魔族大公の平穏な日常
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【第九章 大公位争奪戦編】
俺は忘れた訳ではないのだ。マーミルを利用しようと、その小さな身体に無茶を強いた奴の無礼を。
「手加減はいっさいしない。覚悟しろ」
「もとより、できております」
五日目の第一戦は六七戦、俺とデイセントローズの戦いだった。
さんざん長めにいたぶってもよかったが、そんなことをしても鬱憤は晴れないし、見ているマーミル自身も喜ばないだろう。それで俺は、とにかく奴をサクッと死ぬ手前まで追いつめてやることにした。
炎をまとった九頭竜を形作り、一斉に襲わせる。
その体躯に触れれば魔族といえど生身の肉は焼けただれ、その口から放出される雷撃を受けては瞬時に壊疽を引き起こす。それを四体で襲いかからせれば、デイセントローズには防御魔術以外を使う暇がない。
後はただ、わずかな隙を塞いで逃げ道を完全になくしてやるだけ。
それだけで、戦いの決着はついた。
それで完全に溜飲が降りたかといえば、そうともいえないし、今後一切奴を信頼することはない。だが一応のけじめとはしてやってもいいだろう。
戦いが終了した後のデイセントローズの姿は、ウィストベルによって呪詛を浴びた時にみせた、初期段階に似たような姿と苦痛を味わうことにはなったのだから。
それよりむしろ、その日の問題は次の一四戦にあった。
プートとウィストベルの戦いである。
大公席に座るのは、サーリスヴォルフとアリネーゼ。デイセントローズは俺との戦いの負傷を、治療中とのことだ。
一方の俺は、今回もマーミルたちと一般観戦席にいる。
俺とマーミル、ケルヴィスについては初日と同じ座席位置だ。そして今回も居残っているネネネセと並ぶのは、護衛を命じたジブライールだった。
いっておくが、アリネーゼの反応が心配だったので同席を避けたという訳ではない。
ちなみに彼女には、座る時に遠くからじろりと睨まれただけで、今日は特に殺気を放たれることもなかった。一日経って大公位争奪戦とはそういうものだと諦めてくれたのかもしれない。とにかく俺に対して関心を向けず、目の前の戦いに注目しているようだ。
自分がそうであったように、ウィストベルもプートを相手では瞬時に負けるだろうから、それを見逃すまい、と、目を血走らせているのかもしれない。
なにせ今までの序列では、アリネーゼは大公第三位……ウィストベルよりは上位に位置していたのだから。
だが、結果はデヴィルの女王の望み通りにはならないだろう。
これまでの戦いに、ウィストベルは十分の一の魔力で臨んでいた。
今回も確かに、元のままの魔力ではない。
だがそれは過去三回の戦いよりは多い魔力量――約六分の一に収まっていたのだ。
減少量をいじることができるらしいのはどうやら確定のようだが、今回に限ってそうする理由はわからない。
ただ今までのつきあいで知り得た情報から推測するに、前の魔王が黒獅子であったこと――その因縁が関わっての判断であることには間違いないだろう。プートもまた、その鬣の色は違うとはいえ、頭部は獅子なのだから。
それにそのくらいの実力を保っていなければ、開始早々、一方的に敗北したアリネーゼの二の舞になりかねないと判断してのことか。さすがにそれは、ウィストベルの自尊心が許さないのかもしれない。
とにかく、プートとウィストベルの魔力の差は、俺とウィストベルが対峙した時ほどではない。
「今日もやっぱり、プート大公が一瞬で終わらせておしまいになるのかしら。でも、ウィストベル大公があんな目にあわれるのは、見たくありませんわ」
妹も俺の同盟相手で、しかもデーモン族でもあるウィストベルとなると、あまり深い付き合いはなくとも他の相手より心配になったりするのだろうか。
「結果については異論ありませんが、ジャーイル閣下との対戦を見ても、ウィストベル閣下が一瞬で敗北するとは、僕にはとても思えません」
左右を挟むお子さまたちは、毎回こうして次の戦いの意見を交換しあっている。
意外にも、というと失礼かもしれないが、ケルヴィスの見立ては割といい線をいっている。
「副司令官閣下はどうご覧になります?」
前回もケルヴィスはフェオレスに意見を求めていた。少年なりに上位者に気を使って話をふっているのか、それとも本当に好奇心が勝って参考意見を欲しているだけなのかは知らないが。
「私は今までの戦いを目の前で見ていた訳でも、中継ですべて見た訳でもないので、断言はできないのだが」
ジブライールがいつもの調子で、淡々と答える。
役割を果たしながらだから、そりゃあ見逃した戦いもあるだろう。
「ジャーイル閣下の戦いは、すべてかじりつくようにして見ている。それから判断するに、私も君と同意見だ」
そうか。かじりつきながら見てくれているのか。やはり主たる大公の序列は、それに属する副司令官にとっても大事らしい。
いや、まさかあれか……ヤティーンみたいに俺に付け入る隙がありそうかどうか、じっくり観察しているってんじゃないだろうな。
ジブライールに限ってそんな……。
「ところで君はケルダーのところのご子息か?」
「あ、ご挨拶が遅れて申し訳ありません、ジブライール副司令官閣下!」
ジブライールの指摘に対してケルヴィスは背筋を正して立ち上がり、深々と頭を下げた。
「長男のケルヴィスと申します。父がいつもお世話になっています」
ん?
「ケルヴィスの父上の奪爵先は、ジブライールの元配下だったということか?」
「はい。我が軍の大隊長でした。それを倒したのですから、なかなか実力のある伯爵でございます」
「そんな……ありがとうございます」
年上美人に褒められて、ケルヴィスは素直に嬉しそうだ。
そういえば、俺は少年とはよく会うが、その父親とはまだ顔を合わせていないな。
もっともいくら有爵者であっても、俺の身近な場所にいるか、そうでなくば副司令官か軍団長でもないと、いちいち挨拶もなければ顔も覚えたりはしない。
「目元が父上によく似ている。彼は風の魔術が得意と聞いたが、君もそうなのか?」
「いえ、僕はできるだけ、どれにとこだわらずに均等に鍛えているつもりです。尊敬する御方が、そうでらっしゃるように思われますので……」
「そうか。私もそのような方を知っているが、それが可能であれば素晴らしいことであると思う。だが、明らかな向き不向きがある状態で、無理に得意な魔術の成長を抑える必要はない」
「はい。ご助言、ありがとうございます」
どれも中途半端でモノになってない奴なら多いだろうが、全部を使いこなしている奴なんて、なかなかいないだろ。
相当器用なベイルフォウスだって、それでも火が得意なくらいなんだぞ?
どんだけ器用な奴だよ、そいつ。
まあ、二人が同じ相手のことをいっていることはあるまい。ジブライールはともかく、ケルヴィスから見て均等に使いこなして見えるだけ、ということならそれほど不思議でもないか。
それにしてもケルヴィスと話すときのジブライールは、きりりとして頼りになるお姉さん、という感じだ。
俺もこんなお姉さんが欲しか…………いや、なんでもない。
しかし二人は結構話が合うようだし、意外にもケルヴィスが成長したら、ジブライールといい感じになったりして……。
まさかな……。
「で、お兄さま!」
「ん?」
「お兄さまはどう思いますの!?」
妹はちょっとムクレているようだ。
まさか、マーミルも俺と同じように二人の相性が良さそうだと感じて、嫉妬してるんじゃないだろうな。
いや、もういちいち考えまい。年長者として、暖かい気持ちで見守ろうではないか。
なにせケルヴィスは鈍い。その鈍い相手を想っているというだけでも、妹のことがちょっと不憫に感じられるのだから。
「俺の予想を聞く暇はないぞ。ほら、もう始まる」
開始の合図の後に、プートは一言、ウィストベルに向かって口を開く。それを受けてウィストベルは殺気をたぎらせた。
審判でもやっていれば二人のやりとりも聞こえたのだろうが、あいにくと声は観戦席までは届かない。
そんな状況で戦いが始まった。
それは、熾烈を極めた。
今までの戦いは、魔術の応酬はあってもどちらかといえば片方が一方的に勝っていたため、一方は無傷、一方は負傷しての決着、ということが多かった。
いや、サーリスヴォルフとアリネーゼの戦いだけは、まだこれに似て競った戦いだったか。
だが今回はとにかく規模が違う。
大公位一位のプートと、四位であるはずのウィストベルの戦い。
それは俺とウィストベル、あるいはベイルフォウスとウィストベルの戦いよりも、もっと激しいものとなったのだ。
理由は簡単である。ウィストベルから発せられる殺気が、彼女の先の二戦よりも遙かに勝ったものだったからだ。
ウィストベルが発した竜巻が、まっすぐプートに向かう。それを同じ魔術でプートが迎え撃つ。嵐はぶつかり合い、観戦席まで届く爆風を残して消滅した。
烈風が衣服と肌を切り裂き、プートの鬣をかすめ、ウィストベルの白い髪をかすめて数本の毛が宙に舞う。
炎が狂い踊って大気を舐め、焼けた空気は喉を焼き、観覧席にまで息苦しさを蔓延させた。
ただ魔力の純粋なぶつけ合いでは、ウィストベルの力はプートに劣っている。それを彼女は、いくつかの補助的な魔術を使用することで、総合的に押し負けないような術式を構築していったのだ。
それはおそらく、千年を越すうちに身につけたすべてだったのだろう。
プートも思ったような戦いを描けない苛立ちに満たされていったようだった。それまでの悠然とした態度は崩れ、焦燥感に駆られ、苛立ったように牙をむく。
そうさせたウィストベルは見事だった。他の誰がプートと戦ったとして、こうも善戦することはできなかっただろう。
だが結局、ウィストベルの体力と魔力の限界がやってきた。
彼女の疲労が隠しきれないものとなると、魔術を展開させる速度が鈍り、やがてプートに押し負けるにつけ、その美しい身体に刻まれる傷が増えていく。
耐えきれず膝から崩れたその瞬間に、プートが抜いた剣を彼女の首筋にふるい、勝負は決した。
首の代わりになくなったのは、ウィストベルの美しい白髪だ。あれほど長かった髪が、肩口でざんばらに切り落とされてしまっている。
「さすがに、見事であった――」
プートの讃える言葉が、今度は俺の耳にも届いた。
だがこの期に及んで、ウィストベルの殺気は沈んではいなかった。勝者を下からギロリと睨めつけ、奥歯をかみしめたのだ。
プートはそれに対し、一瞬憐れみを感じさせる視線を向けると、剣を収めて彼女の前から立ち去った。
「おい、ウィストベル。立てるか?」
ベイルフォウスがウィストベルに歩み寄る。
だが、その時魔王様が動いた。
この時――俺がちょっとビクッとしたことについては、目をつぶっていて欲しい。
とにかく魔王様は王座を立つと、重厚な足取りで前地に降り立ち、ウィストベルの元に歩を進めたのだ。
そうしてその動向を見守る俺たちの前で、彼女を大事そうに抱き上げると、そのまま去っていったのだった。
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