魔族大公の平穏な日常
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【第六章 魔王大祭 前編】
「なるほど、そういう事情でしたか」
俺の説明を聞いて、サンドリミンは頷いている。
ここは医療棟の診察室の一室だ。
大人になったマーミルの診察をしてもらい、今はその結果について話し合っていた。
俺とサンドリミンが話をしているあいだ、マーミルはベイルフォウスに任せてある。
さっきまでは妹も診察のためこの部屋にいたのだが、サンドリミンの象手をひたすらツンツンつつき、「しわしわーしわしわー」とうるさかったので、待合いに出したのだ。
姿は大人だが、精神は退行している気がする。
いいや、もっと小さいときだって、こんな病的に陽気ではなかった。
「おい、ちょ……マーミル、待て! 投げちゃだめだ。一旦、それは椅子の上にでも置こう」
何をしているのかはわからないが、ひたすらマーミルが上機嫌で、ベイルフォウスが慌てまくっているような声ばかりが聞こえてくる。
「それでやはり体が成長しているのも、その催淫剤のせいだとおもうか?」
「むしろそれが主たる影響かと考えます。お嬢様の体内を探ってみたところ、以前の熱と同様に、催淫剤がまんべんなく体内に浸透しているようでした。それが大人であれば催淫効果を引き起こすのですが、マーミル様は未だ幼い故にその基礎となる感情が見あたりません。それで催淫剤はその前段階として体を成長させるという方向に作用したのでしょう」
サンドリミンの説明を聞いていると、まるで催淫剤に意志があるようではないか。
「対処薬の処方には、すでにあたっております。同時に、解毒の要領でマーミル様の体内から催淫剤の効果を取り除けないか試してみます。もちろん誠心誠意、治療にはあたらせていただきますが、対処の効果を発揮できるまでどれほど時間がかかるか予想がつきません」
サンドリミンは淡々と告げてきた。
「ああ」
それは仕方ないだろう。
実物の効果に詳しいベイルフォウスですら、その対処法を知らないんだ。
「ただ、催淫剤の効果は大人でも一日ほどのものです。マーミル様への影響も、期限付きではあるでしょう」
「そうか……」
「詳しく調べた上でのことではないので、あくまで私の私見ではありますが」
ずっとこのままではないだろう、とは思っていたが、それでもやはり私見とはいえ専門家に後押ししてもらえるとホッとする。
「とにかく、頼む」
「はい。ただ、その……あの状態のマーミル様を、押さえていられるか……」
「うふふふふふ」
待合いからは、マーミルの楽しそうな笑い声が響いてくる。
「お嬢様は俗に言う酩酊状態、というやつですな。魔族にはほとんど見られない症状ですが、これも薬さえ抜ければ元に戻るでしょう」
「ああなるほど。酒に酔えばこうなるのか」
頭がどうかなったのかと心配になってしまった。
「サティファスの葉でなら、体質によって酩酊する者もいると聞きますが。……まてよ。ということは、もしかして成分に……それをあの薬と混合させて……となると、あの軟膏ももしかしてこの薬を元に……」
サンドリミンは何か思いついたらしい。急にぶつぶつ言い出すと、すごい早さで紙に文字を書き出した。
サティファスの葉、というのは高山の頂上付近に群生している赤銅色の草だ。魔族の中にはそれを燻して煙を吸い、その鼻を突く独特の臭いを楽しむ者がいた。
俺も若い頃一度だけ試してみたが、俺自身はただケムいばかりで何がいいのか全く理解できなかったし、一緒に試した相手が酷いことになって懲りてから、二度とやっていない。
確かに今のマーミルは、その時の相手を思い出さないわけではない。
「そうだ! そうに違いない!」
サンドリミンは鼻息も荒く、椅子から勢いよく立ち上がる。
「閣下、失礼します! すぐに戻って参りますので!」
「え、あ、解毒……は……」
説明を求める間もなく、サンドリミンはあっという間に奥の扉の向こうへと姿を消してしまった。
一瞬、あっけに取られたが、何かよい考えがひらめいたのだろうから、仕方ない。
彼が帰ってくるまでは大人しく待っていることにしよう。
そうとも、大人しく――。
そういえば、さっきから随分隣が静かだな。
マーミルのけたたましい笑い声が聞こえてこないが……。
「マーミル? ベイルフォウ……」
待合いへと続く扉を開いた瞬間、俺は凍り付いた。
なぜならば、そこにはとてもおぞましい光景が繰り広げられようとしていたからだ。
そう、ベイルフォウスが長椅子に俺の妹を押し倒して――。
「ベイルフォウス……貴様……」
「……違う。落ち着け」
落ち着け?
「何がどう違う」
「勝手に判断したのは悪かったが、お前が考えているようなことをしたんじゃない。だから」
「そんな目で言われて、俺が信用できると思うのか!?」
ああ、そうとも。少なくともお前がさっきまでのように、マーミルに対して冷静な表情を向けていれば、俺だって落ち着けたかもしれない。
せめてマーミルの目が開いていれば、まだ落ち着けたかもしれない。
だが、見たことがあるか?
陶然としたような遠い目をしているばかりか、柄にもなく頬を少し赤らめているベイルフォウスなんて、見たことあるか!?
そして、さっきまであんなにはしゃいでいた妹が、長椅子に横たわって目も開けないのを見て、俺が落ち着いていられると思うか!?
問答無用、俺は百式をぶっ放した。
待合いが半壊したのは言うまでもない。
***
「まったく、何を考えているんですか! こんな狭いところで、百式ですと!? 私たちを全員殺す気ですかっ!」
「すまん」
「ちっ」
俺とベイルフォウスは今、絶賛怒られ中だ。
ズタボロに崩れた壁を背に、二人並んで正座させられ、サンドリミンのお説教を聞いている。
「……なんで俺まで……」
「元はといえば、お前が悪い。黙って怒られてろ」
「二人とも、本当に反省してるんですか!? それとも本気で医療員全員、殺す気だったとでもいうんですか!?」
サンドリミンが象手を振り上げた。
「いや、そんなつもりは……」
「負い目があるから大人しくしてたが、いい加減限界だぞ」
「あ、おい、ベイルフォウス!」
不満顔ながらも黙って聞いていたベイルフォウスが、ゆらりと立ち上がる。
「ジャーイルが百式を展開して、この程度ですんでるのは俺のおかげだろうが。これ以上グダグダいうなら、本気でこの棟の住人ごと塵に化してやろうか」
ベイルフォウスはサンドリミンの胸ぐらをつかみ、そうすごんだ。
それほど身長のない医療長官は、長身のベイルフォウスに持ち上げられて、足がプランプラン浮いている。
「ひいいいい、ジャーイルさまぁぁぁ」
涙目で助けを求めてくるサンドリミン。
ああ、もう……。
「騒ぐな、ベイルフォウス。マーミルが起きるだろ」
俺は親友の腕を押さえ、サンドリミンを降ろさせる。
「……ちっ」
ベイルフォウスが結界を張ったせいで、長椅子に横たわるマーミルは無事だった。
いや、違う。別に俺だって、マーミルを狙った訳じゃない。だから、ベイルフォウスが妹を守らなくても無事だった……いいや。
本当は、サンドリミンの言うとおりだ。俺は我を失いすぎていた。あのままでは建物は全壊し、マーミルもただではすまなかったかもしれない。
ベイルフォウスが対抗して、俺の百式を押さえる魔術を展開しなければ。
以前に一度、解除方法を教えたときには意味が分からないと覚えるのを放棄したくせに、無効の魔術をさらりと使ってくるあたり、やはりベイルフォウスは侮れない。
俺が思うに、こいつは天才肌、というやつだ。
だが、おかげで冷静になれた。
結論からいうと、ベイルフォウスはマーミルを襲っていたわけではなかった。
とにかくマーミルの気分を落ち着かせようと、鎮静効果のある茶を医療員に頼んで持ってきてもらったらしい。それを飲ませたら、妹はそのまま眠ってしまったのだそうだ。それほど劇的に効くとは、俺も飲んだことのあるあの茶かもしれない。
俺が目撃したのは、ちょうど座ったまま眠ったマーミルを、長椅子に横たえているところだったらしく……。
「でもお前、あんなウットリした顔してたらそりゃあ俺だって……」
「ああ、あれは……マーミルが直前にちょっと……俺に言った言葉が……」
「マーミルになんて言われたんだ?」
「……」
目をそらされた。
ん?
なにこいつ……やっぱりちょっと、照れてないか?
……。
…………。
ちょ……。
「なあ、マーミルに何言われたんだよ。教えてくれ、ベイルフォウス!」
やばい、照れてるベイルフォウスとか、ものすごく楽しいんだけど!
いつも飄々としてるか怒ってるかイヤラシイかの三択だからな。
冷静になれば、慌てたり他人に追いつめられてたり、ましてや照れたりするベイルフォウスなんて、面白くないはずがない!
「……なあ、ジャーイル」
「ん?」
「マーミルが万が一このままだったら、俺が責任を取ってやるよ」
……え?
「どういう意味だ?」
だが、ベイルフォウスは俺の質問に返答してこない。ただじっと、マーミルを見つめているばかりだ。
え?
なに?
なんでそんな目で妹を見てるんだよ、ベイルフォウス。
お前はロリコンじゃないはずだろ、ベイルフォウス!
いや、確かに今は子供の姿じゃないけど……ないけど、ベイルフォウス!!
「……お前、ほんとにマーミルに何言われたんだよ」
俺は我に返って、真剣にそう問いかけた。
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