魔族大公の平穏な日常
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【第九章 大公位争奪戦編】
三日目の第一戦。アリネーゼは俺との戦いの場に、姿を現した。
少なくとも見た目の負傷は完全に治っていたが、それでも全身から漂う倦怠感は隠せるものではない。
観戦者たちも多少はそれを感じるのだろう。それでも逆に色気が増している、と声をあげる男性諸君には感心するばかりだ。
「わかっているのでしょうね。この間の、こと」
例の朝チュン事件のことを指すのだとは気づいたが、負い目があるからといって手を抜く気がないのは、決意の通りだ。だから俺はこう答えておいた。
「わかってる。長引かせるつもりはない」
ウィストベルの時と同様、さっさと、そしてできればなるべく相手の軽傷で終わらせるつもりだ。その方が、アリネーゼも早く休めていいだろう。
ベイルフォウスの宣言の後、俺は瞬時にしかけた。
初日に灰燼と化した旧魔王城の残骸を、固めて鎖に変じ、アリネーゼの身体の自由を奪ったのである。
アリネーゼは魔術を駆使して拘束を解こうとしたが、その実力では俺の魔術を打ち破れるだけの効果を発現することはできない。
やがて自分の解放は諦めたように、俺への攻撃に転じようと術式を展開する。だがそれも、すべて防御魔術で防いでみせた。
その間にも、アリネーゼを縛る鎖の数は増えていく。そうしてがんじがらめにした上で、俺は剣を抜いた。昨日のベイルフォウスの技――普通の剣に百式を定着させて魔剣もどきに変化させる、例の魔術を展開させたのだ。
もちろん、今日はケルヴィスの剣は使っていない。
ベイルフォウスが耐久性がないといっていたし、俺も試してみたところ、何本もの剣を無駄にしてしまったからだ。そうやって使えば砕けてしまうとわかっているものを、さすがに借りた剣で実行しようとは思わない。
――ああ、ちなみにあの少年は、今日は女装して家族席に混ざったりもしていない。ちゃんと一般観戦席に座っているようだった。
もし要望があったとしても断るつもりだったが、マーミルも最初のような無茶をいってこなかったのだ。
我が妹は、一日目の戦いを目の前で、それから二日目を中継で見て、観戦についての考えを改めたようだった。自分の思っていたよりずっと、大公位争奪戦が熾烈であることに気がついたのだろう。
……まあ、その点は俺も他人のことはいえない。
とにかく今日も心配することしきりだったので、その不安を軽くしてやるだけでも苦労した。今はフェオレスに守られながら、ネネネセたちと手を握りあって戦いを見守っている。
ちなみに毎回護衛はヤティーンで行こうと思っていたが、気が変わった。俺の戦いは六戦。だからパレードに参加中のウォクナンをのぞいた三名の副司令官に、二度ずつ役目を受け持ってもらうことにしたのである。
ところでその妹たちの状態で、気になることが一つだけある。
なぜならその天幕は……昨日あの、ペリーシャが使用していた方だったのだ!
いや、大丈夫だろう。掃除は行き届いているはず! っていうか、ちゃんと椅子ごと変えられているはず!
でなければ絶対許せない。
とにかく俺は即席魔剣を、犀の角めがけて振り下ろした。
昨日腕を落とされたサーリスヴォルフだって、今日はそれを元通りに取り付けて、大公席でプートと歓談している。たかが角の一本くらい、どうってことはないだろう。
太くそそり立った角は、刃をいれるとあっさり分断できた。
だが――
「きゃあああああ!」
アリネーゼの叫びが、地上に鳴り轟く。
白状しよう。俺が思っていた以上の反応だったため、ちょっとビクッとなってしまったことを。
だって、そうだろう? まさかそんな、間近で鼓膜を破るような叫声が発せられるとは、俺でなくとも思うまい。
犀の角なんて毛みたいなもんだろ!?
血も通ってなければ、神経も走っていないと聞く。当然痛みだってないはずだ。
でも……あれ?
ちょっと待って……?
血が……血が、でてる……?
まさか魔族だけに、動物を基準に考えてはいけないって……そういうことだったりする!?
それとも見かけは犀の角なのに、構造は牛の角同様だったりとか……そんなことがあったり……?
「うがああああ!」
その叫びには、こめかみを少し動かしただけの反応で抑えられた。
アリネーゼは怒り心頭なのだろう。つい今までの魔術とは比べものにならない威力の攻撃を発揮する。
常には聞いたことのない野太い雄叫びをあげ、口元から唾液をまき散らせながら、自分の身が傷つくのもいとわず、鎖を定点攻撃して弱らせたのだ。
「ぬがあああ!」
ついに彼女は全身に力をみなぎらせ、鎖をひきちぎった。
そのままの勢いでこちらに向かってくるかと警戒したが、予想と反して彼女は無惨に地上に転がった自分の角に手を伸ばす。
「私の角、角がああああ!!!」
絶望に彩られた声が漏れる。
大事そうに角を持った両手は、ぶるぶると震えていた。
だが悪いな、アリネーゼ。
その動向を待てば、狂ったような怒りが向けられるだけだと察した俺は、すかさず彼女の首筋に一撃を食らわせる。
そうして意識を手放して、膝から崩れ落ちるその身を受け止めたのだった。
……うわぁ、手がねちょっとする……気持ち悪い。
「勝者、ジャーイル」
ベイルフォウスの冷静な声に続いて、観衆のざわめきが耳に届く。
「ひでえ……角をばっさりだ」
「ああ、アリネーゼ閣下の立派な角が……」
「いくらなんでも、角を切るだなんて……容赦がなさすぎる……」
……あれ?
あれ?
いや、ちょっと待って。
あれ?
プートはアリネーゼに全身大火傷を負わせたんだぞ?
昨日のサーリスヴォルフはベイルフォウスに腕を落とされたんだぞ?
それよりはさすがに軽い……よな?
俺は動揺を隠しつつ、アリネーゼの身をそっと大地に横たえた。
すかさず駆け寄ってきた医療班に後をまかせ、妹の元に向かう。
「お兄さま、私はわかっていますわ。大公位争奪戦ですもの。御自分の身を守るためには、容赦なんてしていられないってこと!」
あれ?
何この反応。
何この、私だけは味方だと言わんばかりの反応。
俺の対応って、プートよりは優しいよね? ベイルフォウスより手ぬるいよね? そうだよね?
失神させるのだって、ホントなら顎からいってもよかったのに、後ろからにしたんだよ?
なのになんなの、その反応。
あと、どうして大公席のウィストベルはあんな嗜虐心あふれる笑みを浮かべているのだろう。
「そんな容赦のないところも素敵ですわ、ジャーイル閣下!」
「ゾクゾクしちゃう! 私のこともいたぶって!」
え? なにその歓声。
俺が思い描いていたのと違う……。
「フェオレス……」
俺は頼りになる副司令官に視線をやった。フェオレスなら、フェオレスならきっと……。
だが、彼は心得たように頷くと、静かにこう言ったのだ。
「もとより我々臣下は……少なくとも私は、閣下のなさりようはすべて黙して受け入れる決意でおります」
どうにも腑に落ちない慰めのような言葉が返ってきたのだった。
まあいい。
気を取り直して、午後からは一七戦だ。
こちらもちゃんと、デイセントローズは姿を現した。
それどころか奴は午前中も大公席にいた。昨日の醜態を一つも気にしていないような、いつもの慇懃無礼な態度を崩そうともしないで……。
しかもその魔力は、昨日の戦いの後よりさらに増えている。
「つまりあの後また、あいつは死んで甦ったということか」
本人からは聞いていたが、実際の滅びと再生には俺の想像以上の苦痛が伴うようだった。あれを一日に何度も繰り返す気になるだなんて……。
デイセントローズのやつ、やっぱりマゾなのかな?
ちなみに、今は昨日に比べて七マーミル増えている。
増量には法則性があるのか、ないのか……それとも条件によって変わるのか。
それを解明するには、やはり経緯と増加の瞬間を何度か目にしないと無理だが、この先その機会はそうそうないだろう。今後はデイセントローズも、いっそう用心するはずだ。
「ジャーイル閣下?」
俺の呟きを聞きつけたのは、今日も一般観戦席で俺の隣に座るケルヴィスだ。
初日と同様、マーミルがいるからには俺が大公席にいかないと踏んだのだろう。またも少年は、座席を確保してくれていた。だから今日も俺は、妹とケルヴィスに挟まれている。
もしかして……大公位争奪戦の間はずっとこうなのだろうか。それはそれで、なんか嫌だ。
今日はシーナリーゼは不参加で、ネネネセはマーミルと一緒に残っている。つまり俺たち三人の後ろに、双子とフェオレスが並んで座っているのだ。
こうなると、もうフェオレスに任せて大公席に行ってもよかったんじゃないだろうか、と思ってしまう。そうしていたらデイセントローズの魔力について、ウィストベルと多少は意見を交換することもできたのでは……。
言っておくが、そんな風に思ったのは、周囲を占めるデヴィル族から向けられる視線がことのほか冷たく、いたたまれない気分になったから、という訳ではない。ああ、断じてな。
それはとにかく、その後の展開には特筆すべきことは何もなかった。
たかが七マーミル増えたからといって、何ほどのことはない。相手がプートであればよけいに、二人の実力差は誤差の範囲を出ない些細なものでしかない。
決着は、やはりあっさりとついた。
とはいえプートも二度も続けて一瞬で終わらせては、観衆に対するサービスが足りないとでも考えたのか、デイセントローズの攻撃をいくらかいなした上での反撃による勝利を演出していたが。
あと歓声は、野太い雄叫びのようなものが多かった、とだけ付け加えておこう。
敗北したデイセントローズは、今日も血を吐き大地に伏せたが、外見上の欠損は見受けられなかった。
後はベイルフォウスがラマの戦闘不能と判断して、プートの勝利を宣言し、それで終わりだ。
対ウィストベル戦の時と違い、デイセントローズの特殊魔術が披露される機会はなかったからか、息子が負けたとはいえペリーシャも昨日のようには取り乱さなかった。
もっとも……やはり足下の大地はキラキラ水で満たされていたし、目を血走らせ、涎を垂らし、鼻息荒く身悶えする様子は相変わらずだったが、つまりそれはこちらが見てしまったことを後悔する程度の平常運転だ。
続いて、大公位に挑戦する者がいないかの問いかけがなされたが、二日目までと同様、誰も名乗りでなかった。
さて、大公位争奪戦はこんな風に毎日開催されていたが、だからといって大祭行事がすべて終了している訳ではない。
相変わらずパレードは魔王城の領地を練り歩き、行く先々で注目を浴びていたし、舞踏会はあちこちの城で毎夜毎朝開催され、狂騒が世を満たしていた。
大公位争奪戦より大がかりな芝居を好むものも大勢いたし、俺の領地で開催されている独自の催しもすべて盛況だ。
ああ、武具展以外はどれもな……。
いや、違う。そんなことを問題にしたいのではない。そこはもう諦めている。
要は今まで通り、他の大祭行事も進行中である、ということを言いたいだけだ。
そうして大公位争奪戦を終えて領地に戻った俺は、その晩、独自行事の一つである絵画展のその会場で、一人の人物と会う約束をしていたのだった。
「お初にお目にかかります、ジャーイル大公閣下」
見事な裸婦――ただしデヴィル族なので、まったく興味がわかない――の絵の前で、男が固い敬礼をみせる。
もっさりとした裾の長い服を着ているので、顔がカワウソで手が猫科の肉食獣のものであるとしかわからないが、彼が絵を描いた本人であるのには間違いないだろう。
そう、今日はあの画聖ランヌスと、彼の絵の前で会う約束をしていたのだった。
「君が当代一と名高い、絵師ランヌスか」
「誉れ高き大公閣下より、そのように呼んでいただけるとは、恐れ多いことでございます」
「わざわざここまで呼びつけて悪かった。長旅で疲れただろう」
そうねぎらったのは彼が俺の領民ではなく、サーリスヴォルフ領に属した身であるからだ。
竜を出して迎えにやったが、ランヌスは無爵者なのでその背にはあまり乗り慣れていないに違いない。
「いえ、とんでもございません。大公閣下の御許であれば、どちらであろうとすぐさま駆けつけます。どうぞ、ごひいきに」
抜かりない言葉でアピールしてみせるが、実は領民の移動は、居を移すという大事ではなくとも、それほど簡単なことではない。もちろん、高位のものであればある程度は自分の好き勝手にあちこち出向いていけるが、さすがに訪ねる相手が他所の大公の城となると、奪爵に向かう以外の理由ではひどく警戒された。
もっとも今は大祭中だ。常日頃よりは移動も制限されず、怪しまれもせず容易に行える。でなければ各地の行事を見て回ることなど、とてもできないだろう。
そうはいっても彼を招くにあたって、一応サーリスヴォルフに話は通してある。
「なぜ、呼んだのかはだいたい察してもらえるだろうが……」
カワウソ画伯は心得たように頷く。
「コンテストの一位の奉仕の件、ですかな?」
「まあ、一つはそうだ」
そうなのだ。
デヴィル族第一の美女に選ばれた、我が城の侍女アレスディアの、一夜の奉仕相手がこのランヌスだった。
こういったことは、家族でもいればその者が気にするのだろうが、アレスディアは天涯孤独だ。
言ってみれば妹が最も近しい、それこそ娘や妹のようでもあるわけだし、そうなるとその兄である俺も家族同様の間柄として、その身を案じるのは当然といえた。
「まずは、肖像画のことを確認しておきたい」
「肖像画、と申されるのは一位の副賞としてその方の肖像画を得られる権利、のことを申されておいでですか?」
「ああ。君は画家だから、他の者が描いた肖像画を欲しいものだろうかと、疑問に思ってな……」
肖像画を得る権利には、画家を選ぶ権利も付随する。つまり俺の場合はその相手に選ばれたリリアニースタが、肖像画の大きさとそれを描く画家を指名し、派遣してくることになっているのだ。その権利を守るため、こちらに拒否権はない。
もっとも構図に対するリクエストは、ある程度無視してもいいことになっているらしい。たとえば全裸で開脚をしろ、といわれて断れないようでは、あまりにもひどすぎるからな。
だがもちろん、俺が彼を呼んだ真の目的はそこにはない。そんな些細な事なら手紙での確認ですむし、配下を派遣して問わせてもよかったことだ。
だいたい、こちらからせっつかなくても、いずれ画伯の方から申し出てきただろう。
それをわざわざこの城に招いたのは、一応大公である俺が後ろ盾なのだから、アレスディアには下手に手を出すなよ、という念押しのためだ。
「お気遣い、ありがとうございます」
俺の本意を知ってか知らずか、ランヌスはにこやかに微笑んでいる。
「確かにおっしゃるとおりです。私がアレスディアどのに投票した目的は、実はそこにあるのです。あれほどの美貌……市井の画家ならば誰もがあの美貌に挑戦したいと思うものでしょう。パレードの一幕としてなら、いくらでも勝手にスケッチをしているものはおりますし、実際私もいたしました。そうして、その結果の絵姿は、巷にあふれかえっております」
そうなのか……いつの間にそんなことに。
なら今度マーミルのために、一枚所望してやるかな。
「あの素晴らしい肌のテカリ具合、ほんのり冷たさを感じさせる蛇眼、思わず抱きしめたくなる華奢ななで肩の肩、手を触れたくなるほど肌理の細かい四本の腕……彼女ほど、創作意欲を刺激される素材は、そうそうおりませぬ!」
声調はあくまでも冷静を装っているが、その瞳に宿るのは邪のない熱意だ。
「その彼女をモデルとして、じっくり向き合って最高の一枚を完成させる……その機会を、みすみす見逃すことなど、志ある画家であればできるはずもございません! ああ、感謝いたします魔王ルデルフォウス陛下! 私をその御手で選んでくださったことを!」
ランヌスはついに感極まったようにその場に突っ伏した。どうやらこの場にいない魔王様を夢想して、祈りを捧げているようだ。
その目には、もはや俺の存在すら認めてはいないようだった。
よかったな、マーミル。この画家はどうやら下種なタイプではないようだぞ。
むしろ芸術家特有のちょっと変わった人物で、絵を描く意欲にまみれているようだ。
これならもう一件も、頼んでみてもいいかもしれない。
「浸ってるところ悪いが、ランヌス」
俺はしゃがみ込み、画家の肩に手をかけて、その身体を起こさせた。
「実はもう一つ、頼みがある」
「なんでございましょう? もしや、閣下の肖像画も任せていただけるので?」
「いや……それは相手の権利だから」
「ではいったい……」
「実は妹が……ああ、俺には妹がいるのだが」
「魔族でそれを知らぬ者はおりますまい」
そうか。まあ、大公位争奪戦で家族席に座っているしな。
「その妹が、絵を習いたいと言い出してな。教師を捜しているんだが、君は引き受けてくれる気にならないか?」
ランヌスの絵の一部は特定人物の肖像画だが、大部分は美しい風景の中に人物を配したものだ。その作風は明るく、色優しい。どこかの、目を攻撃してくるかのような派手派手しく毒々しい感覚の持ち主とは、明らかに違う。
「それは大変光栄なのですが、閣下」
画家は俺の申し出に戸惑っているようだった。
「私はサーリスヴォルフ閣下の臣民ですので……」
「サーリスヴォルフには俺が話をつける。教師をしてくれるというのなら、その間はこの城にとどまってくれればいい。家族がいるなら、一緒に来てもかまわない。どうだろう?」
「……」
ランヌスはすぐには返答しなかった。さすがにひっかかるのはサーリスヴォルフのことだけではないだろう。
「すぐに答えをくれとはいわない。まあ考えておいてくれ」
「かしこまりました」
「せっかくこうしてご足労願ったんだ。今日のところはこの城でゆっくりしていってくれればいい。たまには別の領地の大祭行事を楽しむのも、いいものだろう」
「お気遣いありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
実際には妹との相性も気になるところだろうから、後でマーミルにランヌスと話をしておくようにいっておこう。
そうしてその夜も更けてゆき、大公位争奪戦は四日目を迎えようとしていた。
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