古酒の隠れ家

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魔族大公の平穏な日常

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【第九章 大公位争奪戦編】

135.どちらもこれから戦う相手なので、じっくり観察したいと思います



 あの獅子野郎と知り合って、おそらく四百年以上にはなるだろうが、奴があんなに楽しそうに戦う姿を見るのは初めてだ。
 デーモン族嫌いで通っているくせに、ジャーイルのことはそう気に食わないでもないらしい。まあ、気持ちはわからないでもない。あいつの相手がまともにできるのは、兄貴を除けばここ数百年ではこの俺――ベイルフォウスただ一人だったのだから。
 それも、俺たちの戦いでは双方もっと殺気立ってはいるが、逆に魔術にはお互い抑制と配慮が見られ、結局つまらんぶつかり合いに終わる。

 一方で親友の方は、実力の近しい相手と戦った経験はあまりないのだろう。
 次々と繰り出される魔術にだけなら対処もしきれようが、デヴィル族の特性をいかした肉体まで使った戦い方に、どちらかといえば翻弄されている感が強い。
 だが、術式の組立はさすがだ。文様の配置にまったく隙がない。最小の魔力で最大の効果が出るような術式を組んでいる。
 これは……期待よりずっと、見応えのある戦いになりそうだ。それに――

「お兄さま!」
「ジャーイル閣下!」
 マーミルとジブライールの悲鳴が背後で上がったのは、親友の姿が土から盛り上がった巨大な傀儡に飲み込まれた、そのときだ。それまでも、何度も息をのむような雰囲気は伝わってきていたが、叫ぶのは我慢していたに違いなかった。

 だが心配などする暇もない。十秒も数えないうちに、ジャーイルは内側から傀儡の壁を砕いて外に飛び出してきたのだから。砕かれた頭部はただちに自己修復していったが、そのスピードに劣らぬ速さでジャーイルも百式を構築し、黄金に輝く虎を出現させる。
 造形魔術には造形魔術を、ということらしい。

 片や土の傀儡人形、片や虎。
 その魔術同士がぶつかりあう横で、当人たちも自身に術式をまとわせての肉弾戦だ。ずいぶん泥臭い戦いが、繰り広げられている。
 獅子野郎が嬉々としていたのは最初からだが、このあたりになるとようやく慣れたせいか、ジャーイルの瞳も愉悦を覚えてでもいるかのように、輝いて見える。

 だがその時、空気が一変した。
 プートの蹴りで二人が分かたれ、接近戦から魔術のみが中心となった、距離をとっての遠隔戦に移行しようという時。
 ジャーイルが一度手放した剣を再び手にし、その鞘に差し直した、その時だ。

「ほう」
 俺が思わず感嘆の声をあげたほどに、めまぐるしい勢いで百式が展開されていく。
 二陣、三陣、四陣……いったいいくつの術式が構築されているのか、現れては瞬時に消えるすべてを、目で追うのは俺でも面倒だ。
 足下に出現した泥沼にぐらついたプートの巨躯を、大地から伸びた植物の根がからめ取り、全方位から光のトゲが襲いかかる。かと思えば根は燃え上がってその衣服を焼き、虹の霧にふれれば電撃が走り、山をも揺らすほどの威力を持った暴風雨が、ただ一人をめがけて吹き荒れた。

 なるほどこの勢いであのヴォーグリムの野郎を倒したってんなら、そりゃあ見ていた者はぞっとしたことだろう。
 魔族ってのはたいてい、魔術に対して得意不得意があるもんだ。だというのにジャーイルの奴は、どんな種類の魔術でも気持ち悪いほど器用にものにしていやがる。
 白状すると、それが特別なことだと自覚していないようなあいつに、苛立たないでもない。むしろ、天才というのは本当にタチが悪いと思い知らされることもしばしばだ。
 なんとか防御魔術を操り、耐えられたのも、プートであればこそだろう。とはいえほぼ同時に発動された多種多様な攻撃のすべてを防ぎきることは、さすがの大公第一位にも不可能だったようだ。

 無理もない。
 獅子野郎の魔力は確かに強いが、魔術の発動は筋肉同様、力押しに頼るばかり。効率のよい術式の構築など、突き詰めて考えたこともないだろう。だから破壊力の大きな魔術を順に発動させることはできても、ジャーイルの見せたように多種多様な魔術を、同時に十数陣も発現させることなど、できるはずもない。
 故に対処においても一つ一つに丁寧に、効果的な防御や対抗魔術を施せるわけもなく、確実に負傷は増えていっている。
 そう――

 あのプートが、大地に片膝をついているのだ。
 それを見たときの、俺の気持ちがわかるか?
 幾度となく、プートとは拳を交え、魔術を交わしてきた。だが今の今まで、兄貴以外を相手に膝をついたあの男の姿など、この目にしたこともない。

「化け物か!」
「その言葉、そのまま返させてもらう!」
 それでも倒れないプートに辟易としたのだろう、しかしこの場には軽すぎる口調のジャーイルに、かすかに焦燥が混じったようなプートの声が応じる。

 たちまち対峙する二人を、結界とも見紛う球形の土が覆い尽くした。
 おそらく範囲を限定させて、威力の効果を高めるためのプートの策だろう。中で防御魔術が張られたのを、肌で感じた。
 だがこれでは視界を奪われ、審判たる俺にだって、勝負の判定ができない。
 いかに大公同士の戦いで、口を挟む必要はほとんどないとはいえ――

「陛下、これでは――」
 兄貴の判断を仰ごうとした、その時だ。
 すさまじい魔力の発動と轟音に、球形に意識を奪われる。
 次の瞬間身の内に走った感覚を、なんと表現すればいいのか俺にはわからない。
 この数百年――感じたこともないような、嫌な予感が全身を覆ったのだ。

「いかん――」
 そういって立ち上がったのは、兄貴ではなくウィストベルだった。
「ベイルフォウス」
 兄貴が小さく頷く。それだけで、意図を知るには十分だった。

 俺は、魔力の充満を感じさせる球形を破壊すべく、百式を展開させた。
 本来はこんな風に大公同士の戦いに、水を差すようなことはすべきではない。だが、何かがおかしい。あの土壁の中から発せられている魔術には、何か異常なものを感じる。
 だが俺が魔術を発動させる前に、ひときわ大きな、それも絹を裂くような悲鳴にも似た、あるいは硝子を引っかくような、不快な音が鳴り響いたとみるや――目の前の土壁が、たちまち消え失せたのだ。

 轟音は止み、土壁は泥のようになだれ落ち、防御魔術は解かれ、攻撃魔術の気配もない。
 充満した土埃の他に、視界を遮るものは何もない。静寂が辺りを支配していた。そんな中――
 徐々に姿を現したのは、ただ二つの影。

 片や地に伏せ、片や地に立つ、その姿。
 その二つは影であっても見紛うはずもない。
 地面に分厚い胸板を押しつけるように倒れているのは、黄金の獅子。
 そうしてその傍らには、飄々とした様子で剣を手にした、我が友の姿――
 プートが倒れ、ジャーイルが立っているのだった。

 ジャーイルは、右手に握った剣を天高く掲げる。
 いつもとは違って、どこか冷たさを感じさせるその瞳が標的と捉えているのは、もちろん対戦者の姿だ。
 だが、プートは地に伏せたまま、その指の一本すらピクリとも動かない。どうやら完全に気を失っているようだ。
 だというのに、まさかその剣を振り下ろす気ではないだろうな?
 止めるべきか? だが、昨日のデイセントローズのようなことを、我が親友がするとは思えない。
 もっとも――

「ルデルフォウス! 観戦席に結界を張るのじゃ!」
 ウィストベルがそう叫びながら、大公席から俺の立つ緩衝地帯に飛び降りてきた。
「おい、ウィストベル。まだ戦いの最中――」
「争奪戦での大公同士の戦いにおいて、魔剣の使用は禁じられている。すでにこれは、正当な対戦ではない」
 魔剣、だと?
「ベイルフォウス、私が動きを封じる。主はあの剣を奪え! ジャーイルを正気に戻すのじゃ!」
「なに?」
 ウィストベルが叫びつつ百式を発動させ、天を埋め尽くす隕石をジャーイルめがけて落下させる。
 しかしそれも、あいつが手にした剣の一閃であえなく霧散した。だがおかげで、プートは無事だ。

 蒼光りする剣身――ああ、確かにあれは、ウィストベルの言うとおり、魔剣に違いない。それも――あいつがこのところ気にいって常佩している魔剣じゃないか。

「魔剣の使用は御法度だぞ! 知らん訳じゃあるまいっ!」
 まずはジャーイルの良識に訴えかける作戦だ。だが親友は、返答してこなかった。
 それどころじゃない。いつもはどちらかといえば思想をうかがいやすい赤金の瞳には、俺の言葉への反応どころか、他の一切の感情が認められない。
 確かに正気ではない――というか、情をすべて排除したような冷酷無比なその男は、ジャーイルですらないようにも見える。

「お兄さま!」
 マーミルの呼びかけで、俺は自分の考えを即座に否定した。
 彼女が最愛の兄を、その本質を、見紛うはずはない。

「ゆけ、ベイルフォウス」
 ウィストベルが再び百式を出現させる。地から蔦が伸びてジャーイルの全身や腕をからめとり、せり出すように大地を凍らせせつつ出現した氷が、そのつま先からを徐々に凍らせていく。
 それをまた、魔剣の一振りで無駄に砕かれる前に、俺は腰から引き抜いた自身の魔剣を大きく振りかぶった。
 二振りの魔剣が、激しくぶつかり合う。

「やべえ、分が悪い」
 一度の合わせで悟った。
 双方魔剣とはいえ、そもそもの性能に差がある。しかも、それを操る者の技量にも――
 ちくしょう、ここに魔槍ヴェストリプスがあれば! 俺も転移魔術を覚えておくんだった!
 いいや、そんなことを言っても仕方がない。今は必ずしも相手に打ち勝つ必要はないのだ。
 ウィストベルの言葉を信じるなら、剣を奪えばいい。

 とはいえ俺が打ち込んでも、ジャーイルの奴は顔色一つ変えず、それどころか軽々と剣を受け流し、弾いてくる。さらに防御と同時に魔術を打ち込んでくるが、その対処には問題ない。
 それに幸いにも、こちらにはウィストベルの援護がある。仕掛けられた魔術のいくつかは無効にされながらも、それでもじわじわと彼女の魔術は、ジャーイルの身体の自由を奪っていっている。
 蔦が剣を握る右手首に巻き付いた、その一瞬を逃さず、俺はジャーイルの魔剣を大きく薙払った。
 さすがに不自由な手の握力だけでは、ジャーイルも強打に耐えることはできなかったとみえる。蒼光りする剣は、ようやくその主の元を離れた。大きく宙に弧を描き、音を立てて大地に突き刺さる。

「これでいいのか?」
「あとは――」
 ウィストベルが口をつぐむ。彼女もまた、ゾッとしたためだろう。俺がそうだったように――

 ジャーイルの直下を中心に、気配もなく展開されていた巨大な百式――
 見たこともないような文様を描く、その黒い術式に気づいた瞬間、本能が警告を発したのだ。
 おい、待て。これはダメだ。
 理由はわからない、根拠もないが、本能がそう告げている。

「やめて、お兄さま!」
 マーミルの悲痛な叫びで、我に返った。
 俺は考える暇もなく、ジャーイルの懐に飛び込む。
「ジャーイル、おまえ、いい加減にしろ!」
 そうしてとっさに、その顎をめがけて、力の限り拳を打ち込んだのだ。

「入った!?」
 殴った俺が、一番驚愕していたに違いない。
 まさか魔術でもない、単に振り上げただけの拳が、今のジャーイルに届くとは思っていなかったのだから。

 だが――
 拳は間違いなく、ジャーイルの顎を強打した。
 おそらく、ただ当たったというだけでなく、効果も十二分にあったのだろう。その証拠に、ジャーイルは俺の拳にあわせてぐらりと身体を傾かせ――ゆっくりと、地に膝をついたのだ。
「……いた…………」
 俯いたジャーイルから、ぽつり、と、いつもの暢気な声が漏れる。それと同時に、張りつめていた空気がゆるむのを感じた。
 ふと足下をみると、さっきの不気味な術式もすでにない。

「なん、で……ひど…………」
 そう一言、ジャーイルは大地に腹這いに倒れ込んだ。

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