魔族大公の平穏な日常
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【第九章 大公位争奪戦編】
大公席からものすごい殺気が、俺に向かって吹き付けてくる。
誰からのものかは、説明しなくてもわかるだろう。角に包帯を巻いたアリネーゼからだ。
腕を落とされても翌日にはケロリとしていたサーリスヴォルフと違って、彼女の角は一日では完全にくっつかなかったらしい。……なぜだろう。
とにかく俺は、せめてその席に並ばずにいられた幸運を、喜ぶべきかもしれない。
今日の第一戦は二四戦……つまりベイルフォウス対ウィストベルだ。故にベイルフォウスの代わりに、今日も俺がその判定役を務めねばならない日なのだった。
ウィストベルは通算三戦目の今日も、相も変わらず魔力を落としてきている。
俺の時にそうしたのだから、ベイルフォウスが相手でもそうするのが当然といえば当然ではあった。
「では、四日目の第一戦を始める。ベイルフォウス、ウィストベル、用意はいいか?」
「かまわぬ」
「さっさとしろ!」
魔王様、ベイルフォウスが乱暴です!
「では、始め!」
次の瞬間、誰もが目を剥いたに違いない。
ベイルフォウスがウィストベルを一撃で葬ったから? いいや!
確かに我が親友は、即座に対戦相手に踏み込んでいった。
そして俺がアリネーゼを魔術で拘束したように――いいや、ベイルフォウスは、ウィストベルを実際に抱き留めて拘束したのだ。その腕で。
次に何を仕掛けたかって?
言いたくもないが仕方ない、説明しよう。
ベイルフォウスの奴は、ウィストベルを抱きしめるといきなりその艶めいた唇を、自分のそれで塞いだのだ!!
これってあれだよね?
大公位争奪戦だったよね?
俺の認識が間違ってるわけじゃないよね?
途中で手を出したらいけないのはわかっている。でもあの見境ない阿呆を殴りたくて仕方ないんだけど、どうしたらいいだろうか。
っていうか、なぜウィストベルも抵抗しないで受け入れてるんだ!
アリネーゼのものが可愛いほどに思える殺気が、対戦場を満たしつつあることには気づいているはずだろう!?
せめて魔王様のために抵抗してあげて! もうホント、確認するまでもなく絶対に両目は血走っているに違いない!
マーミルがいなくてホントよかった!
中継で見てしまっているのは仕方ないとしても、あんながっつり舌まで入れてるような生々しいもの、目の前では見せたくない!
「いい加減にしろ、ベイルフォウス!」
通常は明らかに勝負が付いたと判断するまで、審判は口を挟まない。目の前で何が行われようと、だ。
だが責めるように叫ぶくらいは許して欲しい。あの野郎ときたら、ウィストベルを離す気配を微塵もみせないのだから!
こうなったら止めようか。
戦いを一度、強引にでも止めてやろうか!
だがベイルフォウスは俺の注意のたまものか、ようやくウィストベルに口付けるのをやめた。もっともその腕は、彼女の華奢な腰を抱いたままだ。
「悪くはなかっただろ?」
「まあ、そうじゃの」
ウィストベルの瞳には、残酷な光が浮かんでいる。
「だが主の口づけには、兄と違って愛が足りぬ」
その瞬間、彼女は術式を発動させた。
五層百式一陣。
天から一筋に伸びた稲妻が、二人の間を裂く。
「まったく、兄貴が羨ましいぜ」
口ではそういいながら、ベイルフォウスも容赦なく反撃する。
百式二陣。
なぜかここでもまた、氷の魔術だ。恐ろしいほど尖ったプートの腕ほども太さのある氷柱が、天いっぱいに現れたと思った瞬間、一斉に対戦相手に襲いかかる。
だがウィストベルが黙ってそれを受けるわけはない。彼女は炎の魔術を展開し、見事に氷解してみせた。
そこからは、大公らしい百式魔術の応酬戦だ。
サーリスヴォルフとの対戦の時と似ているが、規模が違う。
だがまだベイルフォウスは本気を出していない。あいつと今のウィストベルなら、当然ベイルフォウスが上回るからだ。俺があっけなく勝利したように、あいつもそう振る舞うことができるはずだった。
「なぜ手を抜くのじゃ、ベイルフォウス」
「そりゃあ、お前を押し倒す隙をねらってるからさ」
……実行されたら、今度こそ乱入しよう。そして卑怯だと言われようがなんと言われようが、後ろから殴ってベイルフォウスの意識を奪ってやろう。そうしよう。
大祭主の権限として、きっと認められるはずだ。そうとも。
っていうか、もういいだろう。
ここからは先の展開を、詳細に知りたい者などいないはずだ。
ベイルフォウスは結局、ウィストベルに勝利した。
どうやってかとか、勝負の内容とか、もうそんなことは誰も聞きたくないはずだ。
俺はそう信じている。
要するに結果が分かればいいのだ。
ベイルフォウスはウィストベルに勝った。
それだけのことだった。
***
たぶん、ベイルフォウスは魔王様に殴られたのだと思う。いいや絶対に。
だって午後に姿を見せたとき、明らかに口の端が切れてたからね。なんだったらちょっと頬も青くなってたからね!
医療班にかかるのを禁止されたか、それとも自ら多少は反省してそのままにしておいたのだかは知らないが、どちらであろうがどうでもいい。奴の自業自得だ。
とにかく今は、目の前で始まろうとしている次の戦いに注視すべきだろう。
「では、二戦目始め!」
アリネーゼ対サーリスヴォルフ。その戦いの火蓋が、切られたのである。
俺はサーリスヴォルフの特殊能力、それがなんなのか、今度の戦いで見極めようと決意していたのだが。
「のう、主もあのように、私にしかけてきてもよいのじゃぞ?」
ここは大公席。隣に座っているのがウィストベルであるのは、説明の必要もないだろう。
ちなみに、プートはまた端の席にいるし、その隣をデイセントローズが占めており、しきりにこの間の自分たちの戦いについて相手を持ち上げた感想を述べているようだった。
「なんなら、私がこの場で同じように振る舞ってやろうか?」
やばい……後頭部に殺気がつきささる。
すぐ後ではないものの、後列に腰掛けているのは当然魔王様だ。今日は第一戦目以来、機嫌がよろしくない。それもこれも、自分の弟のせいで!
「あの、ウィストベル……申し訳ありませんが、目の前の戦いに集中させてください」
明日からはマーミルがいないときでも一般観戦席に座ることにしようか。あまりにも、この席は居心地が悪い。
「のう、ジャーイル。そろそろそれくらいは、なんとかならぬか?」
それ? ……って、なんだ?
「その口調じゃ。主は私に勝ったのじゃから、そろそろ敬語はやめぬか?」
いや、勝ったっていっても実際には減力したウィストベルにだし……。
「他の大公には、すでに改まってもそのような口調では話しておるまい。私にだけですます調、というのは、陛下と私の関係を考慮して、と今は思われていても、続けばいずれ不自然に思う者もでよう」
「そういえば……」
プートにもアリネーゼにも、いつからか敬語で話してはいないな。
しかし、急にウィストベルにタメ口で話せと言われても……。
「矯正する、今がよい機会だとは思わぬか?」
まあ、一理ある。
「善処します」
「そうじゃ、今から改めることにして、主が敬語を使うごとに私が罰としてその唇を塞いでやることにしようか?」
俺を殺したいのだろうか、ウィストベルは。
椅子がさっきから、がんがん動いてるんだけど。足癖の悪い誰かさんが、怒りにまかせて蹴ってくるんですけど。
俺は悪くないのに!
もしかして、これはあれか?
俺を困らせて楽しむ、というのと、魔王様に嫉妬させて喜ぶ、という、ウィストベルの二重のドSプレイなのだろうか。
勘弁してくれないだろうか。そういうお楽しみは二人だけでやって欲しい。俺を巻き込まないで欲しい。
そんなことよりウィストベルとは、デイセントローズの魔力について話し合いたいというのに。だが本人がすぐ近くにいる状況で、さすがにその名を口の端に乗せることはできない。
それにこの大公位争奪戦が行われている間は、戦いの内容について――つまりお互いの能力や対応、思惑と対策についての見解を話し合うことは、暗黙の了解として慎まれているようだった。
で、あるなら余計にそれぞれの戦いはじっくり観戦したい。
ああ、ほら!
ごちゃごちゃやってる間にアリネーゼとサーリスヴォルフの勝負の決着が、つこうとしているではないか!
どうやらアリネーゼはサーリスヴォルフに翻弄されて疲労し、その場に立つこともできないようだ。
「アリネーゼは戦意なしと判断する。勝者、サーリスヴォルフ」
ベイルフォウスが淡々と宣言し、俺がサーリスヴォルフの特殊魔術の考察もできないうちに、勝負は終わりを迎えたのだった。
「サーリスヴォルフ様って強かったんだな」
「まさか三位のアリネーゼ大公を倒されるとは」
この結果は、観衆に新鮮な驚きをもたらせたようだった。
なぜって、アリネーゼは三位、それに対してサーリスヴォルフは五位だ。それも俺が大公に就く以前は六位でしかなく、五位になったのだって結局は下が追加されたから押し上げられただけにすぎない。
そのサーリスヴォルフが、力でのし上がったアリネーゼを下したのだから。
本人が普段飄々としていることも、より意外性を強めた一因となっているのだろう。
まあ俺に言わせれば、今の順位などプートとベイルフォウス以外は全くあてにならない。だが今回の大公位争奪戦の結果で、全員その実力通りの地位に収まるだろう。
――いや、ウィストベルを除いて、だが。
これが大公位争奪戦で下位が上位を下した初めての戦い――いや、違うな。俺が昨日、やはりアリネーゼを倒している。
……ってことは、俺も昨日はこんな風に盛大に、驚かれたり感心されたりしたのだろうか。
「別に、主の勝利に関しては、誰も驚いてはおらぬかったぞ」
ん?
「ヴォーグリムを倒して大公位について以降、主は恐れられておるでな」
……ん?
「納得されただけじゃ」
……んん?
……まあ、いい……か。
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