古酒の隠れ家

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魔族大公の平穏な日常

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【第十章 大祭 後夜祭編】

151.侯爵ボッサフォルトとその孫の運命



「おお、我が孫よ、見違えたではないか! そのようにやせ細って、ひ弱で小さな妻の負担を減らすために、減量でもしたか? 相変わらず、甘く優しい男だな!」
 豪快な声が、高い空にこだまする。
 ボッサフォルトの外見は、想像とはずいぶん印象が違っていた。てっきり孫に似た、冷たそうな切れ長の、中肉中背のすね毛ボウボウ男だと思っていたのに。

 手紙を出して、さらに五日後のことだ。
 オリンズフォルトの侯爵邸に竜を駆って現れたのは、黒々と蓄えた髭、それから眉も胸板も腕も脚も声までも、すべてが太い。衣装もアリネーゼ領で採用されている紫の軍服に、章やらひも飾りやらで装飾した華美なもので、重厚なマントを羽織っており、ズボンだって半ズボンではない。
 要するにその男はまるで、プートをデーモン族にしたかのような、脳筋脳天気にも見える巨漢だったのだ。
 だが、その印象はすぐに、オリンズフォルトと同様の雰囲気に塗り替えられる。

「で、肝心のミディリースはどこなのだ」
 その薄墨色の瞳に浮かんだ、ナメクジを思わす色によって。
 さすがはロリコンという名称の祖になった男、と誉めてもいいものか。大公である俺の存在を無視して、まずはミディリースの所在を尋ねるとは。

「別れたときの、あのままの姿なのであろうなぁ。会えなんだ時期が長い分、その姿を目にするのが愉しみでならん。この腕に捉えて、蹂躙するのはもっとのぅ」
 やばい。すでに不愉快だ。
「お祖父さま。ふふ……愉しみはとっておいてください。後でじっくり、お披露目しますよ。その時は、もちろん二人で……」
「ほう、そうかそうか」

 祖父と孫は、下卑た笑いを交わしあっている。
 たが、もちろんミディリースと奴を会わせるつもりなど毛頭ない。ここに連れてきてもいないのだから。

「それより、ダァルリースはどこです? 俺はて……てっきり、ふ……ツ、ツインテールに、下着が見えるほどの短いスカートをはいた、彼女の姿が……ぐふっ、おがめるかと……へ……へへへ……」
 なに興奮して語ってるんだよ。あと、下を握るな。その願いばかりか、口調や態度までもが下品極まりない。

「あれを我が城から出すとでも思っているのか? いかに可愛いお前の願いだとて、そればかりは聞いてやるわけにはいかん。ちなみに昨夜の姿はな……」
 孫の問いかけを、祖父は一笑する。
 やはり連れてこなかったか。その可能性も、考えてはいた。そうそうそこまでうまくいかないだろう。当人が他領にノコノコやってきただけでも、上出来なのだから。

 今回、俺が相手の城を訪れず、こちらに呼んだのには訳がある。
 そもそも大公同士での行き来も、同盟者以外では稀な状況だ。それなのに、俺がたかが他領の一侯爵を訪れるだなんて、よっぽどの理由でもなければ不自然だ。
 なんとか理由をつけて訪問しても、自領内でボッサフォルトが俺に無礼など働くはずもない。
 だがこちらの領内でのことならば……多少強引な手を使って無礼な態度を引き出し、それを咎めることも可能というものだ。

 だが、この男がそうそう迂闊な性格でないことは、その性癖を数百年に及んで隠し通し仰せた事実が物語っている。図らずも悪名を轟かせた後は、見かけはどうであれ成人女性を相手にしているという状況を盾に、なりを潜めて批判をやり過ごしたことからも、その狡猾さが窺える。
 そんな男が、いくら可愛い孫の挙式のためとはいえ、それだけのために他領へと赴くことなどあり得ないだろう。ミディリースを手に入れたというならば、オリンズフォルトの方から妻を伴って訪ねてくればいいだけなのだから。
 ボッサフォルトがこちらにやってくるためには、強力なもう一押しが必要だった。
 まあそれがつまり、俺がみんなに「いいの?」
と確認されたことだったわけだが……。

 ちなみに今回の企みがうまくいかない場合も、次の手は打つつもりでいた。ダァルリースが生きてさえいれば、あとは何とでもなる。最悪、ベイルフォウスならこうしただろう、という手を使うことになっただろう。
 まあともかく、相手が招待に応じてくれた時点で、うまくいったも同然。

 っていうか、俺はいつまで無視されるんだろう。こうしてお前の孫の後ろに立ってる姿が、見えないわけはないよな?
 だって大公だよ? 俺、世界でたった七人しかいない大公だよ?
 その大公が、わざわざ玄関口まで迎えに出てるんだけど。
 それともまさか、俺の顔を知らないのかな? 少女以外の顔は、覚える気もないということなのかな?
 どういう理由で無視されているのであれ、とにかく変態二人の会話は聞くに堪えない。
「あー、おほん」
 わざとらしく咳払いをしてみせた。

「ああ、お祖父さま。紹介します。こちらが我が主、ジャーイル大公閣下です」
 強要しておいてなんだが、オリンズフォルトがなぜこんなに協力的なのかが謎だ。
 自分の祖父を前にすれば、すぐにも反逆の態度をとるかと思ったが、意外に芝居を続けるもんだな。
 俺には到底敵わないからと、観念するような男にも見えないのだが。
 元から気を抜くつもりは毛頭ないが、強く警戒はしておくべきだろう。

「おお、大公閣下でしたか。てっきり孫の近従ででもあるのかと。申し訳ござらん。七大大公とは思えぬその佇まいゆえ、無礼を働きました」
 こいつ……見た目通り、いい度胸しているじゃないか。目的がなければ、温厚な俺でもキレてるところだぞ。
「なんでしたかな……ほれ、例の。プート大公閣下と対戦なさったときの、あの剣も挿しておられぬようですので、余計にわかりかねた次第」
 確かに今日は、レイブレイズは帯剣していない。一応、挙式の招待客という設定であるからと、装飾の派手な金の儀式剣をお飾りに持ってきているのだ。
 ちなみに、儀式剣は魔剣ではないが、なまくらでもない。

「アリネーゼ大公麾下、侯爵ボッサフォルトでござる。同好の士として、以後、お見知り置きを」
 ボッサフォルトは大仰にマントを跳ね上げ、床に片足をついてみせた。
 礼をとっているにも拘わらず、その態度はむしろ堂々として見える。
 やはり一見しただけでは、こいつがとんでもない変態であるとは、誰も気づかないだろう。だからこそ、何百年も性癖を隠しておけたのだ。
 もっとも、孫と話すたびにダダ漏れだがな!

「よく来てくれた。今日という日が待ち遠しかったぞ、ボッサフォルト」
 うわぁ……我ながら白々しい。蕁麻疹出てないかな。
「それにしても大公閣下の覚えめでたく、直々に挙式においでいただけるとは、天晴れな孫でござる」
 立ち上がる動作すら威圧的だ。加えて俺にはまともに返礼もせず、孫を誉めるところがもうね!
 ここまでの態度でも十分、不敬罪に問うてもいいような気さえしてきた。

「それで閣下。ミディリースは閣下の城勤めであったとのことですが、もちろん孫に下賜される前に、味見はなさったのでしょうな?」
 ミディリースは物扱いか。
 やばい。俺、こんな不快な質問に我慢して答えないといけないのか?
 口元がひきつらないようするのでも、努力を強いられる。

「こんな軒先でするような話でもないだろう。せっかく中に、ゆっくりできる場所を設けてあるんだ。そこでじっくり、語り合うことにしようじゃないか」
 なんとか嫌悪感を出さないよう気をつけて、室内に誘う。
「ごもっともですな」
 この祖父と孫の会話には、長く付き合っていられそうにない。この僅かの間でも、すでにそう確信していた。

 だが、その悩みは杞憂に終わる。理由は簡単だ。
 それらしく花がふんだんに散らされた玄関と階段を抜け、控え室にと用意した応接に入ったとたん、二人が俺に襲いかかってきたからに違いない。

「油断したな、ジャーイル大公!」
 孫が攻撃魔術で俺の気をひいている間に、祖父が結界を張る。その中に俺だけが閉じこめられたと思った瞬間、足下がぐらりと揺らいだ。
 大地の魔術か、と構えたが、そうでもないようだ。
 なぜならば、おかしいのは床だけではなかったからだ。足下も天井も四方を囲むはずの壁も、すべてが歪み、姿を変えている。
 結界が作用している、というわけでもないようだ。

 足下は確かにしっかりとしたものを踏んでいるが、平らかといえばそうではない。ざらりとする感触から、石床というよりは自然の岩に土が薄く乗っているような感触だ。
 なぜ、こんなに曖昧にしか感想を述べられないかというと、足下どころかどこを見回しても、まったき闇しか存在しないからだった。自分の手ですら、顔の前に持ってきても見えないほどの暗闇の中。
 どうやら結界を張ったのかと思えたその魔術には、まったく別の効果があるらしい。

「ふはははは! さすがの大公でも、そこでは何もできまい」
 続いて孫よりは押さえた笑みを含んだ祖父の声が続く。
「貴様は今日という日が待ち遠しかったといったが、それはこちらの台詞だ。孫をその場で殺しておけばよかったものを、くだらん小細工を講じたその矮小さが、今の苦境を招いたのだと知るがいい」
 あの場でオリンズフォルトを殺しておけば、か。ということは。

「教えてくれ。いつ、打ち合わせた? オリンズフォルトが俺の領地に来る前か?」
 オリンズフォルトの単独かと思っていたが、ミディリースが大公城にいると知った段階で、ある程度祖父とも最悪の場合を考え、備えていたのだろうか?

「この結果は貴様が小細工を講じた故の失態と、申したであろう。儂は孫が魔王領からこの大公領に移ったことも、手紙をもらうまでは知らなんだのだ」
「ではあの手紙に、暗号が仕掛けられていた、ということか」
「そうだ。だが、文字による暗号などではない。ただの単純な決まり事だ。孫の字が汚かったのを見て、儂は気づいたのだ。この手紙は、左手で書いたのだな、と。つまり――」
「あ、やっぱりいい」
「……なに?」
「説明は不要だ。よく考えたら、そんな些細な事情、どうでもいいわ。とりあえず、お前たちが俺と同じ場所にいるのかどうかだけ、教えてくれ」
 いるならば、全方位に魔術を放出して、二人を殺ってしまえばいいだけの話だ。

「バカがっ! このバカがっ!」
 オリンズフォルトは本当に感情豊かなようだ。というより、中身が子供のまま成長していないのではないだろうか。
 台詞がどうにも直情的すぎる。
「ふん。儂の特殊魔術は、空間魔術。お前がいるのはすでに、我々の世界ではないのだ」

 つまり、祖父と孫の声は聞こえるが、同じ空間にはいないらしい。なるほど。秘されていた特殊魔術であったわけか。
 では、明かりをつけても標的にされることはないわけだ。そう判断して、周囲にいくつかの小さな炎を燃え上がらせる。いつもより、発動に時間がかかった気がしたが、それでも魔術はちゃんと使えるようだ。
 その光が浮き上がらせたのは、天高い岩の天井と、赤い砂を敷いた岩床だった。前方を少しいった場所には、水際が見える。湖でもあるのかもしれない。
 壁は遠いのか、少なくとも炎が照らし出した範囲に果ては見えない。
 かなり広い洞窟のようだ。どうりで、さっきからいやに声が反響すると思った。

「どうだ、お祖父さまの魔術はすごいだろう! まともに戦っては勝ち目のない相手でも、こうして別の空間に送り、入り口を閉じることで、その存在を亡きものと同様にできるのだ! ふはははは!」
 ご丁寧に解説してくれるのは孫だ。正直、うるさい。
「なに、心配するな。もちろん、大公の座はこのボッサフォルトが引き継いでやろう。ああ、喜んでな」
「そうして、俺が副司令官だ! 誰を殺してその後釜に座ろうかなぁ……」
 気の合うことで、孫と祖父は同時に哄笑した。顔を見合わせて、仲良く声をあげているのかもしれない。

 しかし、これで謎が解けた。
 俺の目で見たボッサフォルトは、孫にも劣る魔力しか持っていなかったからだ。プートと違って強そうなのは外見だけ。実際には、伯爵ほどの実力しかない。
 もちろんまともに戦っては、俺の副司令官たちが相手だってどうこうできるはずがない。
 それでも今の地位を得られたのは、特殊魔術を知らない相手に不意に襲いかかり、こうして相手を自力では帰還できない異空間に閉じこめる、というからくりがあったからこそだろう。
 だがそれでもこの状況には疑問が一つ残る。ただ相手を異空間に追いやるだけでは、単なる行方不明と見なされるだけで、紋章はボッサフォルトの元には下らないのではないだろうか。

 だがその疑問も、すぐに解けた。
「こいつはでかいな」
 水を裂く音がして、目の前に黒い塊――俺の世界では見たことのない、山のように巨大な生物が現れたからだ。湖面から、天井すれすれに伸び上がってもまだ足りないらしい。
 びっしりと太い毛の隙間からは、赤く光る数多の目が、殺気を漂わせてこちらを凝視している。
 だが大丈夫。大公になってからというもの、俺は他者の視線にさらされることに慣れてしまったのだ。注目を浴びても、照れや居心地の悪さを感じることはない。

「どうやら明かりをつけたようだな。これで万が一にも、貴様の生き残れる確率はついえたぞ! その巨大な化け物の、馳走となってやるがいい!」
 なるほど――この世界に送られた魔族は、正確にはこいつに殺されたわけか。ということは、紋章を持たない相手に殺された者の紋章は、そのきっかけを作った相手に吸収されるということか?
 だとしたら、これは盲点だな。それとも紋章管理官は認識しているのだろうか?
 帰ったら魔王様にでも確認してみることにしよう。

「はっはは! そいつには、大公でも敵うまい! 俺とお祖父さまだって、命からがら逃げ出したんだからな!」
「口が過ぎるぞ、オリンズフォルト!」
 聞いてもいない失態を自ら口にし、祖父に怒られる孫。なんかだんだん、俺を笑わす為に頑張ってでもいるのかと思えてきた。

「それにしても、あの剣まで律儀においてくるとは……愚かにもほどがある。あの恐ろしい剣ならば、その化け物にも対抗できたかもしれないというのに!」
 レイブレイズを置いてきたことを、これほど強調されるとは……。つまり俺は、剣の助けなしには生き残れない、と目されているわけか。
 魔剣がどれほどの能力を持っていたとして、俺の力を上回るとでも?
 大公という地位も、ずいぶん舐められたものだ。

 所詮、侯爵という地位も借り物でしかないボッサフォルトには、相手を畏れ知る能力はないということなのだろう。
 いいだろう、この化け物には恨みはないが――いや、今までここに送られ、こいつに殺された同胞の敵、ということに――でもそれも、あり得ない考え方だしなぁ。

「ああ、それから――」
 入り口を閉じたといったくせに、うざったい声だけはいつまでも届いてくる。それともまだ、閉じられていないのか?
 だとすれば、とっととこの目の前のでかいのを倒して、その入り口を探ればいい。
 簡単なことだ。俺の目は魔力の跡を見逃しはしないのだから。

「妹君のことは心配に及ばん。もちろん、儂がたっぷり可愛がってやろう。本物の少女を――それも、可憐な美少女を相手にするのは、どれだけ久しぶりか――だが、大公ともなれば、今後は誰にはばかることもない。おお、初々しいその脅える姿――考えただけでも胸が躍るわい」

 言ってはならないことを言ったのだとボッサフォルトが後悔するまで、それほど時間は必要ではなかった。
 ああ……。
 いいや、訂正しよう。
 後悔する暇があったかどうか、俺は知らない。

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