魔族大公の平穏な日常
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【第十章 大祭 後夜祭編】
その二日後、俺は〈水面に爆ぜる肉塊城〉の一室で、影だけがうっすらと見えるカーテン越しに、アリネーゼと対面していた。
もちろんボッサフォルトの件で、だ。
なにせ敵はアリネーゼの配下。それも侯爵という高位に位置する相手だ。どう考えても俺が一方的に侯爵城を訪れて、勝手に振る舞うわけにはいかない。
どうしても一度、アリネーゼに話を通しておく必要があった。
ボッサフォルトはアリネーゼの配下とはいえ、デヴィル族ではない。調査の結果でも、少なくとも寵臣ではないこともわかっている。であればアリネーゼも彼にこだわりなど見せないだろうと判断し、事実をありのまま伝えて理解と協力を願うことにしたのだ。
「ごめんなさいね。今日はあまり化粧のノリがよくないのよ。美しい私を知っているあなたに、完璧な姿以外を見られるわけにはいかないから」
いつものように口調は気怠くも艶めかしいが、その芯には隠しきれない疲労感が漂っていた。
だが、カーテンで姿を隠しているということは、そんな心情を思いやられるのも御免なのだろう。そう考えて不調には気づかないフリをし、俺は自分の用件を語った。
「つまりあなたは、私の配下の一人を、自分には直接関係のない罪で罰したいというのね。たかが無爵の、なんの価値もない配下のために」
「ああ」
相変わらず、弱いものには容赦がない。
「ふぅん。ボッサフォルト、ね。確かに昔話で聞いた名だわね。それも、ひどい噂。そんな男が私の配下にいただなんて……ね。あなたに聞くまで、忘れていたわ」
配下に身持ちが堅いと評されるアリネーゼのことだ。きっとボッサフォルトのことも快く思わないだろうから、協力も得やすいはず……と予想をつけていたが、声にはやはり嫌悪感が表れている。
「それにしても、ただの気まぐれ? それともあなたにとって、その娘はそれだけ大切な相手だというの?」
この場合の“大切な相手”に込められた意味は、そういう意味だよな。
「君が思っているような、ではないかもしれないが、大切には違いない」
「あなたが私に借りをつくるほど? 高くつくわよ」
やっぱり、そうくるよね。
「言っておくけど、今度は下手にごまかされないわ。それでも?」
ごまかすってのは……争奪戦の時に手を抜かなかったこととか、そういうことを含めて、だろう。
「いずれ借りは返すよ」
「そう……」
それきり、アリネーゼは暫く黙りこくった。よくよく思案しているのだろう。
「……なら、いいわ。丁度お願いしたいことがあって、誰に頼もうか迷っていたことがあるのよ。あなたに、とは考えていなかったんだけど、案外いいかもしれないわ」
「お願いしたいこと? どんな?」
「今は止めておくわ。この用件が片づいてから……時期をみてあなたの城へ伺うから、その時には私の願いを聞いてもらうわよ」
なんだろう。今教えてもらえない用件……しかも、デーモン族嫌いのアリネーゼがわざわざ俺の城に来る、だなんて、ちょっと怖いじゃないか。
だが、その条件を呑まない訳にもいかない。
「君が、今回の件に協力してくれるというなら、俺もその時は喜んで君の力になろう」
カーテンの向こうで、笑みのこぼれた気配がした。
早まっただろうか?
「いいでしょう。協力するわ。……でも、そうね。事は大事だし、口約束だけでは心許ないことだから、誓約書をしたためましょう。どうかしら?」
「ああ、願ってもない。実は、そう考えて用意してきたんだ」
俺は懐から、黄味がかった一枚の紙を取り出す。
こうして、ちゃんと用紙も持ってきているくらいだ。彼女が言い出さねば、俺が提案していた。
魔族の間で交わされる誓約書というのは、特殊な手法で作られた用紙に、釣り合いのとれた決まり事を記し、お互いの紋章を刻み付けて同意を交わす形式のものだ。そこに書かれた事柄が万が一些細なことであっても、破るかまたは義務を放棄しようとすれば、誓約書の力で呪いがかかるようになっている。
その呪いは中身の軽重に比例して、自動的に決まる。呪いがかかったことは、相手の紋章が身体のどこかに現れることで確認できる。そうして、誓約書が罪を十分償ったと判断したとき、それは解かれるのだ。
この誓約書が使用されることは、ほとんどないといっていい。
なにせ魔族は脳筋だ。わざわざ窮屈な決まり事をたてて、紙にそれを記して誓う、だなんて地味なことを、好む訳がない。どちらかというと力の限り、本能の赴くまま暴虐を働くのが我ら魔族というものだからだ。
今回、俺の立場にいたのがヴォーグリムであったなら、アリネーゼにはそもそも話も通さず、思うままボッサフォルトを蹂躙したことだろう。
もっともあのネズミが誰かのために動くだなんてことは、天地がひっくり返ってもなかっただろうが。
「貸して頂戴。私から誓うわ」
侍女に用紙を渡すと、彼女がそれをカーテンの向こうに持って行った。
少しして、アリネーゼが誓約を紡ぎだす。
「我、大公アリネーゼは、ここに宣言する。大公ジャーイルが行う、麾下の侯爵ボッサフォルトに対する、いかなる仕打ちにも異を唱えず、むしろその目的の完遂のために、望まれたことはすべて遂行することを誓う」
さっきの侍女が、アリネーゼの発した言葉そのままが記された誓約書を持ち帰ってくる。
「我、大公ジャーイルは、ここに宣言する。大公アリネーゼの尽力に報うため、彼女が以後、初めて我が城に赴いて望んだ事柄に対し、可能な限り尽力することを誓う」
要求の内容がわからないので、言えることはせいぜいこのくらいだ。一応、無理難題だといけないと思って「可能な限り」
という防御線は張っておいた。
だってまさか、ないとは思うけど、ウィストベルに戦いを挑んで殺せ、とか言われても、それは無理な話だからね!
もっとも、そんな望みは俺の望みとは釣り合いがとれずに、誓約に当たるモノとしては認められもしないだろう。
俺が手にとって口にしたそのままの言葉が、自動的に紙面に浮き上がってくる。
全く便利な用紙だ。それだけに、効力も侮れないという一面はあるのだが。
俺とアリネーゼの誓約が並ぶ。後は二人で同時に紋章を焼き付けるだけだが……。
「アリネーゼ。いいか?」
「もう少し、端の方に近づいて頂戴」
アリネーゼが向かって左端の向こうにいるのを察し、俺もそちらに近づく。
カーテンが少し開いて、そこからアリネーゼの右手が伸び、誓約書に触れた。
「いいかしら?」
「ああ」
俺も手を当て、同時に紋章を刻み付ける。
自身を模したアリネーゼの紋章と、俺の薔薇の紋章が、箔を押したように記される。
書式が整った状態で誓約書を四つに折りたたみ、決められた呪文を唱えながら三回振ると、用紙は二枚に増殖した。
その一枚をアリネーゼが、一枚を俺が保持する。
「さあ、では詳しく聞かせて頂戴。あなたは私に、何を望むのかを」
「……実は……」
俺は昨日、ミディリースやエンディオン、セルクと考えたその作戦を、アリネーゼに明かした。
「あなた……もともと疑ってはいたけど、バカなの?」
アリネーゼ! その感想はないんじゃないか?
だいたい、疑ってたってどういうことだ!
…………ひどい。
「だってそうでしょう? 無爵の相手のために、私と誓約を交わすだけでも十分驚愕に値するのに、その上まだ、自分の身を犠牲にするつもり?」
「犠牲って……大げさだな」
「そうかしら。あなたは今でも、結構いろいろと言われているというのに」
いろいろって何?
俺、なに言われてるの?
いや、ある程度は耳に入ってもくるが。
「いろいろ言われるのなんて、どうせ新任のうちだけのことだろう。百年も経てば、どんな事だって噂にも上らなくなるさ」
ボッサフォルトのしたことですら、すでにただの昔話となっているのだから。
「いいわ。あなたにそれだけの覚悟があるのなら、お望みの通りにしましょう」
それだけの覚悟って……。そこまで言われると、俺だってちょっと不安になってくるじゃないか。
いや、そりゃあ確かに、エンディオンもミディリースもセルクも……俺が考えを話したときは、ちょっと「え? いいの?」みたいな反応ではあった。なんだったらセルクなんて、「本当によろしいのですか? もっと他にやりようもあると思うのですが」とか後で確認してきたりもした。
でも、最終的には同意してくれた作戦だ。そんなまずいことのはずがない。……だよな、三人とも!
とにかくそんな風に俺はアリネーゼと約束を交わし、自分の城へと帰ったのだった。
***
そうしてさらに二十日ほど後のことだ。
俺とミディリースは、開かずの間に足を運んでいた。
オリンズフォルトの氷結は数日前に解いていたが、その身は当然ながら自由にしてはいない。
氷漬けを解いて最初の頃は、以前のヒンダリスへの対処の失敗を思い出して、猿轡をかませたりしていた。でも、途中で俺は気づいたのだ。
オリンズフォルトは、強要されても自死などする輩ではない、と。
「俺がこんなに想っているのが、なぜわからない? 俺はお祖父さまとは違う。君を大切にするよ。ああ、そうだとも! むせび泣くほどの快楽を約束してやるってのに! ひひひ」
顔以外の自由を魔術で奪っていても、こうした下品な言葉をわめき出す。もっとも今は、右手も自由な状態だ。
「くそおおおお! 全く興味のない建築の仕事を選んだのだって、ミディリースを見つけるためだったのに!!!」
魔王城はみんなで楽しく、力を尽くして建てたと思っていたのだが、こいつはそうではなかったらしい。
建築の仕事に就いたのは、ミディリースが隠れられそうな屋敷を捜し当てやすいように。
魔王領を選んだのは、他領のことであっても情報収集がしやすいと考えたから。
築城に立候補したのは、意外に厳しかった公文書の閲覧許可を、立場を強化して得やすくするため、らしい。
「あああああ。羨ましい! ほんとに羨ましい!!!」
レイブレイズによって一時は骨と皮だけになっていた身体は、情けばかりに出した食事がうますぎたのか、ただのやせすぎの男、といったところまで回復している。
ちなみに服装はあの、緑の半ズボンだ。……いや、別に着替えくらいやってもよかったんだが、なんか嫌だったんだよな。
本人にどうしてその衣装なのか、と思い切って聞いてみたところ、ミディリースと最後に会った服装を再現した、とのことだった。意味がわからない。
そのオリンズフォルトは、酒の木箱を逆さにした台の上でペンを走らせながら、ちらちら俺とミディリースを見てはうるさくわめくのだ。
「コンテストの一位をとるほどの男なんて、死ねばいいのに! 俺があんたみたいな立場と容姿なら、ミディリースだって絶対受け入れてくれたはずなのに!」
「だ、誰がっ!」
最初はただ恐怖におびえていたミディリースも、このうるさい様子を数日見るうちに慣れたのか、俺から離れようとはしないが、それでももう青ざめて震えたりはしないようになっていた。
「閣下、不敬罪で今すぐ殺してもいいと思う!」
ミディリース、その気持ちはわかる。俺だってそうしたいのは山々だ。
「まあ、役目が終わるまでは待ってやろう。な?」
俺が頭頂部をポンポンと叩くと、オリンズフォルトは大きなため息をついた。
「あああああ! ちくしょう、イケメンなんて呪われろ! それはホントは俺のものだったのに! その身体の隅々まで、俺一人のものだったのにいい!」
「ひいいいいっ!」
歯ぎしりをし、口の端から涎を垂らすその様は、まるで野獣だ。
その上、身体のあちこちを舐め回すような粘ついた視線を向けられては、ミディリースが悲鳴を上げて隠れるのも無理はない。
こいつに比べれば、やはりウォクナンはかわいらし……待て、俺。そもそも比べるのが間違ってないか?
「ミディリースをいやらしい目つきで見ている暇があったら、とっととそれを完成させろ」
オリンズフォルトに手紙を書かせているのは、もちろん俺だ。
「痛い目には遭いたくないだろ?」
刺されてよほど苦しい思いをしたのだろう。レイブレイズをちらつかせるだけで、オリンズフォルトはこちらの指示におとなしく従った。
「わかってないな! まったく、この顔だけボンクラ大公は、何もわかってない!」
……口だけは悪いが。
「こういう手紙は、書く者の気持ちが大事なんだっていってるだろ! 俺がいい気持ちで書ききれないで、真実味なんて出るもんか。嘘くさいところが一つでもあってみろ。あの祖父さんをだますなんて、到底無理だぜ。すべておじゃんになってもいいのか?」
鼻息は荒いし、目は血走っている。
……せめて殴りたい。だが、殴ると殺しかねない。
今少しの辛抱だ。
「あああああ、ホントたまらないなぁ! そのスカートの下は、どうなってるのかなぁぁぁぁぁ!」
「ひいいいいい」
「とりあえず、文通からはじめようかぁ! 仕方ないから折れてあげるよ! ミディリースは好きだったよね、長い手紙! 俺だって練習したんだ、ほらこんなに書ける!!!」
涎をまき散らせながらも、ペンはまるで魔術がかかったかのように紙面を走る。その手紙はすでに七枚目を数えようとしていた。
さすがにもう、十分だろう。うるさいし。
俺は「せっかく筆がのってるのにぃぃぃぃぃ!」とわめき散らすオリンズフォルトに無理矢理締めの言葉を書かせ、身体を魔術で雁字搦めに縛って、その手紙を取り上げた。
もちろんボッサフォルトに届ける前に、内容を吟味する必要がある。
それでミディリースと二人、その手紙を検閲したのだが……。
「うわぁ……」
「気持ち悪い……」
飛び散った唾のせいで紙面がところどころふやけていることに対する感想ではない。いや、そっちももちろん気持ち悪いんだが。
俺たちがドン引きしたのはその内容だ。
そこには念願のミディリースを見つけ、自分のものにしたこと――毎日その彼女にどんなことをしているか、というようなひどい妄想話ばかりが、九割に及んで記されてあったのだから。
「ほんとにこうなってた可能性があるかと思うと……」
「げへへ……その顔がまた、そそるじゃないか……」
ミディリースがブルリと身体を震わせると、オリンズフォルトが下卑た笑いをあげた。
そのまま芋虫のような仕草で床を這ってきて、なにをするのかと思えばミディリースのスカートの下に顔を差し込もうとし。
「ぎゃああああ!!!」
「ぐっ! ぐげっ」
ミディリースに顔面を蹴られているのに、どこか嬉しそうだ。まさかロリコンの上に、ドMの気もあるのか?
とりあえず、レイブレイズでサクッと刺して、喋れない状態まで消耗させておくか。
ところで、手紙はこう続いていた。
そのミディリースを正式な妻の座に迎えるため挙式を行うから、祖父を招待したい。そうしてその場で彼女を堪能できるこの喜びを、祖父にも共有してもらいたい。さらには同じ趣味の俺が――ちょっとつっこみは待とう――、やはりその喜びを共に語り合いたい、と言っていること。
もちろんミディリースの母、ダァルリースを連れてきてくれと願うのも、忘れてはいない。
しかし、汚い字だな……内容と字面のひどさに耐えかね、目が拒絶感で滑る。だが、中身はちゃんと点検しておかないと。企てが無駄になっては、こいつを生かしておいた意味がない。
それにしても、真の変態というのはこういうものか。手紙を一読しただけでもこんなに気持ち悪いだなんて――
魔王様……今度から俺は、魔王様のことは軽い変態、と思うにとどめるようにします。
「ホントに……いいの? 閣下……」
「……何がだ」
「これ……」
ミディリースが指したのは、“同じ趣味のジャーイル大公が”という一節。
「……」
「ホントに、いいの?」
「…………」
俺だってそりゃあこんな奴らと同類だなんて、一時でも思われたくないさ!
思われたくない……でも、もう今更……。
この手紙だけの問題じゃない。この内容に信憑性を持たせるために、すでにアリネーゼの領地では俺が“そう”だという噂が流れ広まっているはずなのだ。
そう、アリネーゼにいいのか、と確認されたのも、この点だった。
俺が成人女性に手を出さないのは、実はロリコン趣味があったからなのだ、という噂話。それを、アリネーゼに流してもらうよう、頼んだのだった。
もちろんおおっぴらにではない。こっそりと、ここだけの話、という体で、だ。しかもでなければ急にそんな噂が聞こえてきたって、信憑性がなさすぎるだろう。
……だよな?
そして本当に申し訳のない話なのだが、その噂話の裏付けに、マストレーナの存在も利用させてもらった。つまり、ジャーイル大公は幼い少女であれば、デーモン族に限らずデヴィル族までも…………。
いや、ホントにこれでよかったのかな、俺!
冷静に考えれば、他にもっといい方法があったんじゃないのかな?
だが後悔しても、すでに遅い。
いかにこの件が終わった後、訂正の噂を流してもらうことになっていたとしても……。
「気に、するな……こんなの、百年も経てば………………」
そう、いつの間にかなかったことになるさ。
ミディリースの小さな手が、俺を励ますように、肩に置かれた。
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