魔族大公の平穏な日常
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【第九章 大公位争奪戦編】
砂塵の山と化した魔王城の跡地で、目を血走らせ腐肉をまき散らせ、のたうち回るのはデイセントローズである。
その足の肉はドロリと爛れ、臭気を漂わせる煙が立ち昇っている。その箇所を押さえる手までが、伝染したように朽ちていった。
さらには全身の穴という穴から、ドロリとした汁が噴き出している。
「ああああああ!」
「デイセントローズ!」
取り乱したペリーシャが家族席から飛び出したが、戦いの会場にたどり着く前にベイルフォウスにとどめられた。
「これは……」
間違いない。デイセントローズはその身に呪詛を受けたのだ。ウィストベルの手によって。
察するところ、剣に何かの呪詛が刻まれていたか、刃先に例の軟膏でも塗られていたか……。
どういう方法をとったにせよ、ウィストベルの考えは明らかだ。彼女はこの場で検証することにしたわけだ、デイセントローズの死して甦る能力を。
確かに、禁止されているのは魔道具だけだ。呪詛などそもそも、誰の意識上にものぼるまい。
さらにいうと、デイセントローズ自身がその能力の解説をするわけはないし、魔を帯びた道具や武具と違い、魔族にはそれを感じることもできなければ判別する道具も一般的ではない。だからウィストベルはラマが苦しんでいる原因を、観衆が怪しみもしないと判断したのだろう。
とはいえなんとも大胆すぎる仕業ではないか。
巧妙なのはウィストベルは剣での攻撃と同時に、ちゃんと魔術もしかけていたことだ。
観戦者たちはデイセントローズの苦痛は、ウィストベルの魔術による負傷のせいだと信じていることだろう。
見るがいい。
デイセントローズを見下ろすウィストベルの、あの表情。その赤金の瞳には、一片の感情も表れてはいない。
無表情さがその美貌と相まって、まるで完璧な彫像のようにも見えるではないか。
魔王様はゾクゾクするかもしれないが、俺も別の意味でゾクゾクしている。
だが注目すべきはデイセントローズだ。
なにはともあれ、せっかくの機会が訪れたのだ。俺も奴の状態の推移を、見逃すわけにはいかない。
ラマの身体に表れた腐敗は、徐々にその範囲を広げていく。
足から手へ、手から腹へ、肩へ、胸へ……そうして感染したような腐乱は、あっという間にその全身を覆ってしまった。
どろどろに溶けていく肉体、眼球や内蔵までもが混じり合い、あっという間に骨だけが残る。
代わりに漂うのは、ひどい腐臭だ。
「デイセントローズ! 私の、私たちの息子がっ!」
気が狂ったように叫んでいるのは、ペリーシャ一人だ。
「勝者――」
「待って……待ってください、まだ私の息子は戦える……戦えるんです!」
ベイルフォウスの勝利宣言を、ペリーシャが遮る。
「無理だ、あきらめろ」
ベイルフォウスはペリーシャを家族席に退がらせ、デイセントローズの腐臭体とウィストベルの間に歩を進めた。
「勝者、ウィストベル!」
その宣言を聞いて、初めてウィストベルは視線をデイセントローズからベイルフォウスに移す。
「私の勝利に異存はない。が、撤収は少し待ってもらおうか」
「なぜだ。何を待つ必要がある?」
ウィストベルの言葉を聞いて、ベイルフォウスは彼女に疑念の瞳を向けた。
だがウィストベルは返答を与えることもなく、再びデイセントローズに視線を戻す。
「大公が亡くなった!」
「ウィストベル閣下がデイセントローズ閣下を……」
「え? ってことは、どうなるの? 大公が一人不在になるってことでしょ」
「それはもちろん、挑戦者が現れれば……」
「俺にもチャンスが!」
「いや、その場合は魔王様が新たな大公を任命なさるんだろう」
「だがもちろん、大公へ挑戦して勝つ者がいれば……」
哀れだな、デイセントローズ。
その生存を心配されるどころか、死んだものと決めつけた観衆の関心は、次に座すべき大公の話題に移っている。薄情なものだ。
それにしても、身体の構築には時間がかかるようだ。
てっきりすぐにでも甦るのかと思ったのに、いまだ腐肉は散らばったままで、骨にまとわりつこうとはしない。
さすがに、まさか本当に死んでしまったのだろうか、と疑いはじめた時だった。
腐った色で爛れ落ちたドロドロの肉片が、発酵しだしたようにグツグツと泡立ち始めたのだ。
ウィストベルの眉根が寄ったのは、強くなった腐臭に耐えかねてのことかもしれなかった。
「なに、あれ!?」
「デイセントローズ閣下の“肉”が……」
内心辟易としたのは、俺だけではないはずだ。
泡沫がはじけるや、そこからキラキラと煌めく粉が次々と飛び出したのである。粉は蠢く肉片に落ちて吸収され、その色を変じていく。
綺麗なものと醜いものが混じって、なんと表現すればいいのかよくわからない異様で奇怪な様相を呈している。とりあえず、目にも神経にも優しいものではないな。
ざわめく観衆の見守る中、それはどす黒い腐った色から、健康的な肌色へ、さらに火を噴くような赤色へと変じていった。そうして徐々に固さと弾力を取り戻しつつ盛り上がった肉片は、しっかりと結びつきあって骨を覆い始める。
「がああああああ!」
肉体が戻るとともに、悲鳴もが甦る。
再生の時には苦痛が伴う、といっていたのはどうやら真実らしい。響きわたる苦痛の呻きは、絶望と恐怖に彩られていた。
ペリーシャが息子はまだ戦えると言っていたが、ウィストベルが例え慈悲深くその復活を待ってやっていたとしても、この状態のデイセントローズに戦闘が可能だとはとても思えない。
肌色が収まるとともに、声量も収まっていく。絶叫のようだった声は、徐々にただの荒い息へと変じていった。
ついにデイセントローズの肉体は、俺たちの見守る中で完全にその形を再生させた。
もちろんそれだけではない。肝心の纏う魔力――その増量を伴って。
やはり、復活に伴って魔力が再構築され、増強されるという俺の予想は正しかったようだ。
具体的に言うと、三マーミルの増加が認められた。
そこまで見てとると、ようやくウィストベルは笑みを浮かべる。しごく残虐で彩られた笑みを。
「十分じゃ」
彼女はきびすを返し、デイセントローズに背を向けた。おそらく、相手が立ちあがる前にその場を去ってしまいたかったのだろう。
だって、裸だもの! 今のデイセントローズ、真っ裸だからね!!
そんなもの俺だって見たくないわ!
「無様だな、デイセントローズ。観衆の前で己の特殊魔術を明らかにされるとは」
ベイルフォウスが吐き捨てるように言った。
確かに死んだところまではウィストベルの力と勘違いされたとしても、甦ったその能力については、それが奴特有の特殊魔術であると気づかない者はほとんどいないだろう。
たいていの者はそれを不死と捉えるのではないだろうか。そしてそれは、脅威に映るはずだ。
「では、聞こう。今回不戦の三名に対しての挑戦を目論む者はいるか?」
ベイルフォウスの容赦ない呼びかけに、声をあげるものはいない。
俺に挑戦すると宣言していたアリネーゼの副司令官も、主に付き添っているのか今日は名乗り出てこなかった。
ちなみに苦痛に耐えるデイセントローズはまだその場に残ったままだ。勝手に再生する身体を前に、医療班もかけつけるかどうか悩んでいるようだった。
「誰もいないなら、二日目の大公位争奪戦を終える。明日の一戦目はジャーイルとアリネーゼ。二戦目はプートとデイセントローズだ。もっともどちらも一方は――」
ベイルフォウスはデイセントローズを冷たい目で見下ろす。
「戦いの場に出てこられるのだかどうだか、明日にならんとわからんがな」
つまりデイセントローズだけに限らず、アリネーゼも昨日から回復していないということか?
俺がウィストベルの副司令官を同じように炭化したときも、その回復には時間を要するだろうと言っていた。そこまでの状態では一日二日で全快するものではないのかもしれない。
それでも、万一俺がそんな状態になった場合には、うちの医療班ならなんとかしてくれそうな気はする。
とにかく、大公位争奪戦の二日目は、こうして幕を閉じたのだった。
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