魔族大公の平穏な日常
目次に戻る | |
前話へ | 後話へ |
【第八章 魔王大祭 後編】
大食堂での昼食を終えれば、次はいよいよ美男美女コンテストの結果発表だ。
午前とうって変わり、〈大階段〉の先に造られた門上で、俺の隣に立つのはサーリスヴォルフ。背後には、同じく王座に腰掛けた魔王様。
そして、竜の滑空のために空けられていた〈大階段〉も前庭も、今はいつものように聴衆で満たされている。ついでにその顔ぶれも、競竜の時とはいくらか入れ替わっているようだ。
血走った熱気は少なくとも上品を装ったものに、野太い歓声はそのいくらかが甲高い歓声に置き換わった。わずかばかり男性より、女性の割合が増えたように見受けられる。
「受賞者たちは?」
「昨日のうちに召集をかけてあるからね。今はほら、そこ――」
サーリスヴォルフは振り返って、左右の端に造られた、門の上の小屋を指した。小屋といっても、ただ小さな建物、という意味だけで、俺たちが昼食をとっている間に造られた、石造りの立派なものだ。
その間を、金色に輝く毛足の長い絨毯が貫いている。
その出入り口には花冠が飾られ、そこから幾重にも垂れた瑞々しいツタや花々が、中への視線を遮るカーテンの代わりを果たしている。そうしてその両脇を、無骨な制服で身を固めた儀仗兵が守っているのだ。どちらの小屋も、向かって右がデヴィル族で左がデーモン族の担当となっている。
だが左の小屋を守るのは男性で、右の小屋を守るのは女性だった。
中はその逆で、左に各々上位三十名、すなわちデーモン・デヴィルを合わせた美女六十名が、そうして右に美男六十名が待機しているのだという。
ということは、左にはウィストベルやアリネーゼ、右にはベイルフォウスがいるというわけか。男女じゃなく、デーモンデヴィルで分けた方がよかったのではなかろうか、といらぬ心配をしてしまう。
ちなみに受賞者たちは召集状では順位は知らされず、小屋の中で聞かされるのらしい。
ところで俺はまだ、彼らの名と順位を知らされていない。ここまで来たら、聴衆と臨場感を共に楽しむべきだろう、とか言われて、最後まで教えてもらえなかった。
……そういえば、リリアニースタも前回には上位に選ばれたと言っていたっけ。もしかしてリリーが隠居生活から抜け出してきたのは、再び上位への入賞を目論んでのことだったりするのだろうか。
そんな邪推が脳裏をかすめた。
「そろそろ始めよう」
サーリスヴォルフが俺に向いてそう言い、魔王様を振り返ってその首肯を得、聴衆の前に進み出る。
彼は両手を大きく開いた。
「我らが同胞――君らがどれほどこの日を待ち望んでいたか、もちろん私は知っているよ。なぜかって? もちろん、私もその心を同じくする者だからだ」
いつもと同じ、抑揚はあるが、どこか呑気に響く声だ。
「そんな君らを、長々とした前口上で焦らすことはすまい。そう、黒装束をまとわずその場に立っているという事実だけで、打ちひしがれている者も、中にはいるだろうからね」
おお、という悲嘆の声が漏れる。
「では心して、聞くがいい。栄誉ある三十名に選ばれし、それぞれの名を。刮目するがいい、百二十名のうちに選ばれし、それぞれの美貌を」
サーリスヴォルフが手をおろし、俺がその隣に進み出ると、周囲は水を打ったように静まりかえった。
サーリスヴォルフの視線が再び俺、魔王様の上を儀礼的に通過し、右の小屋を守る兵の上で静止する。そうして厳かに頷いてみせると、女性儀仗兵らはその手に持った杖を高々と掲げ、石突で三度、石床を叩いた。
ついに左手を護るデーモン族の女性儀仗兵が、大きく口を開き――
「デヴィル族男性の三十位」
その大音声に応えて、蔦のカーテンが左右に開かれた。そこに立つのは、全身を黒装束で被った男性魔族。顔すらも目元が薄い網のようになっているだけで、外からははっきりと確認できない。
彼は胸を張りつつ堂々と、左右を渡って敷かれた黄金の絨毯の上を行進し、俺とサーリスヴォルフの間に立った。
「この者が誰かわかる者はいるかな? 三十位に選ばれるほどの色男だ。わからないはずはないね。さあ、デヴィル族の女は喉の調子を整えるがいい」
その者の名が唱えられ、黒装束が自身の手によって乱暴に取り払われる。彼はそれを、観客席に向かって放り投げた。
デヴィル族の女性からは歓声が、その他の者からは感嘆の声があがった。
黒装束は女性たちの手によって大小こもごもに引き裂かれ、息も荒いそれぞれの手に収まっている。
なんとも魔族らしい反応ではないか。
彼はひとしきり歓声に応えると今度は向かって左側、出てきたのとは逆の小屋の近くまで歩いてゆき、王座の延長線上にその身を留める。
そこまで進んで初めて、次の発表に移る、という手順だった。
二番手として呼ばれたのはデヴィル族、女性の三十位。こちらはさっきとは逆の、左側の小屋に立つ男性の儀仗兵に呼ばれ、そこから出て挨拶をし、右の小屋近くに並んだ。
そんな風に、デーモン族三十位の男女、と、発表は続いていく。
黒装束はその都度聴衆に向かって脱ぎ捨てられ、散り散りになる。順位があがるごとにその熱狂は、ますます増していった。
選ばれた者のほとんどは、誇らしげにしていたが、中には順位に納得できないとでもいうように、憮然とした者や泣き出しそうな者もいた。
しかし彼らは紛う事なき美男美女だ。
ここで思い出して欲しい。美男美女が集まる催しが、もう一つあったことを。
そう、パレードだ。
つまりそのほとんどは、授賞式のためにパレードを抜け出してきている者たちなのだった。
そしてパレードといえば、俺の担当だ。だから正直を言うと、順位は知らされていなかったものの、今日抜ける者の名は知らされていたから、その小屋の中にいる概ねの名は知っていたりする。
つまりアレスディアがあの中にいることも、もちろんわかっていたのだった。
発表は、すでに三位まで進んでいた。つまり、残っているのは一位と二位だけだ。だがうちの侍女は、まだその姿をみせてはいない。
デヴィル族で残るのは、アリネーゼとアレスディアの二名。
デヴィル族の男は予想できないから省くとして、デーモン族ではベイルフォウスとウィストベルが未登場だった。
ちなみに、俺の予想は外れ、リリアニースタの名も読み上げられなかった。みんなの前に姿を見せるのが、少しばかり遅すぎたのかもしれない。
あるいは……まさか、二位?
確かに彼女は目をひく美人だ。だが、さすがに現役でもない身で、それ程の票を集めることはないだろう。だいたい、それを言うなら俺には不満がある。なんだって、うちの現役まっただなかの副司令官の名が読まれないんだ?
問題は無表情さか? それとも――
「デヴィル族女性の第二位」
おっと。ようやくアレスディアの登場か!
蔦が開かれ、腰をくねらせて一人の女性が前に進み出る。その振る舞いは堂々と、女王然として見えた。
あれ?
アレスディアって、あんな歩き方したっけ?
もうちょっと静かっていうか、謙虚な感じだったと思うんだけど。パレードに適応したのだろうか。
いや、というよりこの歩き方は――
彼女がサーリスヴォルフと俺の間に立ち、黒装束が振り払われるや、動揺に満ちたどよめきがその場を支配する。
そうして、その名が高らかに宣言された。
「大公アリネーゼ!」
まさかそんな……。
え?
一位……じゃなくて、まだ二位だよね?
ちょっと待って。ってことは、一位は……。
一旦、どよめきが落ち着くと、あたりは息をのんだような静けさに包まれた。
今までの受賞者は、歓声に応えて手を挙げるなり悲しむなりはしながらも、聴衆に向けての挨拶や咆哮があった。
観衆も受賞者の気分などおかまいなしに、野太い声や黄色い声をあげていたし、全体的に明るい雰囲気に包まれていたのだ。
それなのに今、こうしてこの場を支配する空気の、凍りついたような冷え冷えとした静けさはどうだ。
っていうか、まず隣が怖いんだけど。
なにこの殺気みたいなの。
横を見る勇気が出ないんだけど。
なんで黙ってるの? 手も振らず一言も話さず、なぜ隣の人は彫像のように黙って立っているのですか?
「この結果を――」
地の底から響くような低い声が、その犀の口から漏れ出した。まるで冷気と共に放たれたように。
「真摯に受け入れよう」
ちょ……えっ、なんで?
なんで俺の肩に手を置いたの、アリネーゼ!
ちょ……! 蹄がっ蹄がっ!
「身内の栄誉に、さぞや浮かれているのでしょうね」
なにその呪いの言葉みたいな囁き!
「ばかな……とんでもない、俺は別に――」
否定したのに、なぜか肩を掴む蹄に力が込められた。
「さあ、では続けよう」
サーリスヴォルフが手を叩いて空気を震わせる。
その瞬間、アリネーゼの蹄から俺の肩は解放され、それと同時に重々しさも振り払われたように感じて、俺はホッと息をついた。
空気を呼んでくれたサーリスヴォルフには、心の中でそっと感謝しよう。
デヴィル族の女王は肩をそびやかせ、堂々と後ろに下がり、受賞者の列にその身を置いた。
彼らは今、魔王様の王座を挟んで男女ごとに左右に別れ、その登場した順から外側になるよう並んでいる。今はデヴィル族二位に選ばれた男性が、魔王様の正面向かって左手、もっとも近くに立っている。当然右手には、二位のアリネーゼが怒りを露わにその身を置いているのだ。
だが見ろ。
魔王様は平常心だ。さすがじゃないか。
もっとも結果はとっくに聞いていたはずだから、すでに心づもりをしてあったのだろう。
だが俺もこれは知りたかった――これだけは、先に知らせていて欲しかった。それならもっと、俺の立ち位置について意見を出せたのに!
そうすれば少なくとも、肩を掴まれ耳元で囁かれるような位置からは遠ざかれたはずだ!
そうさ。遠ざかってみせたとも。大祭主の権限を、最大限に活用してな!
俺はその考えに夢中になりすぎて、意識がそれてしまっていた。だから隣に誰かが立ったことを、その者が黒装束をはぎ取るまで、全く気づかなかったのだ。
その目に痛い派手な髪色が、脳裏を無理矢理かすめて俺の意識を覚醒させるまで。
途端に耳をつんざく黄色い声。
「ぼうっとしすぎだろ、親友」
見ればデーモン族もデヴィル族も関係なく、女性たちが飛び上がっている。
黒装束はとっくに細切れになり、失神した者まで現れるありさまだ。
「ベイルフォウス……」
もう一位の発表か。俺、そんなにボウッとしていたっけ。アリネーゼに囁かれたくらいで?
……いや、違う。これがデーモン族の一位の発表だとしたら、先にアレスディアが出てきているはずだ。さすがにそれに気づかないはずはない。
隣では手を振るだけでは飽き足らず、あちこちに投げキスをして――待て、今怖気が走った――秋波を送りまくっている男の姿。
今日も相変わらず、足首まで届きそうな真っ赤な長いコートを羽織っている。だが、その胸元にはどこかで見たような、キラリと光る翡翠のブローチが。
間違いない。どう見ても、やっぱりベイルフォウスだ。
魔王様に並ぶ二位の列を振り返ってみたって、デヴィル族の二位の隣にデーモン族の二位の姿はない。
ということは?
「お前が二位!? 嘘だろ、だったら一位は誰だっていうんだ」
「順位を聞いてないのか」
「ああ、聞いていない」
「へえ」
ベイルフォウスは流し目のついでのように、俺を一瞥した。
「ならどうせ次だ。愉しみに待ってろよ」
「知ってるのか、お前……」
「当然だろ」
そりゃそうか。中で一位とは顔を合わせているはずだもんな。
……いや、待てよ。
ベイルフォウス以上の美男子なんて存在するか?
もしや世界中をくまなく探せば、どこかには存在するのかもしれない。だが、少なくとも俺は聞いたことがない。そんな無名の者が、この場で選ばれるだろうか?
となると――。
よく考えてみろ、俺。
これは、千年に一度行われている美男美女コンテストだ。その時期は特別に早められたものの、主行事として今回限りで企画された催しではないのだ。
だが、同時にあくまでこれは、〈魔王ルデルフォウス大祝祭〉の主行事の一つでもある。
と、すればつまり――
俺は背後を振り返る。
その主役に花を持たそうと考える者が多数いたとしても、当然ではないか!
ベイルフォウスが平然としているのも、相手が兄だと察しているからなのかもしれない。
なるほどな。
そうこう考えている間に、デーモン族の女性の二位が発表された。
彼女もパレードに参加している女性で……ああ、ちょっと待て。なんか見覚えがある……見覚えがあるぞ。
やばい……いつだ?
いや、いつでもいい。そりゃあ俺はパレードの担当者だから? 見覚えがあってもおかしくはないのだ。そうだとも。
その女性がやたらとお色気むんむんの視線を送ってきたことや、後ろに下がるときに俺の耳元に息を吹きかけてぞっとさせていったことにも、大した意味はないのだ――きっと。
「デヴィル族男性、第一位」
いよいよ最後の者たちの名が、読み上げられる。
黒装束をまとったその男は、見るからに筋骨隆々だった。その外見だけを見て、もしやプートかとも思ったが、違った。黒装束を脱いだその男は、灰色象の長い鼻を振り上げ雄叫びをあげたのだ。
「ぱおーーーーん!」
そうして象の両手を挙げ、豹の両手で甲虫のテカテカ光る胸を叩き、馬の後ろ足を踏みならして俺たちの間から前進しつつ、犬の尾を誇らしげに振り、鮫の牙の奥から唾をまき散らした。
そのべとついた液体を、デヴィル族の女性は競うようにその身に浴び、肌にこすりつける。
俺、どん引き。
「彼はね、前回マストヴォーゼに敗北して一位になれなかった男さ。地位は低いが、閨の技術で女性から重宝されている」
ああ、そうですか……別にいらない知識だったな。
感動でちゃんとした言葉にならないのか、男はぱおんぱおん、と吠えるばかりで、唾を噴水のようにまき散らせている。そうして一位の定位置である、サーリスヴォルフの右横に移動した。
「デヴィル族女性、第一位」
その呼び声があがると、一度は収まっていたアリネーゼの殺気が、再び背後から立ちのぼるのを感じた。
蔦の奥からほっそりとした影が進み出る。
そのしずしずとした歩き方を見るまでもなく――
「アレスディア!」
侍女の名が読み上げられるや、滑らかな手つきで彼女は黒装束を脱ぎ捨てる。
その瞬間、よく見知った蛇の顔が、白日の下に現れた。
ああ。いつも艶々とした彼女の顔面が、日の光を受けて今日はいっそう輝いてみえるではないか。
「アレスディアどのおおおおおおお!」
声を揃えたきれいな大合唱が聞こえる。
たぶんあれだ……〈アレスディア様の美貌を堪能するために可能な限り尽力する会〉の連中だろう。
いいや、それだけじゃない……魔王城の奥から……咆哮が……獅子の咆哮のようなものが聞こえるのは……うん、たぶん空耳だな。そういうことにしておこう。
マーミルもこの場面を見たかったことだろうって? 心配はいらない。現地に来ずとも、この映像は全大公城に中継されている。主行事の中でもこれほどの扱いを受けるのは、このコンテストだけのことだ。
だから妹もきっと今頃は、ネネネセと共にキャアキャア言いながら観覧していることだろう。
……そうであると思いたい。さすがに、アレスディアに対する関心だけは、近頃の別の相手に対する関心よりも上だと……そう信じたい。信じていいはずだ。
アレスディアは暫く野太い歓声に応えると、珍しくも謙虚な言葉で感謝の言葉を述べ、それから優雅な足取りでサーリスヴォルフと象男の間に身を置いたのだった。
前話へ | 後話へ |
目次に戻る 小説一覧に戻る |