魔族大公の平穏な日常
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【第七章 魔王大祭 中編】
城に帰ると案の定、アリネーゼからの招待状を手に瞳を輝かせる妹に出迎えられた。
よほど嬉しかったのだろう、竜舎までの出迎えだ。従っているのはユリアーナ一人。
「お兄さま! お兄さま、これ!!」
花を背景に散らしたアリネーゼの自画像が焼き付けられた封筒を、ヒラヒラと振り回している。
ちなみに、その焼き付けがアリネーゼの紋章だ。デヴィル族の紋章はデーモン族に比べて遙かに自画像である率が高いと感じる。どれだけ自己愛が強いのかと感心するほどだ。
「アリネーゼ大公からの招待状ですわ! パレードを見にいらっしゃいって! すぐに出席のお返事をしないと」
ぴょんぴょん飛び上がりながら喜ぶ妹を見ると、反比例して俺の心は重くなる。
よかったな、と言って頭を撫でてやる訳にはいかないからだ。
「返事ならもうしてきた。欠席する、とな」
「そう、欠席のお返事を…………今、なんておっしゃったの?」
妹は跳ねるのをピタリと止め、ただでさえ大きな目をいっぱいに見開いて俺を振り返った。
「欠席……?」
「もちろん、欠席だ」
「嘘でしょう、お兄さま! だって、パレードよ? パレードを見られるのよ? アレスディアに……」
「すぐにうちの領地へ回ってくる。そうしたら毎日見に行けばいいだろう」
そうとも。この領内でなら、何も問題はない。一人二人、護衛をつけさえすれば、どこへ行くのだって許可してやる。
「いや! せっかく招待状をもらったのに、どうしてそんな意地悪をおっしゃるの!?」
「意地悪じゃない。お前の為を思ってのことだ。とにかく、ここで話すことじゃない。おいで」
「お嬢様……」
ひっきりなしに出入りのある竜舎でこんな風にもめていては、また注目を浴びてしまう。すでに数人が、何事かとこちらに視線を送ってきているではないか。
俺はマーミルの手を取って歩き出した。
妹はしばらく大人しくついてきていたが、竜舎を出たところで突然俺の手をはじいて立ち止まる。
「……いや。アリネーゼ大公のパーティーに、私も出席する」
「マーミル……わがままを言うんじゃない」
俺はしゃがみ込んで妹に視線を合わせた。
「明日の酒宴は、お前が思っているような楽しいものじゃないんだ」
「そんなの関係ない。私はただ、アレスディアに会いたいだけだもの。それだけでいいんだもの」
うつむく妹の瞳が、だんだんとにじんでくる。
「もうずっと、会ってないんだもの。アレスディアに……アレスディアに……」
ぽろぽろと大粒の涙で頬を濡らす妹を、俺は抱き上げた。
「マーミル。お兄さまだって、お前の気持ちはわかってるつもりだ。だが、明日は本当に……」
「一目……ぐすっ、一目で、いい……アレスディアに会ったらすぐ、帰る……顔を見るだけで……ひっく……遠くからでもいいから……!」
「旦那様! お嬢様がかわいそうです!! マーミル様はそれはもう、毎日毎日アレスディアに会いたい気持ちをぐっとこらえて、健気にも元気に過ごしていらっしゃるのです! その気持ちを汲んであげてください! ユリアーナからもお願いします! 明日は連れて行ってあげてください!!! うわああああああん!!」
ま た か !
マーミルが泣くのはわかる。仕方ない。
でもなんだってこの侍女は、マーミルにつられて毎度、本人以上に号泣し出すんだ。ほんと勘弁してくれ。
「明日は私がとびっきり可愛いお洋服を選んで差し上げますから! うわああああああん!!!」
ますます勘弁してくれ!!!
「お兄さま、お願い……。私、いい子にしてるから……。ひっく。お兄さまの言いつけに、逆らったりしないから。ぐす」
だめだ、俺。ほだされるな。
嫉妬にかられたアリネーゼが、アレスディアに対してどんな態度にでるかもわからないのに、そんな様子を妹に見せるわけには。
「なんだったら、私もついて行ってあげますからああああああ!」
ユリアーナ、お前は黙ってろ!
あああ、衆人の突き刺さる視線が痛い。
とにかく移動しよう。俺はマーミルを抱き上げたまま、竜舎から離れた。
「お兄さま……ひっく……お願い。お願い」
ささやくような声で繰り返す妹。
「旦那様あああああ」
大音響でイラッとさせる侍女。
「毎日ちゃんと、お勉強もします。お行儀もよくするし、魔術の練習も体技の練習も、さぼったりしないわ。ひっく。竜も一人でうまく乗れるようになるし、強くなります。だから、お願い、お兄さま……」
将来どうとかいう問題じゃなくて、今のお前が子供過ぎるのが問題だというのに。
ああああ、もう!!
「マーミル」
俺は妹の腕をほどいて首元から離し、潤んだ赤い瞳を見つめる。
「明日は絶対に、お兄さまから離れないこと。アレスディアに挨拶したら、すぐに帰ること。誰彼かまわず、話しかけたり近寄っていったりしないこと。約束できるか?」
一瞬、妹はキョトンとしていたが、俺の言わんとするところを理解したのだろう。その表情に徐々に笑みが広がっていった。
「約束、できますわ! お兄さま、大好き!!」
ユリアーナは怪訝な表情のまま、俺と妹を見比べている。
しばらくして、ようやく理解したのだろう。音を立てて両手を合わせると、妹の背に抱きついてきた。
「よかったですねえええ! お嬢様!」
やめろ、俺に体重かけるな!
っていうか、拭け!
その鼻の下でキラキラ光る液体を拭け!!
侍女の重みを減らすべく移動しつつ、妹の小さな唇を何度も頬に受けながら、俺はぼんやりと護衛を誰にするか検討していたのだった。
***
阻止してやった!
阻止してやったぞ!!
何をって、もちろんマーミルの衣装をユリアーナに選ばすことを、だ!!
代わりに俺がつきっきりでドレスを選んでやらないといけなかったので、朝は忙しいことこの上なかった!
まず、朝早く自分の服を着替える。これは当然早かった。一瞬だ。
次に、マーミルが起きる前に部屋にいって、神経が不安になるような甘ったるい寝室で眠る妹を起こし、それから一緒にドレスを選んでやる。
ここからが大変だった。
女性の着替えというのは、子供でも時間がかかるものなのである。
ちょっとアレスディアに会ったらすぐ帰るんだから、おかしくさえなければ何でもいいじゃないか……そう口にしたら怒られた。
その結果、色を決めるだけでも数十分、ドレスを数点選ぶのにまた同じだけの時間。そこから一つに絞って、それに合う靴を選び小物を選び、髪を整え鞄を選び……とにかく長かった!
やっと用意ができた頃にはもうヘトヘトだ。
もちろん、妹ではなく俺が!
「待たせてすまない」
「や、俺も今きたところです」
竜の巨体を背景に、まるでデートの待ち合わせのような台詞を口にしたのは、誰あろうヤティーンだ。
結局俺は、マーミルの護衛を彼に頼むことにした。
ヤティーンは治安維持部隊の隊長だ。治安を維持するんだから、妹の安全を維持してもいいはず……。
ああ、今回ばかりははっきり認めよう!
俺はマーミルの安全を第一に考えたのだ。副司令官くらいでないと、俺に先だって他領から帰城する妹を、任せる気にはならない!
「ヤティーン公爵。今日はよろしくお願いします」
マーミルはヤティーンに向かってちょこんと膝を折った。
それを目にした雀の瞳に、柔らかい光が浮かぶ。
「今日も小さくて可愛いですね、マーミル様」
「まあ、ありがとうございます!」
ヤティーンお前、お世辞なんていえたのか! ちょっと驚きだ。
だが、お前にはわかるまいが、今日のマーミルは本当にそこそこ無難に可愛らしい。それもこれも、俺が衣装を選ぶのを手伝ったからに相違ない。
あのまま侍女に任せていたとしたら、デヴィル族の美的感覚をもってしても、今頃眉間に深い皺が刻まれる結果になっていたことだろう。
間違いない!
「とりあえず、マーミル様は俺の運転に慣れるために、行きからご一緒されちゃどうですかね?」
わざわざ慣れさせなきゃいけないほど、酷い操竜技術だってのか?
俺はいつも先頭を飛んでるから、副司令官たちの腕がどうだかよくわからない。
「お兄さま」
マーミルが俺の意志をうかがうように、見上げてくる。
「そんな心配そうな顔しないでください、閣下。失礼だな……」
「だって、お前が慣れるとかいうから……」
「誰にだって、多少の癖はあるもんですよ。でも、俺は副司令官でなければ、競竜に出てもいいくらいの腕を持ってると自負してます! なんならアリネーゼ様の領地まで、競争しますか?」
いや、しないからね。
「わかった。マーミルは任せよう。これ以上ない安全運転で頼む」
「承知しました! さあ、行きましょうか、マーミル様!」
「はい、ヤティーン公爵」
なぜだろう。マーミルよりむしろヤティーンの方が楽しそうだ。
こいつも子供好きなのか?
いや。普通に考えると、アレスディアとアリネーゼという二大美女と一度に会えるから、テンションがあがっているとか?
ウォクナンと違って、ヤティーンがアレスディアに執着していた覚えはないが、美女を嫌いな男なんていないだろうしな。
「さあさ、行きますよ、ジャーイル閣下」
「お兄さま、早く!」
上機嫌の副司令官と妹に促され、俺は自分の竜の手綱を取ったのだった。
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