魔族大公の平穏な日常
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【第七章 魔王大祭 中編】
「帰りに新しい魔王城を見に行ってもかまいません、お兄さま?」
竜から降りるなり、マーミルが駆け寄ってきてそう言った。
「とってもきれいなお城なんでしょ? それも、色々な仕掛けがしてあるのだとか! せっかくだから、少し寄り道して見て帰ってもいいでしょう?」
俺はヤティーンを見る。
即座に目を逸らされた。
「お兄さまったら、みんなに気づかれないようにお城を建てていたのですってね!? それって、すごいことよね! しかも魔王城だなんて……魔王様のちょ……ちょ……?」
「寵臣」
小声のつもりだろうが、ばっちり聞こえてるぞ、雀め!
「そう、寵臣! よくわからないけど、それなんでしょう!? そんなお兄さまのだい……大……」
「偉業」
「大偉業を、私も妹として目にしておかないと!」
雀め! 慣れるためだなんて言い出すのはおかしいと思ったんだ。
魔王様が引っ越すことになった、と伝えたって、「ふーん、へー」だった妹が、急にこんな食いつくだなんて、どう考えてもおかしい! いいように乗せられたからに違いない。
雀め! お前が新しい魔王城を見に行きたいんだろう! そうだろう!?
それはむしろ喜ばしいことだ。新魔王城は、それはもう工夫を凝らしたものだからだ。雀といわず、全魔族に興味をもってもらいたい。
なんだったら俺がヤティーンを案内したいくらいだ。
ただ、妹をだしに使うのは感心しない。
「今はまだだめだ。あちこちから見学者が行ったのでは、転居作業の邪魔になってしまう。魔王様の遷城が終わるまでは待て」
俺は妹ではなくヤティーンを見たままそう言った。
いずれは妹にも、魔王城の全景を見せてやりたいとは思っている。
だがそれは俺が同行してのことだ。いかに場所が魔王領で、護衛が副司令官とはいえ、寄り道なんぞ許すわけがない。
「降りませんて……どうせ城に帰るまでには、魔王領か他の大公領を通らないわけにはいかないんですから」
「ばかいうな。魔王領までいく必要がどこにある。一刻も早く帰らせたいから護送を頼んだってのに、あり得ないことを言うのはやめてくれ」
ちなみに、今いる地点からまっすぐ我が城に向かうとなると、デイセントローズ領を横断するのが最短だ。今もその上を飛んできた。
「ちょっとくらい寄り道したって……」
「倍近い行程は、ちょっととは言わん」
「ちぇ……ケチ」
「……けち」
マーミル!! いちいちヤティーンの真似をするんじゃありません!
人選を誤ったか?
しかし、他の副司令官では同行は無理だったし、仕方ない。
とにもかくにも、もうここはアリネーゼがパレードの歓待のために開いた酒宴会場だ。
デイセントローズ領との境界線近くの草原。そこへ刺繍の見事なオレンジ色のテーブルクロスがひかれた十人掛けの食卓が、整然と並んでいる。
その参加者の人数はおよそ八百人。そこへアリネーゼを初めとする彼女の配下の面々も幾人かは酒宴に参加しているようで、単純に考えても机の数は八十をくだらない。
すでに酒宴は始まっているようだ。
食卓の中程に料理が盛られ、飲み物の瓶やグラスがいくつも並び、給仕があちこちをかけずり回る中、杯を合わせる甲高い音が鳴り響く。
アリネーゼの席は南に張られた金幕を背に、他の食卓より一段高く設置された横長の食卓の中央だ。
その金幕には紋章がでかでかと刺繍されているのは言うまでもない。
アリネーゼの左に四脚並ぶ席を埋めている顔ぶれには見覚えがある。彼女の副司令官たちだ。右横すぐに二つ空席があるが、そこが俺とマーミルの席なのだろう。
その向こうの二脚には、顔だけは可愛いリスと、その面々に並ぶには違和感のあるアレスディアの姿。
もう嫌な予感しかしない。
俺は竜を係りの者に任せると、マーミルの手を引きアリネーゼを目指して歩き出した。
「ようこそ、ジャーイル。ご免なさいね、あなたを待たないで始めてしまって」
彼女はこちらの姿を認めると、椅子から立ち上がって歩み寄ってきた。
ちなみにリスはアレスディアに夢中らしく、こちらにはちっとも気づかない。
「けれど、パレードの者たちをあまり待たせるのも可哀想でしょう?」
「ああ、そう思う。気にしないでくれ」
俺に向かって両腕を広げてみせるが、これは威嚇に近いものであって、飛び込んでこい、という合図ではないはずだ。
「おおお、エロいですね、アリネーゼ様!」
黙れ雀! と反射的に口にしそうになったが、その呟きを耳にしたアリネーゼはご満悦だ。俺が下品だと感じても、言われた本人にとってはそうでもないらしい。
しかし確かにデーモン族の立場になって考えてみれば、思わず反応してしまうのも無理はないのかもしれない。
その上半身を覆うのは服というより紐とでも呼んだ方がいいような、細い布をクロスにさせたものだけ。ぷにぷに……失礼、柔らかそうなバラに…………いいや、腹のほとんどははみ出しているし、竜の蹄につながる雌牛の後ろ足も、恥部を覆う短いパンツから見せつけるように伸びている。
万一ウィストベルが同じ格好をしていたとしたら、扇情的なことこの上ないではないか。だって胸もなんてもう、辛うじて先が隠れる面積しかないし、腰から下だってきわどいところまでほとんどが露出しているんだぞ!
というか、もしデーモン族がこの格好をしていたら、その女性は変態としか思えない。俺は即座に妹の視界を覆っただろう。
確かにアリネーゼもウィストベルに劣らず普段から露出の多い方だが、それでもこれほどというのは記憶がない。
アリネーゼが大きな扇をゆっくりと動かすたびに微風がおこり、クロスした紐がゆらゆらと揺らいで隙間からチラチラ素肌が……。
上から重しの代わりになっている宝飾類がなければ、紐は飛んでいってしまったのではないかとさえ思える。
大丈夫だろうか、俺の笑顔はひきつっていないだろうか。
「マーミル姫ね。こんにちは。あまりお話したことはないけど、覚えてくれているかしら?」
「もちろんです、アリネーゼ大公閣下」
妹は俺の手を離し、スカートをちょこんとつまみながら軽く膝を折った。
俺なんかより、よほどアリネーゼの格好に対して動揺が少ないような気がする。まさか、異常を感じていないわけではないよな?
それどころか「素敵だわ」とか思っていないだろうな!?
「本日は兄ばかりでなく、私までお招きくださったこと、感謝しております」
アリネーゼが満足そうに顔を上下に振ると、宝石を垂らした金鎖が角とこすれ、軽い音を立てた。
「昨日、ジャーイルに断られたから、今日はもうお顔を見られないかと思ったわ」
「急な変更で、申し訳なかった」
「あら、構わないのよ。こちらが誘ったのだって、昨日なんですもの。それにむしろ、今日ご招待したかったのはジャーイル、あなたではなくて妹姫のほうだったのだから」
わかってる。だから余計阻止したかったんだ、本当は。
「それで、そちらの殿方は?」
長い睫毛に縁取られたアリネーゼの瞳が、妹の背後に立つ雀顔に向く。
「俺の副司令官でヤティーンだ。今回は、マーミルの送迎役としてついてきてもらっている」
「ああ、ヴォーグリムの選んだ副司令官ね。どうりで見覚えがあると思ったわ」
ネズミ大公の名前が出た途端に、妹が体を固くしたのがわかった。
「アリネーゼ」
「あら、他意はないのよ。先代からの副司令官なのだから、見覚えがあるのも当然ね、ということを言いたかっただけ。なにせうちの副司令官たちは、入れ替わりが激しくて」
そう言いつつアリネーゼは自分に並ぶ四人に視線を巡らせた。
ここもやはり、ウィストベルのところと同じなのだろうか。
四人は全員がデヴィル族の男性で、アリネーゼに好色そうな視線を向けている。しかもアリネーゼの方もそれを厭うどころか、喜んでいるようだ。
入れ替わりが激しいというのは、その座を狙って挑戦が頻繁に行われているからなのか、それともアリネーゼが飽きるたびに副司令官の首をすげ替えるからか……。
いや、さすがに邪推がすぎるな。
それにそんなことより不思議なことがある。
なんで他所の副司令官は、四人揃って突発的な行事に参加できる余裕があるんだ?
「さあさ、立ち話もなんですから、ともかくこちらへ」
そう言って、アリネーゼは俺と妹を席へと案内してくれた。
思った通りアリネーゼの右隣に俺、その横にマーミル、ウォクナンを挟んでアレスディア、という配置だ。
「アレスディア!」
妹の瞳は間にリスなど挟んでいないかのように、一心に侍女に向けられている。
侍女の方も同様に妹を見つめ返しているが、その瞳は心なしかいつもより柔らかく感じられた。
だが二人が会話を交わすより早く、金幕の両脇に設置された銅鑼が大音量で打ち鳴らされる。
それを合図に喧噪は止み、酒宴を楽しむパレード員の視線が俺たちに集中した。
マーミルもびくりと背を正すと、アレスディアから視線を外して前を向く。
「さあ、みなさん。もう一度杯を手に起立なさいな。そうして私の招待に応じてこの場に駆けつけてくださった大公ジャーイルとその妹姫に、乾杯を捧げましょう!」
俺とマーミルの手にも透明な液体の入ったグラスが配られ、アリネーゼの呼びかけに応じて全員が杯を手に立ち上がった。
「準備はよろしいかしら? では、乾杯!」
「乾杯!」
「大公閣下方と姫君に!」
「麗しの御身に!」
アリネーゼの音頭にあわせて、様々な声があがり、無数の手が空を彩った。
俺はぐいっと酒をあおる。
甘い。これならマーミルも大丈夫だろう。
俺が頷くと、マーミルもゆっくりと杯を傾けた。
「甘くておいしいですわ! ものすごく、おいしい!」
そういって嬉しそうに何度も口をつける妹。
「お口にあったようでよかったわ。ベイルフォウスに好みの味を聞いておいて正解だったわね」
「ベイルフォウスに?」
なぜ妹のことを、他人である奴に聞く。どうせなら俺に聞いてくれ!
「遠慮なくお代わりしてちょうだいね」
「ありがとうございます!」
「マーミル、ほどほどにな」
いくら魔族は酒に酔わないと言っても、子供のうちから他所で遠慮なく飲み続けるのは礼儀の点で誉められたものではないだろう。
「閣下、マーミル姫! お久しぶりですな! でははい、乾杯!」
タイミングを計っていたのだろうか。リスがぐいぐいと杯を近づけてくる。
それからそのつぶらな瞳を、同じくつぶらな双眸を持つ同僚に向けた。
「ヤティーン、お前も招かれたのか?」
「いや、俺はマーミル姫の送迎役だ。ちなみに、帰りには新しい魔王城を見に……は、いかないが」
俺が視線を向けると、ヤティーンは慌てて発言を翻した。
「そんなに魔王城が見たいなら、休みを取って好きな時に一人で勝手に行け。私的な時間の使い方まで、口を出すつもりはない」
マーミルに聞こえないように伝えると、ヤティーンは嘴を大きく開いた。
「おお、新しい魔王城の話はパレードのうちにも届いておりますぞ! またどえらい規模のものらしいですな! なんでも、今の魔王城より大きいとか……」
「ふふん。まあな」
やはり、ウォクナンも城には興味があるらしい。
ああ。この二人ほどの情熱が、昨日の大公たちにもあればなぁ。
「それで、パレードの道程も少し変わってな。今日はその件もあって、この酒宴への招待に応じさせていただいたんだが」
「確かに、主役のいない場所にたどり着いても、むなしいですしな。なんのためのパレードか、ということになる」
うん……主役がいないどころか、パレードが旧魔王城についた頃には、とっくに城は粉塵と化しているだろうからね。
なぜならば、パレードが魔王城へ到着するのは百日目だが、大公位争奪戦は八十九日目から十一日間に及んで行われるからだ。
「あらあら。男性方は新しいお城の話で盛り上がりたいご様子ね。なら、こうしましょう。男性は男性で、女性は女性でお話をする、ということに!」
アリネーゼが両手をパンパンと叩き合わせ、俺たちの注目を集めた。
「席を交代しましょうか。それとも侍女」
睫毛の長い犀の瞳がすうっと細められ、侮蔑とも殺意ともつかない視線が、俺の後方へと向けられた。
「お前が自らの身分を慮って自分の席をヤティーン公爵に譲り、自分はマーミル姫の後ろに立って我々の給仕をする、というのなら、誰も止めはしませんよ」
「! アリ」
「お兄さま、お兄さま!」
アレスディアに対するあんまりな態度に、俺が一言アリネーゼに物申そうとしたその時だ。
妹が俺の服の裾をつんつんと引っ張ってきた。
「なんだ、妹よ」
「どうしましょう、お兄さま! アリネーゼ大公は勘違いなさっているわ!」
……ん?
「だってお兄さま! 侍女は給仕なんてしないわ。アリネーゼ大公はご存じないのかしら? 給仕は給仕係がするのにね! 間違いを指摘してあげるべき? もしも誤解したままで他所でも同じようなことをおっしゃったら、大っ恥をかきますものね!」
「まっ……!」
マーミル……内緒話のつもりかもしれないが、ぜんぜんそうなってないからね。アリネーゼに丸聞こえだからね!
だが今回は許そう。お前は親切のつもりで言ったのだろうが、アリネーゼには皮肉として通じたようだから。
これは俺が直接注意するより、よほど彼女には効いただろう。
長い睫毛はプルプルと震え、皮の分厚そうな灰色の肌が、怒りのためかほんのり赤らんでいる。
やばい。笑ってしまいそうだ。
「ダメですよ、お嬢様。アリネーゼ大公はお育ちまで高貴すぎて、下々のことなどまるでご存じないのでしょう。とんだ世間知らずだということは、我々の胸だけにしまっておいてあげるべきですよ」
ちょっと待て、アレスディア。マーミルのは許容範囲だが、お前のはダメだ。わかっていてその言葉はないだろう。自重しろ!
「お心遣いはありがたいが、席はそのままで結構だ」
とりあえず、俺はアリネーゼの発言だけを認識した体で返答することにした。
ギリギリと歯ぎしりの音が聞こえてくるような気がするが、無視しよう。
「今回の宴はむしろ、パレードの参加者を労うためのものであるはずだ。だろう?」
「ええ、まあ」
アリネーゼの声は低い。
「なら、その一員であるアレスディアが席をたつ必要は全くない。それに妹をつれて来はしたが、長居させるつもりも全くない。ヤティーンにしてもその護衛だ。酒宴に参加させるために連れたわけではないのだから、席など必要ない」
「全く、その通りですよ、アリネーゼ大公閣下」
雀は意外にも、不満顔も見せずに俺に同意する。
「俺に対するご配慮には、感謝します。だが今日は治安維持部隊の隊長としての――あ、はいそうなんです。実はこの大祭で俺は治安維持部隊の隊長を申しつかってましてね。治安維持部隊ですよ。文字通り、領内の治安を維持することを、一手に引き受けている役なんですけどね!」
雀は胸を張っている。
本当に好きなんだな……治安維持部隊を率いるのが。
「つまり、領内を大公閣下に替わって睥睨するわけですから、それはもう副司令官でも一番の実力者でないと、任せられない重要な役目な訳ですよ。もう忙しいのなんのって! だからのんびりしている暇も、気を抜いている暇もないんです。そんなわけでお心遣いだけ、いただいておきます」
雀はなぜか、俺に向かってドヤ顔を向けてきた。
誉めてほしいのか? アリネーゼの誘いをよくかわしたと、誉めてほしいのか?
まあいい。今の言い分だと、寄り道なんてしている暇はないということだしな。
「そう……そこまで固辞されるのであれば、私とて無理にとは言いませんよ」
アリネーゼは不機嫌さを隠そうともせず、俺たちからぷいと顔を逸らしてしまった。
「とにかく座ろう。俺たちが立っていたら、みんなだっていつまでも腰掛けることができない」
乾杯は終わったものの、上位者である俺とアリネーゼが立ったままなので、みんなも座ることができずに立ち尽くしたままでいるのだ。
それどころか上座の雰囲気が怪しいとみて、不安そうな顔をしている者までいる。
「みんなの座った後なら、アレスディアの側に行ってもいい? お兄さま」
こっそりと尋ねてくる妹の瞳は、すでに少し潤んでいる。
今すぐに駆け寄りたいところを、ぐっとこらえているのだろう。
「ああもちろんだ。だがアレスディアと話をしたら、すぐ帰るんだぞ」
「わかってますわ、お兄さま」
そうして俺たちは自分に割り当てられた席につき、ヤティーンは銅鑼の横に胸を張って立ったのだった。
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