」
「うふふふふ」
目が合うと、マーミルは何が楽しいのか笑ってみせた。
「いや……薬っていうか……つまり……」
ベイルフォウスが顔をあげる。
その表情には苦悩の色が濃い。
「催淫剤……」
その言葉を耳にした瞬間、どう動いたのか自分でも覚えていない。ただ、気がついたら俺はベイルフォウスを殴り倒していた。
「見損なったぞ、ベイルフォウス。よくもそんなものをマーミルに飲ませてくれたな!」
本気でロリコンだなんて疑っていなかったってのに!
いや、ロリコンてのは少女の姿のままがいいということだから、大人の姿に変えるというのはつまりロリコンではないことに……って、そんなこと考えてる場合か、俺!!
「……悪い」
口の端についた血を拭いながら俺を見上げるベイルフォウスには、いつもの挑発的な態度はみじんも見られない。
反省しているのは黙って殴られたことでわかる。だが、だからといってマーミルに催淫剤なんぞというものを飲ませた事実が消える訳ではない。
「お兄さま、違うわー。ベイルフォウス様にもらったんじゃないわ、私が勝手に飲んだんですのよ」
「なんだって?」
こんな緊迫した状況でも、マーミルの陽気さは変わらない。いつもならもっと、涙目になったりオロオロしたりすると思うのだが。
これは催淫剤の効果なのか?
「だってぇー、あんまり綺麗で美味しそうだったからー。ふふふ。きっと何か特別なお菓子だとおもったのー。それにそう……お菓子が言ったのよー。食べてー。僕を食べてーって」
「こうなるとわかっていて、わざと飲ませた訳ではないんだな?」
「それはない。兄貴の名に誓って。だが、俺がうかつだったことには違いないんだ。落としたことに気づきもしなかったんだからな」
俺は真剣そのもののベイルフォウスに頷いてみせる。
ベイルフォウスは催淫剤を持ってはいたが、なにも今日俺の城で自分が使おうとしてのことではなかったのだという。むしろ魔王様の城で使った後で、その残りがポケットに入っていたのだとか。
そうして誰も頼んでいないというのに、余った分を俺にくれようと思いついたそうだ。以前から、不能に効く薬がどうとか言っていたが、その催淫剤がその強精剤なのだという。
よけいなお世話だ!!
別に俺は不能でもなんでもない!
そうして<断末魔轟き怨嗟満つる城>にやってきてみれば、結局俺とは入れ違い。
それでベイルフォウスは、俺が帰ってくるまでマーミルの相手でもしていようと考えた。
ちょうど野いちご館に行きかけていた双子とマーミルを呼び止め、庭園の四阿で四人で茶を飲んで楽しんでいたようだ。
だが顔見知りの女性を見つけて中座した。そうして女性の元から四阿に帰ってみると、暑いと言ってぐったりとするマーミルと、それに慌てる双子の姿があった、と。
何があったのかと問いただすベイルフォウスに、双子はこう説明した。
ベイルフォウスの座っていた場所に、丁寧に包装された宝石のように綺麗な赤いあめ玉が落ちていたのだという。
そう、それが催淫剤なのだった。
大きさは小豆大で弾力があり、口に含むと甘ずっぱい味がするのでそのまま舐めて飲むことが多いらしい。水溶性で水に溶かせば赤く濁るらしいのだが――おい、いつもお前が飲んでいる赤い飲み物は、のはそれなんじゃないだろうな、と問いかけると、ベイルフォウスは首を左右に振った。
「いいや、俺には必要ない。ただ、複数じゃなくて一人の相手と朝から晩までやろうと思ったら、途中で相手の体力が」
「わかった。もういい」
内容についてうかつに質問するのはやめておこう。
とにかく双子によると、それを見つけたマーミルがお菓子と勘違いして食べた途端、急に暑いと言い出し胸を押さえて苦しみだしたらしい。
そうして双子とベイルフォウスの見守る中で、マーミルの姿は徐々に体積を増していき、最終的に俺に抱きついている今のこの姿に変化して止まった。
この姿になってからは、苦しいのは引いたようで、代わりにこの奇妙に陽気なマーミルができあがった、というわけだ。
拾い食いなんていう行儀の悪いことをしたマーミルにも、非がないわけではないということか。正気に戻ったら、懇々と言い聞かせる必要がありそうだ。
「それでなぜ、その催淫剤が原因だと判断したんだ? 他の物のせいかもしれないだろう? それとも何か、おまえは普段から年端もいかない子供にそいつを飲ませては、大人にして……」
それ以上は口に出すのもはばかられた。
「まさか! 確かに女なら誰でもいいのは認めるが、それは相手が成人している場合に限ってだ。だいたい、子供を大人にしなきゃいけないほど、相手に不自由していない」
だ、そうだ。
まあ、それはそうだろう。
「催淫剤が原因だと思ったのは、単純にそいつを口にした途端の変化だったということがまず一点。それに、大人が飲んでも最初は暑く感じるものだし、胸が締め付けられるようになるのも共通した症状だからな」
「それで、なぜ医療棟でなくマーミルの私室に?」
「とにかくそのままだと服が小さすぎた。窮屈そうなのを解消したかったのと、あまりにもマーミルが陽気すぎてな……いったん、人目を避けた方が無難だと思ったんだ。それでたまたま現場を目撃していた従僕にお前を呼びにやらせて、エンディオンに頼んでこの私室に案内してもらったというわけだ。それに俺は、お前と医療班との関係も知らないからな。あ。もちろんだが、着替えは侍女にやらせた」
俺と医療員との関係。
俺の弱点にもなりかねないマーミルの異常事態を、知らせていい相手は限られるだろう、ということか。
するとなにか……ベイルフォウスの所では、医療班は警戒すべき組織なのだろうか?
「配慮には感謝するが、医療員たちとの関係は良好だ。それでその催淫剤とやらは、まだ残ってるのか?」
「いや……残ってた分は、医療班に回した。マーミルを診せていいかはお前の判断を仰ぐべきと思ったが、催淫剤なら問題ないだろう。無理かもしれんが、マーミルの状態は伏せて、分析と対処薬の作成を命じてある」
やるべきことはやった訳か。
「で、これからマーミルはどうなる? そもそもなぜ、大人になっているんだ」
「それは……」
「私が大人? 本当に?」
そういって、マーミルは俺に抱きつくのをやめて、自分の体を見下ろした。
「あははは。本当だ、大人になってるー」
ソファの上でぴょんぴょん跳ねる。
俺もつられて体が弾む。
「おい、催淫剤ってのはこんなに陽気になるものなのか?」
「確かに、この薬のことはよく知ってる。だがそれは大人に使用した場合のことだ。正直言って、子供が飲んだ場合のことは、全く予想がつかない。……すまん」
「大人だと、どうなるんだ? さっきの症状の後は……」
「お前にも想像つくとは思うが、誰を見ても欲じょ……いや、淫ら…………体中のあちこちが敏感になって、血が沸騰する感じがいつまでも続いて、何度やっ…………気がくるっ……いや。つまり、だな……」
マーミルに配慮してだろう。ベイルフォウスは言葉を詰まらせた。
「その説明で十分だ」
俺はため息をついた。
「マーミルがそんな風になってないのは一目瞭然だ。……興奮ぎみではあるが」
ベイルフォウスがじっとマーミルを見つめる。その目には、他の成人女性に向けられる時のような淫靡な色はない。あくまで、子供であるマーミルに向けるのと同じ視線だ。
「通常なら効果は一日もつかどうか、という程度だが……」
さっき自分で言ったとおり、子供に使ったことがないので全くどうなるか予想を立てられないのだろう。
「自然に抜けるのかもしれんが、このまま放っておくという訳にはいかない。とにかく一度、医療班の診察を受けさせてみよう」
俺は妹の手を取って、彼女を立たせた。
「どこへ行くんですの? もしかして、また一緒にお出かけしてくださるの? だったら私、今度は大人の舞踏会に参加してみたいわ! せっかくこんな姿になってるんですもの、素敵な男性と華麗に踊るの!」
マーミルは無邪気に手を合わせた。
「駄目だ」
俺とベイルフォウスの制止する声が重なる。
二人からきつい口調で言われたマーミルは、びっくりしたような表情を浮かべ、それからウルウルと、赤い瞳をにじませた。
「そんな、二人して怒らなくても……」
「怒ってない。怒ってないから……」
俺は妹の目からこぼれかけた涙を拭う。
「俺がつれてく」
妹の頭を撫でていると、横からベイルフォウスがやってきて、妹を横抱きに抱き上げた。
「うふふふふ。たのしーーい! ベイルフォウス様、回ってー」
「ああ、後でいくらでも回ってやるから」
さっき泣いたと思ったら、もう笑っている。
もともと感情の起伏は激しい方だとは思うが、それにしたってこの反応は……。
やはり薬のせいで情緒不安定になっているのだろうか。
そうして俺とベイルフォウスは、ふたたびけたけた笑い出した妹を連れて、医療棟へ向かったのだった。
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