魔族大公の平穏な日常
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【第九章 大公位争奪戦編】
二日目の二五戦、つまりベイルフォウスとサーリスヴォルフの戦いは、俺にとっては意外な展開を見せた。
プートとアリネーゼの時ほどではないものの、二人の実力差も明らかである。
当然、ベイルフォウスのことだから、開始早々派手にしかけると思っていたのだ。
だが、違った。
「俺がお前の特殊魔術を、警戒しないと思うなよ?」
「そう言わないで、お手柔らかに頼むよ」
二人の会話が聞けたのは、俺がベイルフォウスの代わりに審判を務めていたからだろう。
「第二日、第一戦目、ベイルフォウス対サーリスヴォルフ」
俺が名を読み上げると、ベイルフォウスは躊躇もみせず剣を抜いてサーリスヴォルフに襲いかかった。
そう、剣だ。
あれほど魔槍ヴェストリプスに執着していたというのに、使用するのは剣なのだ。そもそも俺は未だ、ベイルフォウスが槍を使うところを見たことがない。
それはともかくとして、攻撃を避けるサーリスヴォルフには、当初は余裕のようなものさえ感じられた。彼は腕につけた籠手で刃を受け止め、武具で応戦する代わりに魔術を披露する。近距離で展開される術式に焦ることもなく、ベイルフォウスは真っ向から相反する魔術をぶつけて押し勝とうとした。
ところがそれを見越したように、サーリスヴォルフが更に術式を追加、次いでそれを看破したベイルフォウスがまた別の魔術をぶつけて――というように、瞬く間に術式が展開されていく。
もっとも二人とも百式は使用せず、範囲も威力も限られたような魔術ばかりをくり出している。おかげで戦いは、小競り合いのような様相を呈していた。
それにもどかしさを感じるのはお互いが全力を出しきらず、相手の力をはかるように小手先の魔術を使用しているのがわかるからだろう。
サーリスヴォルフはともかく、こんな戦い方はベイルフォウスらしくない。それともこれが、本来好むやり方なのか?
もっとも不満があるのは俺だけなのかもしれない。
魔王様やほかの大公は、無表情を気取っているのでわからないが、観衆は昨日よりはずっと沸いている。
小技ばかりでも数が多いため、派手さは演出されているからだろう。
二人の実力差を把握できないとなると、競っているようにさえ見えるのかもしれなかった。
五十も術式を数えた頃、ようやく二人は動きを止めて対峙する。
サーリスヴォルフはいつものふてぶてしい笑みを隠そうとしなかったが、ベイルフォウスは逆にひどく冷静な表情を浮かべて立っていた。
「やってみるか」
ベイルフォウスはサーリスヴォルフに向かいながら、小さな術式を剣の先に展開する。一陣ずつ現れては瞬時に剣にまとわりつき、を繰り返す、術式だ。
その展開があまりに速すぎて、何が起こっているのか理解できない者が大半だろう。だがそれは間違いなく、百式魔術だった。一つ一つどれもが相当、強力なものに違いない。それが剣に……まとわりついている?
いや、まるで吸いついているようだ。
俺も始めてみる魔術だった。
サーリスヴォルフは後ろに飛びすさり、今までと同様、籠手をかざして剣を受け止めようとする。その直前に防御の術式を張ったのは、さすが大公の勘というべきか。
だが術式をまとったベイルフォウスの剣は、それでは防ぎきれなかった。確固として展開されていた防御魔術を粉砕し、籠手を貫き、あっという間にサーリスヴォルフの腕を押し切ったのだ。
束の間呆然としたサーリスヴォルフ。その隙を、大公位第二位にある男が見逃すはずはない。ベイルフォウスは頭上に青光りする百式を展開した。
俺が昨日、発動させた魔術と同種のものだ。
あれはそもそもが、ベイルフォウスが人間の町を標的にして構築したものだった。だが今回の魔術はそれより範囲は狭く、威力は俺のものを上回るようだった。
サーリスヴォルフの全身からわずかの空間を残し、そこから半径五メートルに及ぶまでが、地表から一mほどの氷の山を築いて凍り付いたのである。
大地をめがけて落下しかけたサーリスヴォルフの腕が、空中で凍り付いてしまうほどのわずかな間。その一瞬で、ベイルフォウスは発動までを終えたのだった。
それだけではない。それとほとんど同時に、手に持った剣はサーリスヴォルフの首筋に当てられている。俺のように紙一重で止めるつもりもなかったらしく、切っ先はサーリスヴォルフの首の薄皮一枚を裂き、血を滴らせていた。
「俺の勝ちだ。文句はあるまい?」
氷山からサーリスヴォルフを見下ろし勝ち誇った表情で。
「もちろん、異存はないよ」
命すら危うい状況だというのに、サーリスヴォルフはここでも薄ら笑いを浮かべていた。
そこはさすがというべきか。
「勝者、ベイルフォウス」
俺は声高に宣言した。
ベイルフォウスが剣をひくと同時に、待機していた医療班が飛び出してくる。
昨日のアリネーゼといい、二戦続けて片方の大公は重傷を負ってしまったわけだ。
俺が思っていたより、大公位争奪戦というのは血みどろの戦いであるらしい。もっともお互いの地位を考えれば、それで当然ともいえるが。
どんな感想を抱いたのかは知らないが、魔王様やほかの大公は、今回も平然とした表情でこの結果を迎え、格別な反応はみせずに席を立っていった。
「ジャーイル」
ベイルフォウスも敗者のことなど目に入らぬといいたげに、俺のところへ歩み寄ってくる。そうして手に持った剣を、こちらへ投げてよこした。
サーリスヴォルフの血で塗れたそれは、やはりその剣身に魔術の痕跡をまとわせている。
俺はその剣を、ベイルフォウスが築いた氷山にふるう。
魔力を帯びた剣は、さっきサーリスヴォルフの魔術と腕をそうしたように、氷をも貫いた。次に術式を展開して剣を当ててみると、今度はまるで堅い盾にあたったかのように、その剣身が砕け散る。
さすがにレイブレイズのように術式そのものを消すことはできないが、相手の魔術の強弱によって、その現象を打ち消したり弾いたりすることができる、ということのようだ。
「まるで魔剣だな」
「ああ、その通りだ。いってみれば即席の魔剣だな。だが、元はただの剣なんだから、今回の規定にはひっかからんだろう?」
大公位争奪戦において魔剣や魔槍なんかの魔武具が禁止されたのは、これが大祭行事の一つであり、自身以外の力を頼って序列をあがることのないよう、考慮されたからだ。
だから今回のベイルフォウスのように、ただの剣を自分の魔術を駆使して魔剣と同様の効果を持たせた場合は、他の力を頼ったことにはならない。あくまで自分の能力内の効果しか発せられないのだから。
もっとも、本来の序列をかけた戦いには武器の制限などない。むしろその制約がある分、今回の争奪戦はほぼ魔力の強弱通りの結果にしかならないというわけで――ウィストベルを除いては――その点では魔力の劣るものにとっては、ある意味不利な戦いの場であるといえた。
「それにしても、器用なことをする……」
「なに、お前の応用だ」
俺の?
「転移術式。あれを応用した」
なるほど。確かに床に魔術を定着できるのだから、剣や他の媒体で試してみてもいいわけか。
結局ベイルフォウスに説明する時間はなかったが、解説書はすでに公文書館の書物に追加されているはずだから、それを見たのだろう。
とはいえすぐさま実戦に生かしてくるところが、ベイルフォウスらしいといえばらしい。
「だが見ての通り、耐久性はない。お前との戦いには、使えないな」
さらりと言うが、それを信じるほど俺もバカじゃない。
ベイルフォウスのことだ。八日後にはさらに改良を加えたものを出してくるかもしれないじゃないか。
だいたい、この戦いで氷を使ったのだって、俺にあてつけてきたのに違いない。
「そういやお前、サーリスヴォルフに特殊魔術がどうとかいっていたが」
「ああ」
「結局、それは使っていたのか?」
俺の目は、個人の魔力は判別するが、特殊魔術の有無や効果までは見切れない。
戦いを視ていても、ベイルフォウスが過剰にサーリスヴォルフを警戒しているようにしか思えなかったし、その運びをみても結局その効果があったのかどうか、判別すらできなかった。
「あいつの能力に、気づいてないのか?」
「……ああ」
あれ? そんなわかりやすい能力なの?
「なら、内緒だ。他人の特殊魔術を勝手に明かすなんてのは、いい趣味じゃないからな」
……まあ、そうだけども。
「注意深くしてりゃ、そのうちわかるだろうよ」
なんだかんだで、ベイルフォウスは結構肝心なところは何も教えてくれないよな。
「ところで、今日はマーミルは来ていないようだが」
「ああ、俺の戦いじゃないからな」
「昨日、お前と同席していた小僧は誰だ? あいつは今日も来ているようだが、親戚か何かか?」
ケルヴィスのことだろうが、目ざといな。顔を知っている俺でも、この大観衆の中では見つけられなかったというのに。
……まあ、別に探してもないけど。
「いや。あれは将来有望な、同好の士だよ」
「じゃあ血のつながりもないのに家族席にいたのか。何の同好だかしらないが、それほど気に入ったってのか」
女装してた姿もちゃんとわかるのか。もっとも、ベイルフォウスのことだ。女性じゃないと反応しないから、とかいう理由で判別できるとしても、驚かないが。
「まあ、あまりそれ以上はつっこまないでくれ……デリケートな問題なんだ」
「ほう?」
ベイルフォウスの瞳がキラリと光った気がした。
「ますます聞き捨てならん。飯でもゆっくり食いながら、じっくり聞かせてもらおうじゃないか」
「お前、家族席にはいかなくていいのか?」
サーリスヴォルフの家族席には彼の愛人たちだろう者の姿が、ベイルフォウスの家族席にはベイルフォウスを柔和にした感じの薄着のものすごい美女と、魔王様をやや軽薄にした感じの――失礼――男性が座っていたのだ。
どう見てもベイルフォウスの両親だろう。ということはつまり、魔王様のご両親でもあるということだから、挨拶に行った方がいいのだろうか?
「かまわん。どうせもういない。そこらの物陰にしけ込んでるだろうよ」
確かに。すでに二人の姿はなかった。
それで結局俺はベイルフォウスと、その後の昼食を共にすることになった。
親友はケルヴィスのことをつっこんで尋ねてきたが、俺ははっきりとした経緯は説明しなかった。
そうだとも。彼はマーミルの初恋の相手で、妹に強く請われて断りきれなかったとか、まあ実際にはちょっと違うが、とにかく間違っても口にはしたくなかったからだ。
だが誘導尋問を受けたような形になり、結局ベイルフォウスはたぶん、おそらく……事実に近い状況を、俺の態度から把握したようだった。
そんな風に休憩時間を過ごし、午後の観戦に戻る。
二日目にして俺は初めて、大公席に着いた。
階段状の頂点に魔王様の席が、その下に七大大公の席が並んでいる大層な空間だ。大公席は全員の分、きっちり七席用意されてはいるが、そこが埋まることはない。
常に二人は戦い、一人はその審判をつとめて前地の緩衝地帯にいるからだ。
その七席の席順は、珍しく決まっていない。
俺はまだちょっぴり魔王様の雰囲気が怖かったので、一番遠い端の席につくことにしておいた。
ところが。
「ジャーイル」
すぐ下の席を示された。
魔王様直々に、だ。
どうして俺に、断ることができただろう。
「いや、でも……」
とはいえ実際には抵抗しかけてみせたが、眉がぴくりとひきつったので仕方ない。おとなしくそこに腰掛けることにした。
だが特に何も話しかけてはこられないので、ともかく視線を争奪戦に移そう。もうとっくに、戦いは始まっているのだから。
二戦目は、ウィストベル対デイセントローズ。三七戦だ。
今回も昨日と同じく、ウィストベルの魔力は十分の一に減ったままである。だがこれはもちろん、俺に対したのと同じく、デイセントローズにも勝たせてやるつもりが彼女にあるからではない。ラマが相手では、減力した状態でもウィストベルの魔力の方が勝っているのだから。
俺が考えるに、いつものそのままでだと圧倒的すぎて、プートとアリネーゼどころではすまない結果に陥ることを、一応は危惧してのことだと思う。
ところでアリネーゼといえば、昨日のプートとの対戦後、まだ姿をみせていない。
無理もない。全身大火傷を負っていたからな……。今日もまだ治療中なのかもしれない。明日は俺との対戦なのだが、それまでに回復は間に合うのだろうか?
間に合わなければ、棄権と言うことになるのか?
その場合、序列の判断はどうなるんだろう。
さっきベイルフォウスに腕を落とされたばかりのサーリスヴォルフも、まだ治療中なのだろう。姿はなかった。
故に大公として席に着いているのはプートと俺だけだったが、獅子は俺が座ろうとしたのとは反対側の、端席に腰掛けている。
ちなみに家族席のことについても、一応言及しておこう。
ウィストベルの家族席は、昨日同様空席だ。それもそうだろう。彼女の家族はもうないようだし、さすがに恋人がいたとしても、魔王様に遠慮するだろう。
だがデイセントローズの方は……もちろん誰の姿があるか、察していただけるであろう。
狭い椅子の上でしきりに身悶え、目を血走らせたやせ細った雌ラマの姿。その鼻息の荒さは、側にいなくとも伝わってくる。
ちょっと待て。
ちょっと、待って。
あれなに?
椅子の下のあれ……キラキラ光るあれ……。
あの水たまり、なに?
まさか、興奮のあまりしっき……。
……。
…………。
よし、見なかったことにしよう。
ともかく、眼下に視線をおとせば、片方の圧巻の感が強い戦いが繰り広げられている。もちろん、ウィストベルの圧倒的有利な展開だ。
昨日俺にしかけてきたような魔術を使えば、瞬時に決着はついただろうに、いたぶるのを楽しんでいるのかもしれない。
……まさか、昨日の俺に対するうっぷんを、デイセントローズで晴らしているとか?
「おい、どうだ」
唐突に身体が揺れた。魔王様が足癖悪く、椅子の背を蹴ってきたのだ。
「どうって、何がです?」
「増えているか?」
……ああ、なるほど。
っていうか、魔王様! 俺は一応、自分の特殊魔術は内緒にしているんですが!
魔王様にだって、言ったことないはずですが!
なんで俺にデイセントローズの魔力の増減をしれっと聞いてくるんですか?
だが魔王様を相手にとぼけても仕方ない。俺は素直に答えることにした。
「やや増です」
だがほんの少しだ。例えるなら、わずか二十マーミルほどなのだから。
ウィストベルは余裕の体で術式を展開しており、じりじりとデイセントローズを追いつめていく。
ラマの全身をまとう布は切り刻まれ、身体のいたるところに裂傷が見られたが、致命傷はまだ負っていない。
ちなみに、その衣服が裂かれるたびに女性の黄色い声があがるところは、さすが魔族というべきか。
戦いはこのまま、デイセントローズの疲労と魔力の消耗で終わるかと思われた。
そのときだ。
ウィストベルが珍しく魔術ではなく腰に差した細身の剣を抜いて、デイセントローズの足をめがけて切りつけたと思った、その瞬間。
「ぎゃあああああああ」
大地を揺るがす絶叫が、大気を震わせたのである。
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