魔族大公の平穏な日常
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【第十章 大祭 後夜祭編】
会食をセルクとジブライールに任せ、俺は城の中を二人を捜して回った。人通りの少なそうなところを重点的に。
「誰か、ミディリース……」
いいや。
「半ズボンをはいた、目に痛い緑の仕立て下ろしを着た、灰色の髪に薄氷色の目つきの悪い、すね毛の濃い侯爵を見なかったか?」
ミディリースの姿は、彼女が隠蔽魔術を使えば人の目には留まらないだろう。
そうなると、オリンズフォルトがあの目立つ格好をしてくれていたのは幸いだった。
もっとも、ミディリースの隠蔽魔術がオリンズフォルトにまで効いていた場合は、全く意味がなくなるが。
「旦那様、どうなさいました?」
エンディオンがただならぬ気配に気づいたのだろう。珍しく駆け寄ってくる。
「ミディリースを知らないか? オリンズフォルトが一緒のはずなんだが……」
「オリンズフォルトとは、旦那様がおっしゃっておられた、魔王城の現場監督でミディリースの又従姉弟だという」
誰にも話すなと言われたが、エンディオンとセルクには打ち明けてある。だいたいエンディオンに限って言えば、俺が彼にも内緒にしていることなんて、医療棟で自分の下半身に何をされたか、ということぐらいだ。
「それが、どうもそうではないらしい」
ボッサフォルトの孫、という言葉だけで、エンディオンは何かを察したようだ。
「わかりました。城中の者に彼らを捜させましょう」
「頼む。ただ、何かが起こったというわけではないから、あまり深刻にはしないでくれ」
「心得ております」
だよな! エンディオンだもん!
「しかし旦那様。そういう理由であれば、むしろ一番怪しいのはミディリースの部屋のように思われます」
「ミディリースの?」
「彼女の部屋は、それ自体が隠されておりますから」
確かにそうだ! 焦りすぎて一番怪しい場所を見逃すところだった。
俺は図書館に向かった。
***
図書館の中は、いつものようにひっそりとしている。
道々、すれ違う相手にミディリースかオリンズフォルトを見なかったか、と尋ねてみたが、本当に通らなかったのか、それともミディリースの隠蔽魔術のせいか、みんな首を横に振った。
「ミディリース? オリンズフォルト? いるのか?」
情報の間違いやこちらの猜疑しすぎで、オリンズフォルトが本当に彼の言ったようにミディリースの血縁者であり、二人は楽しく再会を喜んでいるという可能性だってないわけではない。それなら喜ばしいことだし、俺が呼べば二人だって出てくるだろう。
だが、答える声はない。
ここにはいないのか?
ざっと図書館を見回り、誰もいないのを確認して資料室に入る。
狭く細長い部屋には、天井に届く棚が奥に向かって何列か備え付けられている。
この奥――室内のどこかから、ミディリースの部屋につながっているはずだ。壁か? だが突き当たりの壁の向こうはもう外だし、左右は棚でふさがっている。となると、床だろうか。地下に彼女の部屋がある?
しかし、それらしき跡は見えない。
気配を探る。
だが、ミディリースの隠蔽魔術のせいか、何一つ感じない。
ただでさえ俺は、殺気以外の気配には鈍いんだ。こんなことになるなら、遠慮せずにちゃんと、部屋の入り口を聞いておくんだった――
最悪の場合を考えると、時間に余裕はない。
何でもなかった場合は、後でいくらでも謝ろう。
「ミディリース、いたら答えろ!」
彼女の部屋は秘されていても、こちらの気配は遮断していないはずだ。でなければ、普段からうっかり誰かがいるところに遭遇しかねないだろう。
そう信じて、声をあげた。
念のため、もう一度呼ぼうと口を開いた瞬間。
かすかに――
コン、と何かを叩く音が階下から響く。
ネズミや小動物の可能性も考えたが、万が一の危機を優先させた。
百式を展開させる。かすかな魔術の抵抗を感じたが、それも一瞬のこと。
床が大きく揺れ、亀裂が入る。
「やはり、地下か!」
分断した分厚い床石の下から現れたのは、土ではなく広い空間だった。
「いやっ! 閣下!!」
絹を裂くような悲鳴が、鼓膜を刺す。
落ちる瓦礫の合間に、求める二人の姿を見つけた。
おざなりな防御魔術で守られた、円形の空間。その中心から俺に向かって伸ばされた手が、震えている。
そうはさせまいと、邪魔するかのように小さな体に覆い被さる、派手な緑色した男の背中――脇から見えた幼さを感じさせる顔は泣き濡れ、綺麗にまとめられていた髪は解れて乱れ、ドレスは引き裂かれ――
「オリンズフォルト、貴様!」
俺はレイブレイズを抜いた。だがすんでのところで、防御魔術を裂いた切っ先はその背中を取り逃がす。
オリンズフォルトはミディリースを抱えたまま、俺と瓦礫を避けて飛び退いた。
「邪魔をするなああああ!」
振り向きざま叫びと共に烈風を放ってくるオリンズフォルト。
「二度は逃がさん」
それをレイブレイズで一閃し、返す剣で邪魔な瓦礫ごと身に突き立てる。
「ぐあああっ!」
石の塊は消滅し、剣は男の左肩を貫いて、壁にその姿を張り留めた。それでも右手には、しっかりとミディリースを抱きしめたまま――
がっしりと男らしかった体躯が、魔剣の刺さったその場所から、生命を吸い取られたように見る間にやせ細っていく。
すべてを消滅させるというその剣が、敵の生命力と魔力を削っていっているのだ。
魔術で男の腕を絶ち、落ちてくるミディリースを受け止めると、そのとたん、彼女は俺の首に抱きついてきた。
「閣下! 閣下!!」
必死にしがみついてくるその小さな体を抱き留め、レイブレイズを男から引き抜く。
「うっ……」
単に刺されただけにとどまらない苦痛の色を浮かべ、オリンズフォルトの体が床を打った。
反撃する気力をさえ殺がれたのかもしれない。魔術を発する意志さえ見えなかった。
蒼光りする魔剣レイブレイズを、横たわる体躯に向け――
「待って、待って!」
ミディリースの叫びに、額を裂く前に剣を止める。
「なぜだ」
「待って、お願い、閣下、待って! かあっ、母さん、がっ」
ガタガタと震え、オリンズフォルトを一瞥もできないほど恐れながら、それでも俺を制止する必死な声を、無視することはできない。
とっくに意識を失った、骨と皮だけの骸になったようなオリンズフォルトの身体を見下ろし、剣を鞘に収めた。
殺すのは一旦止めたとしても、相手が弱っているからといって、倒れたままで放っておくわけにはいかない。
ヒンダリスの例もある。そのやせ細った全身を、氷漬けにした。
そうしてミディリースにわかりやすく安全確保を示した上で、図書館全体に結界を張る。
なにせこんな狭い場所でまともに百式を展開してしまったのだ。資料棚は床と一緒に崩れ落ち、地下の部屋にあっただろう家具も、ほとんどが倒れ崩れ、その下敷きとなっている。外壁と天井が無事だったのが、奇跡的な状況だ。
もっとも、今回は俺だって理性をなくしたわけではない。この程度で収まるように、調整はした。でなければ図書館自体にも被害が及んでいただろう。
それでも二人を捜すように命じてあることも手伝って、この騒ぎが家臣たちの注意を引かぬはずがない。
実際に図書館の入り口の外からは、ガヤガヤと興奮した声が響いてくる。ドアノブを回して開かないとみて、こちらに無事を問いかける声もある。
だがミディリースのことを考えれば、この場の様子を誰彼と見せるわけにもいかないだろう。
「ミディリース。もう大丈夫だ……」
そう囁いて背中を撫でてやるが、彼女の嗚咽も震えも、治まりそうにない。よほど恐ろしい思いをしたのだろう。
それもそうか。
ただでさえ、オリンズフォルトは侯爵位を得るような強者、それに比べてミディリースは真実、無爵の力しか持たない、魔力も腕力も遙かに劣る弱者だ。
強者に力ずくで組み敷かれるだけでも恐ろしいだろうに、その上ミディリースには、彼をより嫌悪する事情もありそうなのだから。
引っかけていたマントをミディリースの肩からかけ、暫く黙って撫でていると、ようやく震えが治まってきた。
「旦那様、人払いをいたしました」
廊下に続く扉の向こうから、エンディオンの声がする。
さすがは我が家令だ。指示しなくとも、俺の考えをちゃんと察してくれる。
今行くと答えて、とにかく彼女を連れて瓦礫から出ようとした時。
「ミディリース! ミディリース、大丈夫なの!?」
崩れた天井が堆く積まれた瓦礫の向こうから、女性の声がした。
よく見ると、ミディリースの部屋であったこの空間には、小さな明かりとりの窓が二つと、どこかにつながるのだろう木の扉がついている。
声は、その扉の向こうから響いているようだった。
「ねえ、ミディリース! いないの? 平気なの? すごい音がしたわよ!?」
その親しげな声を信頼し、俺は扉を開ける。
するとそこには天井の低い、暗く細い廊下が延びており、戸口にはよく見知った侍女の姿があった。
「だ……旦那様!」
彼女は俺の出現など予想していなかったのだろう。驚愕の次にはしまった、というような表情を束の間、浮かべる。だが、すぐに俺にしがみつくミディリースに気づいて、血相を変えて部屋に踏み込んできた。
「ミディリース! どうしたの、あなた!」
「うう……」
ようやく司書は俺の首から顔を離し、侍女の姿を力なく振り返る。
「あ……ナティ……」
ミディリースもちゃんと侍女を知っているようだ。
「そうか……それもそうか。いくら引きこもっているといったって……」
食事や衣服、身の回りのこともある。たった一人で、六百年を無事過ごせるはずがない。
いかにエンディオンが勤め人の頂点に立つといえど、すべてを把握している訳でもないだろう。もっとも、ある程度は把握していて、ただ、彼女の姿を自分では見たことがなかった、というだけかもしれない。
ミディリースがどこかホッとしたような、甘えたような表情を浮かべたことも鑑みて、侍女は親しい相手に違いない。
その証拠に床におろしてやると、今度はその侍女に飛びつくように抱きついたのだから。
「まさか旦那様が、そんな……」
……なに。
ちょ……え?
今、俺が疑われた!?
まさか、城勤めの者たちからでも、そんなに信頼がないのか?
いや、そんな訳がないじゃないか。
とにかく今は、彼女にミディリースを任せてみよう。
殺すなと願ったとはいえ、氷漬けのオリンズフォルトと一緒にはいたくはないだろう。
「頼んでいいか? 落ち着かせてやってくれ」
「ええ、はい……」
いや、違うよな? 俺が乱暴したとか、疑ってないよな?
目を合わせてくれないのは、別の理由からだよな?
「ミディリース。歩けるか?」
俺の問いかけに、ミディリースはコクリコクリと何度も頷く。そうして小さな手で、俺のマントをぎゅっと掻き合わせた。
「なるべく秘密裏に、頼む」
「それはもちろん」
「どの客室を使ってくれてもいい。誰かに居場所を言付けてくれ」
「はい。かしこまりました」
侍女はようやく、まっすぐ俺を見上げてきた。
ほら大丈夫! 疑惑なんて認められない、信頼に満ちた綺麗な目だ!
「閣下、ごめっ……ごめんな、さい……」
消えるような声でそう言うと、ミディリースは侍女に抱えられるようにして部屋を出て行ったのだった。
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