魔族大公の平穏な日常
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【第七章 魔王大祭 中編】
「アレスディア!」
酒宴が再開されて、十分後。
ようやく妹は侍女の元に駆け寄って、その細い膝にしっかと抱きついた。
「まあまあ、なんですお嬢様。まるで子豚のように顔をくしゃくしゃにして」
「うわーーーーん! この失礼な侍女ーーーー!」
アレスディアの方はいつもの毒舌を控えようともしない。それでもキラキラと輝くドレスのスカートが、妹の涙と鼻水で汚れるのを一向に構いもせず、妹の背と頭を四本の手で優しくなでている。
ああ、いつもの風景だ。
「あら、ご機嫌ね、ジャーイル」
低い声に、俺は自分の左を振り返る。
「アリネーゼ……?」
なんだ……目を半眼のようにしているのはいつもの通りだが、雰囲気が少し違う気がする。
アレスディアに対する嫉妬心が、態度に影響しているのだろうか。
「まさかあなた……あなたもベイルフォウスと同じ趣味なんじゃないでしょうねぇ? あんな侍女なんかを見て、ニヤついたりして……」
「ベイルフォウスと同じ趣味?」
どういう意味だ?
「つまり、こういうことよ……」
アリネーゼはこちらへ椅子を近づけ、紐をひらひらさせただけの足を妙に妖艶な動作で組んだ。
それからその組んで上になった左足を、俺の左足の太股の上に……。
「ちょ……アリネーゼ!?」
え、なに?
なんで俺の太股に自分の足を乗せてくるの!?
なにこれ、なにこの感触!
爛れてぐちゃぐちゃした内股の感触が、服ごしにでも伝わってきてちょっと気持ち悪いんだけど!!
あとなに、なんでその竜の蹄で俺の右足のふくらはぎをつついてくるの!?
極めつけに俺の左腕を撫でる雄牛の前脚……。
「あなたもどちらもいけるの? ってこと」
ぞおおおおおお。
「いやいやいや」
俺は反射的に立ち上がった。
「あっ……ん……」
いやいやいや。
「俺は違う。俺は無理。俺は絶対不可能!」
思わず両手で体を掻き抱き、高速で擦ってしまっているが許してほしい!
だって背中がゾワゾワしたんだもの!
いいや、今現在も悪寒が止まらないんだもの!
「アリネーゼもだろ? 君もデーモン族はダメだろ?」
そうだよな、まさかいけるとか言わないよな?
デーモン族は嫌いなんだろ?
そうだと頷いてくれ。
サーリスヴォルフだってそう言っていた。
俺のこと快く思っていないって!
「ふん……当たり前じゃないの」
アリネーゼはまたも態度を豹変させた。
「冗談に決まっているでしょう、全く……」
これほど誰かの言葉にホッとしたことはなかったかもしれない。
アリネーゼは椅子を元通り俺から離すと、姿勢を正して食卓のグラスを取り、ぐいっとあおる。
俺は妹が相変わらずアレスディアに夢中になっていることを確認し――アレスディアからは冷たい目を向けられていたが――、自分も椅子をなおして腰掛けた。
あああ……ズボンが……白なんて履いてくるんじゃなかった。
ドロドログチョグチョしたもので濡れてる上に、見た目も悲惨なことになってしまっている。なにより、冷たい感触が太股に残って気持ち悪い……。
やばい。テンションだだ下がりだ。
「なんと勿体ない……私ならあのままあの細い脚を挟み込んで離さないのに」
ウォクナン、お前はデヴィル族だからそうだろうよ。
でも俺はデーモン族なんだ。しかも、我が親友と違ってマトモな性癖のな!!
これがデーモン族の女性だってなら、俺だってどれだけ嬉しかったかしれない。
「全く……デーモン族というのは、これだから……きっとあなたなんて私とあの侍女との美しさの違いもわからないのでしょうね!」
鼻で笑われた!
なんかショックだ。
「閣下、閣下。せめてあとでそのズボン、私にくれませんか?」
気持ち悪い……ウォクナン、気持ち悪いぞ!
あと、後ろでハアハアいって、後頭部に風を送ってくるのは止めろ!
前歯折ってやろうか……。
「じゅるり……」
こいつ……まさかまた、いつもみたいに俺の頭を狙っているんじゃなかろうな。
「前門の犀、後門のリス」
「なんですって?」
「いえ、なんでも……」
俺もマーミルと一緒に帰ろうかな。
「一つ、尋ねてもいいかな、アリネーゼ」
「ふふ、なぁに?」
このコロコロと変わる態度……。
女心が変わりやすいのは知っているが、それにしたって情緒不安定なのじゃないかと疑うほどだ。
「なぜ、アレスディアをこの並びに……」
「あら、決まってますわ。そんなの」
犀が口角をあげる。まさにニヤリ、というのがピッタリな笑い顔だ。
「彼女がこの参加者の中で、最も美しいからです」
……まあ、デヴィル族の中では、だ。
あくまでデヴィル族の中では、だ。
しかしそこははっきり認めるんだな、アリネーゼ。
「美しい者には、美しい者の義務があります。それは、自分の美しさを磨き、維持し、高めること。そうしてその結果を、常に大衆に示すことです」
……へ、へえー。
「私がこうして大公としての地位を得ることができたのもまた、美しさ故なのです。私はこの美しさを保ち、誰にも手出しさせないために、こうして強くなったのです。その努力がいかほどのものか……あなたにわかるかしら?」
「……いや」
だが、正直感心はする。
美しさの維持のために強くなる、だなんて、言うほど簡単なことではないからだ。もちろん強くなる素地はあったのだろうが、本人の言うとおり努力はしたのだろう。しかもその結果が大公位なのだから。
「私の美しさは、競ってこそ伸びるのです。どこかの誰かのように、のうのうと大事に守られて維持してきたものとは性質が違います。……まあ、理解は求めませんわ」
守られてというのはアレスディアのことなんだろうが……。
しかし、俺は少しアリネーゼを誤解していたようだ。
今日だってウィストベルとやりあうような態度で始終アレスディアに接するのではないかと心配していたが、まあ一度で気も済んだようだし。
並んでいるのも自分を高めるため、美しい者としての矜持を示したというだけで、他意は――。
「ふふふ……表面の美しさだけに目をくらませている者たちは思い出すことでしょうよ。あの娘がドレスを汚されて内心憤っていても、それを出すことも許されないただの侍女だということをね!」
前言撤回。
嫉妬って怖いな……。
俺はヤティーンに合図を出す。もちろんそろそろマーミルを連れて帰れ、という合図だ。
雀はこくりと頷き、アレスディアにすがりつくマーミルの元へ近づいた。
「マーミル様、そろそろお時間ですよ。帰りましょう」
「え……でも」
マーミルはアレスディアの膝から顔を上げ、こちらを見てきた。
俺は妹に頷いてみせる。
「……わかりましたわ」
おお! マーミルの聞き分けがいい!
さすがに号泣しつつ約束した言葉は、忘れていないようだ。
「マーミル様、ほら、しっかりと立ってください」
そういいつつ、アレスディアは自分の袖でマーミルの顔中を拭いた。
その動作には一片の躊躇いも淀みもない。
「ふん」
「私に会いたい一心で、ここまでいらしたことには誉めてあげますよ、お嬢様。だから今度は私がお城まで会いに行って差し上げましょう」
言葉は高慢だが、口調は優しい。
「せいぜい私の名前の書いた旗でも振って、後ろをちろちろと子豚のようについていらっしゃいまし」
「う~~。また上から目線~~」
妹もまた、言葉は不満げだが、表情は笑顔だ。
「お兄さま」
「アリネーゼにご挨拶をしてな」
「はい」
妹はアレスディアに髪を直してもらってから、アリネーゼの側までトコトコやってきてぴょこんと膝を折る。
「アリネーゼ大公。本日はお招きいただきまして、ありがとうございました」
「まあ……ええ、いいえ。そんなことより、もっとゆっくりしていらっしゃいな?」
「いいえ」
アリネーゼの誘惑にも負けず、妹は首を左右に振る。
どうやら本当に、俺の言うことをよく聞くいい子になったようだ。
少なくとも、今この時は。
「私、本当にとてもとても、大公閣下に感謝しています。アレスディアに会える機会を作っていただいて、どれだけ嬉しかったか……。本当にありがとうございました」
「あら。よろしいのよ」
アリネーゼは右の口角だけをあげた。
「それでは、失礼いたします」
マーミルはもう一度膝を折った。
「気をつけてな」
俺はその興奮して赤らんだ頬を撫でた。
「はい、お兄さま。でもお兄さまも……」
妹は俺の耳元に口を近づけ、そっとささやいた。
「美女ばかりがいるからって、羽目を外しすぎないで、なるべく早く帰ってきてね」
!
おい、誰だ!
妹に妙なことを吹き込んだ奴!
絶対にいるはずだ、でなければまだこんなに幼いマーミルが、そんなことを思いつくわけがない!
「じゃあ、参りましょうか、マーミル様」
「おい、ヤティーン。ホントに寄り道せず、帰るんだぞ」
「やだなぁ。俺だって子供じゃないんだ。そんなしつこく自分の楽しみを貫こうとはしませんよ。ただホントに、ホンットに、がっかりしてるだけですよ!」
まあこれでもヤティーンは正直な奴だから、大丈夫だろう。
そうして妹はヤティーンに手を引かれ、大人しく城へと帰って行ったのだった。
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