古酒の隠れ家

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魔族大公の平穏な日常

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【第八章 魔王大祭 後編】

110.魔王だってたまには癒されたいのです



 久しぶりに落ち着いた気分だ。
 こんなにホッとしたのは、何日ぶりだろうか。もう数十日もなかったような気がする。

 〈魔犬群れなす城〉では適度な緊張を強いられた。
 私は魔王だ。ウィストベルには敵わないとしても、その他の者に劣ることなどあり得ない。
 例えサーリスヴォルフが熟睡している時に襲ってきたとしても、傷一つつけられず抹殺する自信はある。自分がそれほどの強者であることを信じて疑わないし、それは事実だ。
 もっとも寝込みを襲うなど、大公でなくとも魔族であれば、取るはずもない卑怯な手段だ。正々堂々、正面からぶつかって雌雄を決する、それも一対一で、が、何においても基本なのだから。
 だから別に緊張感といっても、それは自分自身に課せられた魔王という立場を貶めぬための、心地よいものでしかなかった。いつもと同じでな。

 そう、サーリスヴォルフの城ではいつも通りで、何一つ異常な事態は起こらなかった。
 目の前で他の魔族がナニしているところを見せつけられたりはしたが、そんなものはどこででも見かける風景だ。
 つい先日、成人を祝った双子による、食事時の下品な会話に眉を顰めたりもたりもしたが、まあそれもかまわない。

 問題は、その後――
 あれほどのおぞましい体験をさせられると、誰が予想し得ただろうか。
 そうとも。数十日に思えるほどの体験を、たかが二泊の滞在で味わうことになるとは、さすがに私だって思わない。

「我が母でございます」
 そうデイセントローズに紹介された瞬間から、本能が警告を発しているのを感じた。
 差し出された手を握るのも、躊躇われたほどに。実際に、その骨ばった山羊の手を握ったその瞬間、全身に震えが走ったほどに。
 ああ、ジャーイルには強がってみせたが、私がその時感じたのは紛れもない恐怖だった。

 この世で私に勝る魔力を持つのは、今のところウィストベルのみだ。だが彼女に対して恐怖なぞ感じたことは、一度としてない。
 ああ、そうとも。彼女に感じるのは恍惚とした愛だけなのだから。

 一方で、デイセントローズの母――ペリーシャは、魔族としては小物と評するのも足りない存在だ。
 いくら無爵とはいっても、その能力の無さや、幼い子供にも劣るほど。それほどの微弱な魔力しか感じず、身体能力すら平均にさえ届かないであろう、と一目で知れた。
 最小の魔術でも、灰にしてしまえるほどの、取るに足らない存在。
 そう頭では理解できるというのに。

 息子が外せない用件で席を立った間、私の相手を買って出たのは他ならぬあの母親だった。
 だがあの手つき、目つき……恐らく艶めかしさを演出しているつもりなのだろうが、おぞましさしか感じなかった。
 遠くに座れば、椅子の距離を詰めてくる。やたらに体に触れたがり、にじり寄ってきた。おかげで珍しく、人前で作法について注意してしまったくらいだ。

 騒ぎを聞きつけたデイセントローズがその場をとりなし、母親を遠ざけたが、そうでなければ私はそこが大公の城であることも、自分を祝う大祭の最中であることも、また、相手が大公の身内であったことも忘れて、殺戮の本能に従っていたかもしれない。
 その上、一日目の夜はまだよかった。デイセントローズが気をきかせて迎賓館に遣わしたのは、デーモン族の女性数人だったからだ。

 だが、二日目の夜。
「ル、ルデルフォウス陛下――陛下とぜひ、お近づきに――」
 荒い息の合間に、啜りあげられる涎の音。
 それは月明かりにボウっと浮かぶ、血走ったラマの目――
 ラマには黒目しかあるまい?
 ああ、そうだ。だが、確かにあの目は血走っていた。

 そのくすんだ白い手が延ばされ、その膝が衣服の間を割って進み、床をきしませるのを見た、その瞬間――

 いや、やめよう。もう過ぎたことだ。
 こんな記憶は、一刻も早く忘れ去ってしまうに限る。でないと、思い出すたびにこみ上げてくるものを、こらえなければならないからな。

「魔王様、魔王様? 大丈夫ですの?」
 幸いにも、忘れるには最適な状況だ。
 大祭の喧噪から離れて私は今、植物に囲まれた静かなサンルームでゆったりと紅茶を飲んでいた。
 見事な金髪を巻き毛にした、小さなデーモン族の少女を前にして。

「ああ……すまない、マーミル姫。少しぼんやりしてしまったな」
「あら、魔王様。ただのマーミルで結構ですわ」
 ジャーイルが所用で席を外している間、お茶の相手をしてくれているのは、その妹だ。
 同じく大公の身内だというのに、昨日とは雲泥の差ではないか。

「魔王様はお疲れがたまってらっしゃるのね。無理もありませんわ。お兄さまみたいに、真面目なお方だと聞いてますもの」
 反射的に否定を口にしそうになったが、なんとかこらえた。
 なにも兄思いの妹の幻想を、私の手で打ち砕く必要もあるまい。

「この城に御滞在の間はお仕事は一つもないんですもの。きっとお心もお身体も、ごゆっくりできるはずだわ」
 マーミルは自分の席を立つと、私の空いたカップに紅茶を注ぎなおしてくれた。
 彼女の言うことは正確ではないが、子供からすれば歓待されるだけの身は遊んでいるように見えるのだろう。
 それに事実、昨日までと違って、今このときは休息できているに違いない。

 マーミルも滞在初日である昨日は、傍目から見ても明らかなほど、緊張を覚えていたようだった。だが、子供だけに変化に慣れるのにも早いのだろう。今はすっかり、私にも自然な態度をみせている。

「そうだ、よければ後で野いちご館にご一緒しません?」
「野いちご館?」
「子供専用の社交会場ですわ。フェオレス先生が、用意してくださったんですの」
「ジャーイルの副司令官の一人だったか。だが、先生?」
「騎竜を教えてくださってるんですの! だから、先生ですわ」
 なるほど。

「しかし、子供専用なら大人の予は参加できまい。それとも、給仕としてでも、この身を御所望かな?」
「あら! 魔王様も冗談をおっしゃるのね!」
 マーミルは明るい笑い声をあげ、それからハッとしたように口元を抑えた。

「内緒にしてくださる?」
「なにを?」
「今、口元に手を当てないで大声で笑ってしまったことですわ」
 彼女はキョロキョロと、怯えたように周囲を探った。誰かを警戒しているようだ。
 だがいるのはマーミルの後ろで百面相をしている彼女付きの侍女と、給仕のために無表情で立っている家扶だけだ。もっとも、お代わりは令嬢が手ずから注いでくれたが。

「エンディオンに知られたら、また怒られちゃう」
 なるほど。対象は有能な家令か。
 目の前の魔王より、しつけに五月蝿い家令に怯えるその子供らしい無邪気な様子に、我知らず笑みがこぼれる。
「ああ、約束しよう。言いつけたりはしない」
「よかった。魔王様が弟君と違って意地悪じゃなくて! ベイルフォウス様ならきっと、ニヤニヤしながら、どうしようかなっておっしゃるわ!」
 確かに、弟ならそういう態度を取りそうだ。

 ベイルフォウスは特に子供好きでもない。というより、一度として子供に優しくしているところなぞ、見たことがない。
 その弟ですら構いたくなる、というのも、こうして本人と話をしてみると理解できるような気がしてくる。
 なるほど。妹が欲しいなどと妙なことを言い出したのも、無理からぬことかもしれない。たまにはこうして裏も毒もない会話を楽しめるのが、その特典だというのなら。

 そうして妹姫としばらく会話を楽しんでいたところへ、ようやく城主が戻ってきた。

「お待たせしてすみません、魔王様」
「かまわん」
「妹が何か失礼をしませんでしたか?」
「あら、お兄さま! 失礼なのはお兄さまよ!」
 マーミルは兄に対してツンと横を向いてみせる。

「全くだ。マーミルはむしろお前よりずっと、気の利く相手だというのに」
 私は立ち上がった。
「またまた魔王様。冗談がお好きなんですから」
 なんだろう、拳を握る力が沸いてきたようだ。
「なんなら今日は一日、お前の代わりをしてもらいたいくらいだ」
 私がそう言うと、ジャーイルの表情は強ばり凍り付いた。

「そんな……兄弟揃って、そんなまさか……」
 覚束ない足取りでテーブルに近づいて来たと思ったら、肩を落として両手をつくジャーイル。
「魔王様までそんな」
 毎度のことだが、芝居がかっている様がなんともウザい。もうホント、ウザい。
 かと思うと、ジャーイルは決然と顔をあげた。強い意志を瞳に込め、そうして――。

「みんなーーーー聞いてくださーーーーい!
 魔王様が、魔王様が
 弟と同じ
 ロ リ コ ――」

 私がどう対応したか、などということは、わざわざ語る必要もないだろう。
 ジャーイルが頭を抑えながら医療棟を訪れるはめになった、という、当然の結末も。

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