魔族大公の平穏な日常
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【第六章 魔王大祭 前編】
結局あれからすぐに、我が優秀なる医療班は対処薬を完成させてくれた。
以前、マーミルが呪詛を受けた時に、その参考とするため使用した軟膏。全く同じではないものの、催淫剤はあれと共通する要素が多かったらしい。そこで対処薬の作成にあたって、その解除薬を基礎にできたため、素早い対応が可能になったのだという。
「最近は、呪詛の研究も始めておりまして」
とはサンドリミンの言葉だ。
とにかくその対処薬を眠っている妹に飲ませたところ、俺たちの見守る前でその体は徐々に縮んでいったのだ。そして元のマーミルの姿にまで戻るのは、あっという間だった。
ちなみにその薬は液薬だった。ベイルフォウスが口移しで飲ませるとかほざいたので、また殺意から殴りそうになったことを付け加えておく。
そうして俺が、今後は妹をうかつにベイルフォウスに近づけないと強く決意したことも。
「冗談だ」
といっていたが、なんだか信用できない。
結局、マーミルに何を言われたのかだって、まったく教えてくれないしな!
「マーミル! お兄さまがわかるか?」
うっすらと目をあけた妹に、俺は問いかける。
「お兄……さま?」
「マーミル……よかった」
俺は汗でべっとりの妹の額に口づけた。
「ベイルフォウス様……サンドリミンも……? なぁに?」
ぼんやりとした表情で、自分を取り囲む面々を見回すマーミル。そうしてゆっくりと、体を起こす。
「ん……」
目をこすろうとして、ふと、自分の手をじっと見つめる。
「あれぇ? ……ええと……私……」
キョトンとした表情で、手を開いたり閉じたりを繰り返している。
そうして、自分の着ているドレスが不自然に大きいことが気になったようだ。
「大人の体に……あれは……夢? それとも……」
俺は妹のふっくらとした頬に手をやる。
「どこか気になるところはあるか? 頭が痛いとか、体が痛いとか……気持ちが悪いとか、何かおかしなところはないか?」
「どこも、なにも。でも……」
「おっと」
こらえきれない、というように大欠伸をして後ろに倒れかける妹。その背を支え、ゆっくりと横たえる。
「とっても眠たくて……」
小さな声で呟くように言うと、またすやすやと寝息をたてだした。
「どうだ?」
サンドリミンに所見を尋ねる。
象の手から、以前見たようなもやが出て、妹の体を包み込んだ。
「はい」
もやを引っ込めると、サンドリミンは頷いてみせる。
「異常は認められません。催淫剤は少なくとも身体的からは抜けきったようです。眠気が酷いのは、身体の急激な変化にともなう疲労と、鎮静薬の影響のためでしょう」
「そうか……」
俺はホッと息をついた。
「ですが、しばらくは経過を観察した方がよろしいでしょう。なにせ初めて確認された症例ですので、念を入れるにこしたことはないかと……」
「そうだな。悪いが、しばらくマーミルの部屋へ通ってくれるか?」
「はい。そのように」
そう同意してから、サンドリミンはがっかりしたようにため息をついた。
「なんだ?」
「いえ……こんな時に限って、お側にアレスディア殿がいらっしゃらないのが残念で……」
こいつもか!
いや、そうだった。サンドリミンは以前から、アレスディアに興味津々なのだった。
まったく、どいつもこいつも。奥方に言いつけるぞ。
「とにかく、再度お目覚めになるまでは、こちらでご様子を看ておいて、覚醒後に診察を経て無事を再確認してから、お部屋に戻っていただくことにいたしましょう。それでよろしゅうございますか?」
「ああ。頼む。着替えと侍女をこちらに寄越すよう、手配しておこう。……アレスディアでなくて悪いが」
「いいえ、そんなめっそうもない」
わざとらしいわ。
「じゃあ、少しはずす。万が一、俺が戻るまでにマーミルが目覚めたら、連絡をくれ」
「承知いたしました」
「行くぞ、ベイルフォウス」
「は? いや、俺もマーミルの目が覚めるまで」
ふざけるな。誰がそれを許すか。
「駄目だ。今日はとっとと帰れ。竜舎まで送る」
俺はマーミルとベイルフォウスの間に立ちふさがった。
「わかった」
ベイルフォウスはうんざりしたように眉尻を下げてみせる。
「見張るようにわざわざ竜舎までついてこなくても、ちゃんと帰る。……ただ、ジャーイル。誤解はするなよ?」
「それはこれからのお前の行動による」
「……なら、お前の許可があるまではマーミルには近づかない。なんなら暫く、この城にも足を踏み入れない。それでいいだろ」
ベイルフォウスはため息をつき、気だるそうに頭を掻いた。
それからしぶしぶ部屋を出て行きかけて、ふとサンドリミンを振り返る。
「ところでさっきの対処薬……少し、もらってもいいか?」
「なんに使うんだ?」
「もしもの時のために、だ。まあ、正直なところ、俺より選り好みするお前の方が、常備しておくべきだとは思うが」
選り好みなんてとんでもない。
単にお前が見境いないだけだろう。
「持って帰るのはいいが、この件は……」
「もちろん、口は噤む。催淫剤を子供に飲ませるなんて、普通の魔族なら考えもしないことだが、悪用する者がでないとも限らないからな。ただ、兄貴にだけは報告しておく。いいだろ?」
「ああ、頼む」
俺はベイルフォウスに頷いた。
「だがベイルフォウス、二度と俺の城内にあんな薬を持ち込むなよ」
「誓って約束する。だが、気をつけろ。あの薬はなにも俺の専売特許じゃないし、お前がいくらマーミルを無垢なままおいておきたいにしても、限度があるってことは忘れるな」
そうしてサンドリミンから対処薬を受け取ると、ベイルフォウスは医療棟から出て行った。
確かにベイルフォウスの言うことにも一理ある。
だがそんなことは置いといて、とりあえず今日も妹と寝てやろう。
俺はそう決意したのだった。
***
ところで、ここからは余談である。
やってきた侍女にマーミルを任せて、俺はサンドリミンと二人きりで向かい合っていた。
「なるほど……つまり、閣下は」
「いや、一応ね。ほら、大丈夫だとは思うんだけど、一応結構な衝撃だったからさ……身体的にも、精神的にも!」
「それは、お気の毒に」
同情的な表情で頷くサンドリミン。
俺はサーリスヴォルフの双子の成人式典であった、ジブライールとの一件を彼に明かしたのだ。そして、あのものすごい脚力によってダメージを負った場所について、異常がないかどうかという相談を、思い切ってサンドリミンにしているところだった。
「問題ないとは思うんだよ? もちろん、問題ない。でもほら、俺も色々最近はご無沙汰で……ちょっと、いざという時の為に一応……一応な?」
別にウィストベルにぐっと来たからではない。ないとも!
「確かに。その時に役立たねば、男の面子も立ちませんからね」
……。
なんだろう。「たつ」を否定的に語られると、結構えぐられるな。
「では、異常がないかどうか検査いたしましょう」
「よろしく頼む」
「では、まず下を脱いでください」
……。
「え?」
「ですから、ズボンをおろしてください」
「えっ……着衣のまま診察するんじゃ」
「そのものに異常があるかどうか調べるんですよ? 熱や異物を取り除くのとは違います。患部を看ないでどう判断しろとおっしゃるのです」
「いや……そうかもしれないけど、でも……」
「恥ずかしがる年でもないでしょうに!」
「年とか、そういう問題じゃな」
「すっぽんぽんになっていただいてもかまわないんですよ!」
「なんでだよ!?」
「なんですか、それとも女性が相手でなければいけないとでもいうんですか? なら、美人と評判のデーモン族の医療員でもつれて参りましょうか!?」
「ちょまっ……わかった……わかったよ……」
その後のことは、正直思い出したくない。
結果は良好だったが、この検査によって受けた心理的なダメージが計り知れないからだ。
結局、“美人と評判のデーモン族の医療員”もつれてこられたし、彼女も含めてあれやこれや色々されたりさせられたりしたその経験は、繊細な俺の心に深い傷を残した。
その羞恥と恥辱にまみれた検査結果の破棄と、記憶の忘却をサンドリミンと女性医療員に約束させ、医療棟なんて全壊させてしまえばよかったと呟きながら、俺は一人、さめざめと枕を濡らしたのだった。
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