魔族大公の平穏な日常
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【第八章 魔王大祭 後編】
ねえ、言っていい?
こっそり言っていいかな。
魔王様って結構行き当たりばったりだよね!
無計画にもほどがあるよね!
だってそうだろ?
みんな忘れてるかもしれないけど、新魔王城の築城なんて話は、最初は全く計画になかったことだからね!
急に言われて、さすがの俺もビックリだったからね!
それも、最終日あたりに遷城するはずが、早くできたから引っ越しも早くしてしまおうって、これがもう行き当たりばったりでなければなんだというのか。
結果、しわ寄せは今こうしてやってきている。
というのも本来ならとっくに終わっていたはずの、〈魔犬群れなす城〉と〈死して甦りし城〉への魔王様の滞在が、未だ実現されていないからだ。
最初に何度も――何度も何度も何度も会議をして決定した日程では、その二カ所への魔王様のお泊まりは、本来なら遷城作業に充てていた期間に予定されていた。その場合、今の時点で残っていたのは我が城への滞在のみだったのだ。
だが現状はどうだ。〈断末魔轟き怨嗟満つる城〉への滞在を含めて、三カ所が残ってしまっている。
かといって、恩賞会の始まる大祭七十一日目から八十五日までの十五日間に、魔王様が魔王城を離れる訳にはいかない。褒賞を授けるのは主行事担当のウィストベルではなく、魔王様自身の役目だからだ。
それが終わると、八十九日から最終日の百日まではいよいよ大公位争奪戦が開催される。この間に他の城に呑気に泊まりにいける訳がないのも、自明だろう。
そんなわけで、急遽サーリスヴォルフ以下の大公城への滞在を、連続で行うことになったのだ。
魔王様は〈魔犬群れなす城〉、〈死して甦りし城〉と連泊し、明日、デイセントローズ領を後にしたその足で、我が城へと参られる。
それはいい。お泊まりは最初から予定にあったことだし、連泊で予想外に疲れる者があるとすれば、それは魔王様自身だからだ。
けど本来なら――いいですか、ここ重要なんですけど、大祭主である俺のところへの滞在は、他の大公たちの城に比べてかなり長めになる予定だったのだ。ねぎらいの意味を込めて。
俺に対するねぎらいの意味を込めて、だ!
だが、実際には他の大公のところに比べて一日増えただけ――二泊三日が三泊四日になっただけにとどまった。
何がいいたいって?
いや、別に……。ただ、残念だなと……。
とにかくその前準備でこの二、三日というもの、我が城は大忙しだ。
なにせこの〈魔王ルデルフォウス大祝祭〉の主役である魔王様の滞在だ。ハンパなもてなしではすまされない。
迎賓館も普段よりいっそう、設備を調えねばならないし、行事も当日は特別の対応をしなければならない。
そんなわけで、来訪者はともかく裏方ではバタバタと、準備が進められていたわけだ。
そう、なぜか妹までも――
「一日目の晩餐のドレスはこれでいいかしら? 二日目の昼餐はこっち! お茶の時間はこれで、晩餐はこのドレス。三日目の朝食はこれで――」
そんなもの、どうでもいいと言ってやりたい。お兄さまは忙しいのだ。ドレスくらい好きに選ぶがいい、と。
だが言えない事情がある。差し出されたドレスが、どうでもよくないものばかりだったからだ!
そもそも、俺の感覚ではそれらはドレスとは到底呼べない代物ばかりだったのだ。
派手すぎる奇抜な色目――それだけではない。デザインまでもがおかしい!
なにそのごつい肩パッドから無数に飛び出すトゲ。そこに必要なのかな!?
なにその腰からぶら下がる無数の目玉。汁が出てるけど、なんの汁なのかな!?
なにその足首から垂れて大地に音を立てて吸いつく軟体動物みたいな吸盤。絶対に歩きにくいよね!?
俺の感想はこうだ。
き が く る っ て る 。
「いや、待て……ちょっと待て、マーミル! まさか本気じゃないよな?」
「お兄さまも気に入りません?」
お兄さま“も”?
よかった! マーミルもどうやら本心ではこの奇妙な衣装を受け入れてはいないようだ。
そうだよな! やっぱり、そうだよな!
俺の妹が、まさかそんな変なセンスをしているはずはないよな。この間までの反応は、気の迷いで本当は――
「やっぱり地味すぎますわよね。もっとこう、緑とか黄色の蛍光色を加えて――」
誰かーー!
無難なドレスを喜んで選んでいた頃の、可愛い妹を返してくださーーーーい!!
「ユリアーナ、ちょっといいか」
俺は元凶であること間違いない侍女を、別室に誘おうとする。もちろん、きっちり話をつけるためだ。
だというのにこの侍女は――
「えっ、そんなっ。マーミル様の見ている前で、そんな破廉恥な……いたたたたたたたっ!!」
はっ!
しまった。
反射的に目の前のこめかみをグリグリしてしまった!
マーミルが見ている前だというのにっ。
頬を染めて恥じらう侍女が、あまりにもウザかったものだからっ!
とにかくそんな一悶着はあったが、なんとか妹に無難なドレスを選ばせることに成功し、俺は居住棟を後にした。
「悪いな。ずいぶん時間をとってしまった」
「ご心配なく、旦那様。魔王ルデルフォウス陛下をお迎えする準備は、滞りなく進んでおります」
ああ、そうだろうとも。
エンディオン、君が主導してくれているのだから、手抜かりなぞあるはずがない。むしろ俺なんて、いても邪魔になるくらいだ。
ちなみにセルクには、この期間中はフェオレスの補佐に回ってもらっている。
「あとは迎賓館を旦那様に点検していただき、それで完了となります」
そこだってわざわざ俺が点検などせずともいいだろう。全幅の信頼を寄せている、と言いたいところだが、さすがにそれでは無責任すぎるだろう。
俺はエンディオンと共に迎賓館が完璧に仕立て上げられていることを確認し、それで明日の実地検分は完了したのだった。
そうしてエンディオンとセルク、フェオレスを執務室に召集し、最後の打ち合わせだ。
魔王様がまた我が侭を言った場合にも対応できるような形で、一応四日分の緩い予定は立ててある。
「さて、みんなご苦労だった。あとは当日を迎えるばかりだ。一応は、この予定通りにすすめるから、そのつもりでいてくれ」
全員が予定表を見ながら頷く。
そこへ――。
「予定? またそんな無駄なことしてるのか」
呆れたような言葉を口にし、現れたのは目に痛い赤。
「兄貴が気まぐれなのは、お前だってそろそろ気づいてるだろ。なのに予定まで立ててるとか――無駄になるだけとは考えないのか?」
魔王様を“兄貴”などと呼べる者は、この世にただ一人しかいない。
「ベイルフォウス……また、この忙しい時に……」
最近はご無沙汰だったってのに、どうしてわざわざこのタイミングでやってくるんだ、この男は。
よく気のつく三人は、打ち合わせが終わっていたこともあるのだろう。黙礼しつつ退室した。もちろん、ベイルフォウスが彼らを気にかけることは決してない。一瞥することさえ、な。
「準備は終わったんだろ? だったらちょっと付き合えよ」
「どこへ?」
「なに。遠くまで行こうってんじゃない。この城の敷地内だ」
敷地内?
断ってもよかったが、そうなるとこの男はいつまでも居座るだろう。それで俺は親友に付き合うことにしたのだが、連れて行かれたのは確かに我が〈断末魔轟き怨嗟満つる城〉の敷地内――それも俺がこの大祭中、もっとも心を寄せている場所だった。
そう、つまり武具展の開催されている、その棟、そのフロアだったのだ!
武具展は――大祭の主行事としても提案したが、誰一人として賛成してくれなかった催しだ。もちろん、ベイルフォウスも例外ではない。
だから結局俺は、自分の領内での開催を強行せざるを得なかったというのに!
宝物庫からこれぞという武具を自ら選び出し、こうしてかなり広い部屋をいくつも使用して配置に気を配り、悦に入っていたのは俺だ。
だから連日、迷い込んだ者以外、ほとんど誰も訪れないという事実も承知している。
だが今、俺を強引にこの場へつれてきた男は、無関心どころか見たこともないほど瞳を輝かせながら、その展示品に魅入っている。
こんなベイルフォウスを見たことがあるか?
俺は、ない。
「おい、これはどういうことだ」
「どういうことって、なにが……」
「とぼけるな。これだよ、これ」
そう言って、ベイルフォウスは蒼銀の瞳を武具から俺に向けた。
「槍だけど?」
「そう、槍だ。だが、ただの槍じゃない」
確かにベイルフォウスの言うとおりだ。その展示品は、ただ見た目に美しい、というだけではない。
武具に全く興味を示さない魔族の気を、少しでも引くためにと考えた結果、展示品は全て魔術を帯びた武具ばかりを選んだ。
だが、結果はさっきも言った通りだ。そもそも誰も、足を運んでこない。
まあそれはいい。
つまり、ベイルフォウスが示したこの展示物はただの槍ではなく、魔槍だということだ。しかも――。
「ヴェストリプスだ!」
そう、その通り!
魔槍ヴェストリプス。
我が城の宝物庫が所蔵する物の中で、俺の選んだこの魔剣レイブレイズに並ぶ逸品である。
魔槍ヴェストリプスはその先端に三つの役割を持つ長槍だ。
柄からまっすぐ伸びる穂先で突き、横に突き出た斧で斬り、逆側で引っかける。便利なように思えるが、使いこなすにはある程度の器用さが必要だ。
この槍以後、こうした形態を分類して、ヴェストヴェルトとその名を冠して呼ばれることになったほどの、稀代の名具である。
一見したところも、正直格好いい。
その柄は純白。まるで今造られたかのように、疵一つなく真珠のような輝きを放っている。柄とは対照的に、闇のように黒い魔石を鍛え上げて造られた三つの攻撃部の側面には、装飾性の高い彫刻が施されている。
「知ってるのか」
「知ってるも何も――こいつは世にある槍の中で、もっとも優れた名槍だ。槍使いでヴェストリプスの名を知らぬ者などいない」
再度槍に向けられた視線も、語る声も、熱を帯びている。
そう言えば、ベイルフォウスの第一の武器は槍だったか。まだ俺は、剣を持ったこいつとしか刃を交えたことはないが。
「どうしてこれが、お前のところにある」
「以前聞いた話では、先々代の大公が先代の魔王から下賜されたものらしいが」
そう語ってくれた管理人は、もうこの世にない。
「先々代の大公と先代の魔王……ってことは、俺が最後にみたのは子供の時だから、六百年ほどこの場所にあったかもってことか。なるほどな」
ベイルフォウスは腕を組み、頷いた。その間も視線は槍を外れることはない。
「いくら探しても見つからない訳だ。大公の宝物庫に仕舞い込んであったってなら」
どうやらベイルフォウスはこの槍を探していたようだ。と、なると。
「なあ、親友よ。これを俺にくれ」
そうくるよな。
「初めて見たとき、一目惚れした。俺はこいつを使いこなすため、武器に槍を選んだ。魔術の訓練をする時間を削って、槍の鍛錬をしたんだ」
おいおい、それでこの地位かよ。フォウス兄弟ったら、その潜在能力たるや恐ろしいな。
「俺にとってこの槍は、何にも得難いものだ。どの女より、ずっとな。探し続けたが、どこにあるのかわからなかった。もし見つかれば、その時は」
ベイルフォウスはようやく槍から視線を外し、俺をじっと見つめてきた。
「持ち主を殺してでも奪い取る――」
おい!
「つもりだったが、お前だというのなら話は早い。くれ」
まあ、俺はどうせ使わないしな。
それにこれほどの槍が、倉庫に眠ったままというのは惜しい。せっかく名工の技をもってこの世に顕現したんだ。それに相応しい技量の持ち主がいるのなら、その者が使ってこそ意味もあるというものだろう。
ただ、実はこの槍にはほんのちょっぴり、思い入れがある。俺の父が、こいつの模造品と思われるものを持っていたからだ。とはいえ、そうと知っても倉庫に置いておいたままだったのも事実だし。
「わかっている。もちろん、タダでとは言わない。対価は支払う」
別に拒否するつもりで黙っていたのではないのだが、ベイルフォウスはそうは思わなかったようだ。
「何が欲しい。同等の価値を持つ、他の武器か? それならいい弓を持ってる。珍しい短剣もある。鉄扇が欲しけりゃくれてやるし、ウィストベル同様、本が欲しいというのなら世界中隅々を探してでも見つけ出してお前にやる。あるいは極上の美女か? 何人でも世話してやる。拷問道具、珍しい食材、酒、絵、楽器、宝石――なんだって手に入れてやる。だから、なあ、親友」
そう言って、ベイルフォウスは絹の敷布を架けた設置台の上に、穂先を天井に向けて斜めに置かれたその槍――ヴェストリプスの柄に、手を置いた。
見たこともないほど丁寧な、優しい手つきで。
「俺にこれをくれ」
「大公位争奪戦では使えないぞ」
「もちろん、わかってる。だからくれるのは大祭が終わってからでいい。誰もせっかくの展示会場から、この超目玉品をなくそうとは思わないさ。お前もその間に、対価を考えておけばいい」
正直、俺個人としては対価などいらない。だが相手が欲しがったからと言って気軽に持ち出していいものか。なんといっても、大公の宝物庫だ。色々問題があるかもしれないので、一度エンディオンに相談してみることにしよう。
「わかった。そこまで言われて、駄目とは言えないな」
「きっと頷いてくれると思ってたぜ」
本当は、一度は拒否してみようかとも思ったんだ。だが今日ばかりは冗談が通じそうにない。嫌だといえば本気で殺しにかかってきそうな目つきだったから、止めておいた。
たぶん俺の判断は正しい。
ベイルフォウスは本当に嬉しいのだろう。珍しく無邪気な笑みを浮かべてている。
ただ、なんだろう。
何かが気にかかる。
別に大公に限らず魔族が魔槍を持ったところで、問題なぞあるわけがない。俺だって魔剣を所持してるし、他にもいくつもの魔力を帯びた武具を持っている。ベイルフォウスだっていくつも魔道具は所蔵しているだろう。おそらく他の魔槍だって、何本も。
だが――
大公ベイルフォウスと魔槍ヴェストリプス。
何かがひっかかる。いや、引っかかるというか……なんだか嫌な予感がする。
ああ、そうとも。根拠はない。ただの勘だ。
きっと気のせいだろう。そうに決まっている。そもそも俺は、勘の鋭い方ではないのだし。
「そうと決まれば俺は帰ったほうがいいだろう」
「えっ?」
このタイミングで来たのは、てっきり魔王様の滞在に前乗りして居座るつもりだと思ってたのに!
「本当は兄貴と一緒にいるつもりだったが」
予想、当たってた!
「大祭が終わるまで待つとは言ったが、同じ城内にこの槍があるとわかって、俺が我慢できるはずがない。約束を守るためにも、とっとと帰ることにする」
つまり我慢できなくて、今にも奪って帰っちゃいそうだ、と。
うん、実に脳筋の君らしいね。ベイルフォウスくん。
そうしてベイルフォウスは魔槍に未練の残る瞳を向けながらも、自分の城へと帰って行ったのだった。
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